マヤ遺跡探訪
CUELLO
ベリーズ2日目、 アルトゥン・ハからクエヨ遺跡へまわりました。
クエヨは 先古典期中期(1000-400BC)の遺跡で マヤで最も古いもの として知られており、遺跡としては殆ど見るべきものは無いと承知していましたが、ベリーズに行ったら是非どのような場所か見ておきたかった 所です。

遺跡はオレンジ・ウォークの郊外 西 6Km の私有地内で、同名のラム酒工場脇の牧場の中にあります。  遺跡名の Cuello は 仮名で表わし難く クエジョ、クエリョ、クエヨ等の表記が見られますが ここではクエヨとします。
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     (訪問日 2009年11月30日)
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 (Distilería de Ron "Cuello's Distillery")

ホテルでクエヨに行きたいと言ったら「あそこは殺人バチが出るから」と訳のわからない話、でも同行のアリ君に駄目押しをしてみると、 「あそこは知り合いだから行ってみよう」と。 ヤッタ!
アルトゥン・ハからオレンジ・ウォークを素通りしてクエヨ到着。  写真はクエヨのラム酒工場です。

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 (Caribbean Rum de Cuello's y camión de transporte)

まず工場の事務所へ挨拶に。 ラム酒工場 Cuello's Distillery Limited はクエヨ氏がオーナーで、
1日の出荷量が 12本入り ケース 300-400箱、 ベリーズ有数のラム酒工場と言う事でした。 工場の周りの土地を牧場としていて、遺跡はその中。 「牛が 逃げないように柵をしっかり閉めていってくれ」と。

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アリ君の運転で工場の東側にまわり柵を開けて牧場の中へ。 写真の様に一応道はありますが、何処に遺跡があるのか? 兎に角 道を南に 進んでいきます。

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 (Nos impiden nuestro paso !)

直ぐに牛の大群に道を阻まれました。 どうするのこれ? アリ君は牛の波をかき分けて車を進めます。 牛は渋々道を空けてくれました。

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 (Montón de monticulos)

地図に赤い線で進路を示しましたが、車の左手(東側)の柵の向こうに土塁が幾つも顔を覗かせます。 クエヨ遺跡は 1973年に発見され、 ボストン大学のノーマン・ハモンド教授らにより 1975年以来 11シーズン 合計 80週を超える精細な調査が行われ マッピングは行われて いますが、大半の土塁は写真の通りの状態です。 柵の向こうが気になりますが石の建造物を捜して更に南へ。

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 (Estructura 35 sobre plataforma 34)
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そしてやっと探し当てたのがこれ、基壇34の西端に立つ小さなピラミッド建造物35。 クエヨに関しては殆ど資料が手に入りませんでした が、ネット上でハモンド教授の論文が幾つか見つかり、建造物35で間違いなさそうです。 階段が東向きに作られ、2枚目の 写真は東南角になります。

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          (Foto de Estructora 35 en la oficina Cuello's)

ラム酒工場の事務所に貼ってあった写真を写させて貰ったものですが、発掘当時の写真らしく、ピラミッド上の植栽は取り払われており、 右手前の調査坑は現在は埋め戻されています。

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 (Plataforma 39 debe estar por este lado)

建造物35の東側には基壇39が広がる筈ですが、調査の後に埋め戻されたのか、写真通り単なる放牧場と化していました。

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 (Lado occidental de Estructura 35)

ハモンド教授たちの調査は 2002年で終わっていて、現在目にする事が出来るのは建造物35だけのようでした。 これはその西側面ですが、 ポッカリ開いた空間は居室跡でしょうか?

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 (Lado norte de Estructura 35)

これは北側の側面で、この辺りが石組みが一番はっきり見えます。

75年からの調査では、基壇34、39辺りを中心に、放射性炭素年代法を用いた発掘物の徹底検証が行われ、その結果 1200-400BC に栄えた 初期階級社会を伴うマヤの集落と言うクエヨの実像が浮かび上がってきたそうです。 

人口は最盛時 3500人位、狩猟、採集にトウモロコシの改良も行われ、マヤ最古のスティーム・バスが見つかり、発掘物からはマヤのカレンダー 文字が刻まれた骨も発見されているようです。

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 (Estructura 35 medio derruida)

建造物35の年代が一体何時になるのか 明確な記述はありませんでしたが、先古典期中期の発掘物に囲まれた建物ですから、やはり その時代、つまり紀元前 300年以前のものと考えてよいのでしょうか? 登ってみると建材の石灰岩がボロボロになっていて、人が登るだけで 建物がどんどん壊れそうです、と言いつつ登ってしまいましたが。

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 (Parte superior de Estructura 35)

建造物35 の上には平らな空間がありました。 雑草が生い茂っていて何が何だか良くわかりませんが、写真右側の縁が東側の階段に繋がって いるようでした。

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 (Escenario del rancho, al forndo Edificio de Destileria)

建造物35の上から北側に目を転じると、ラム酒工場の特徴的な建物が認められます。 眩い緑にマヤの遺跡が隠れ、マヤの時代には いなかった牛たちが草を食む長閑な情景でした。 

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 (Despedida a la ruina, cerrar la puerta del rancho !)

もう時計は4時を回っており 牛に邪魔されて自由に動き回れませんでしたが、そろそろ牧場を後にします。 アリ君にお礼を言いつつ 「牛が近づいてきたらどうしようかと思った」と打ち明けたら、「俺もどう逃げようか考えていた」と。 何だ君も不安だったのか!  写真では解りませんが、牧場内は牛の糞だらけでした。 当たり前? (^-^;

クエヨでは 400BC 頃に破壊の跡が見られ、その後衰退の道を辿ったようです。 グアテマラ北部のマヤ低地ではナクベや エル・ミラドール と言った先古典期の大規模センターが巨大な建造物と共に隆盛を迎え、 先古典期後期になるとティカルやカラクムルといった古典期に最盛期を迎えるマヤセンターが勃興してきます。

ベリーズ3日目は ラ・ミルパ遺跡 を訪問します。



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