マヤ遺跡探訪
TABASQUEÑO (XTABAS)
タバスケーニョは古典期後期の典型的なチェネス様式遺跡として知られます。 肝心のチェネス様式を示す宮殿の上部神殿が半壊してしまい荒れ果てて いましたが、崩れた神殿の再建と周囲の修復が完了して一般公開が再開されています。

前回やっとの事で探し当てた遺跡は瓦礫だらけの廃墟でしたが、その後修復が完了したと聞き、是非その後の姿を見たいと思っていました。

トーコックからホペルチェンで国道269号に出て、シバルチェンを目指して南下します。

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    (訪問日 2001年4月10日、2013年1月12日)
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   (Señal de Tránsito y de la Ruina)

ホペルチェンから南へ 40Km弱、前回は遺跡の表示が見つからず苦労しましたが、今回は大きな道路標識がありました。 道路標識の下には古びてはいますが、 遺跡の看板も立っていて、ここから 2Km で遺跡です。

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            (Miniguía de Tabasqueño en nuevo estilo)

INAH の新版のミニガイドでもタバスケーニョがカバーされ、遺跡の修復完了を物語っているようです。 2009年発行で、タバスケーニョについて 書かれた最もまとまった資料になります。

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  (Acceso al sitio y nueva caseta)

国道269号から先の道は相変わらず未舗装ですが、拡幅され見違えるようでした。 前回は左の写真の柵から奥は車で入れず徒歩で 1Km 位歩きましたが、 今回遺跡近くの駐車場まで車で行けました。 右は駐車場の先に整備された遺跡の事務所とトイレ。 まだ使われていませんでしたが、入場料の徴収も ありませんでした。

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                           (Mapa en Miniguía)

これはミニガイドに載っている遺跡の地図です。 (建造物名は書き加えました。)  これで何が何だかさっぱりわからなかった前回とは大違いです。

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         (Palacio-Templo medio-colapsado, foto en 2001)

タバスケーニョ (別名シュタバス) と言うと 宮殿‐神殿 (建造物1) がその代名詞になりますが、これは 半壊した状態の 宮殿‐神殿で、2001年に 撮った写真です。

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  (Palacio-Templo restaurado, foto en 2013")

そしてこれが修復なった 宮殿‐神殿 の現在の姿。 1995年にハリケーンの突風で上部神殿の壁面の東半分が崩れ落ちてしまい、2003年に修復が完了 したそうですが、崩落した神殿東側の修理だけではなく建物全体の修復が行われています。

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  (Palacio-Templo)

宮殿‐神殿 は一層目に8つの部屋が設けられ、二層目は中央部にだけ前後(南北)に2部屋ある構造で、 北を向いた二層目の壁面全体に チェネス様式とリオ・ベック様式に特有の 大地の怪物の仮面を模した壁面装飾がありました。 1887年に訪れたテオベルト・マーラーによると、仮面と 屋根飾りは真っ赤に塗られていて、屋根飾りを含めると高さは 15m 近くになったそうです。

ついでながら、遺跡の名前のタバスケーニョは、マーラーが訪れた時に遺跡の北側にタバスコ出身者が住んでいた事から、マーラーがタバスケーニョと 呼んだことに由来するようです。

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             (Templo superior con máscara de monstruo de la tierra, foto en 2013 y 2001)

大地の怪物の壁面装飾を拡大してみました。 言うまでもなく上が 修復後(2013年) で 下が 修復前(2001年) の写真です。 崩落前の写真があり、 大きなブロックで崩れていた部分もあったせいか、ほぼ崩落前の状態に修復されたように見えます。

半壊した為に大地の怪物の仮面が台無しになっていましたが、これで復活です。 戸口上部で下に伸びた T字型の2本の門歯も復元されました。  戸口から戸口下部にかけて逆T字型に開いた怪物の口とこの2本の門歯のT字は共に 風(ik)を表わす記号とされます。 角に上下に並べられた チャーク像は左右共に8体づつあったようです。


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  (El interior de una habitacion de ala este)

宮殿‐神殿 の居室は、前回来た時は外壁と天井が崩れていて、ひとつとして完全な部屋は無かったのですが、見事に修復されていました。 前回の 崩れた残骸の写真からは想像もつかない位です。 写真は左翼(東側)の居室に入った所で、正面戸口が階段下の居室に繋がり、左の戸口が奥の部屋へと 通じています。

画像画像   (El resto de pintura)

マーラーやその後の研究者達の報告によると、室内には壁画やグラフィティーが残されていたようですが、残念ながらハリケーンで失われてしまったそうです。  でも室内にはあちこちに壁画の跡がありました。 

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  (Templo superior)

大地の怪物の仮面を下から見上げてみました。 後で考えると神殿に繋がる階段は登った記憶がありません。 写真で見ると登れそうな感じもしますが、 実用ではなく装飾の疑似階段だったかもしれません。

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  (Ala oeste de Paracio-Templo)

これは宮殿‐神殿 の右翼(西側)です。 手前にチュルトゥン(水溜め)があり、正面階段の右には戸口がふたつ口を開け、更に右には建造物 1A が修復されています。

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  (Los Chultunes)

写真左が上の写真にあるチュルトゥンで、右は宮殿‐神殿の裏側にあったチュルトゥンです。 タバスケーニョは台地に設けられおり、東西にふたつ 水場があり、更に二つの洞窟と、こうしたチュルトゥンで必要な水を確保していたそうです。

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  (Fragmentos de las Estelas)

右翼の居室の中に石碑の断片が保管されていました。 タバスケーニョには地図にあるグループ1の他に、100m 南にグループ2、80m 西にグループ3が あり、共に立ち入りは制限されているそうです、それ程見るべきものはなさそうですが。 グループ2には石碑の断片が3つあるとガイドに書いてあった ので、ここに集められたのかもしれません。

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  (Estela 1A)

建造物 1A は 宮殿‐神殿 (建造物1)と同じ基壇上で西側に並びますが、修復された姿からはあまり装飾性のない簡素な作りだったようにみえます。

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  (Palacio-Templo, vista desde oeste)

宮殿‐神殿の西側から神殿部分を見上げたところです。 神殿部分には南北2室設けられていましたが、南側の居室はかなり以前に失われたようで、 天井のアーチが半分顔を覗かせます。

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  (Parte trasera de Palacio-Templo)

南西側 (写真上) と南東側 (写真下) から見た 宮殿‐神殿 の裏側です。 この南側の階段も前回は瓦礫の中でしたが、綺麗に修復されています。  急傾斜の疑似階段だったと思います。


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  (Parte trasera de Templo superior)

この写真に見える一連のチャーク像は、崩れ落ちたものが修復された東側にあたります。 崩れ落ちたものが修復されたとは思えない見事な修復でした。

宮殿‐神殿 はこの辺にして、もうひとつ前回の訪問で謎だった、奇妙な四角い柱へ行ってみます。 ミニガイドで TORRE (塔)と書いてありますが。



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         (Torre en el medio de escombro en 2001)

2001年に来た時に崩れた神殿の他に、写真の通り瓦礫の山から四角い柱が伸びているのを見て一応写真は撮りましたが、これが何なのわからず仕舞いでした。  もしかしたらコロニアル時代の新しいものかと思い、前回の訪問記では触れていませんでしたが…。

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  (Torre con la restaurada Estructura 3)

あれれ? 瓦礫の山だったところに新品のマヤの建物が忽然と現れて…。 四角い柱は以前の通りですが、瓦礫が整理され、ガイドによると建造物3 となっていました。

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  (Estructura 3)

建造物3に近づいてみます。 中央階段は急傾斜で登れない疑似階段で、手摺部分と併せてチェネス様式になっているようです。

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  (Torre para la observacion del movimiento solar ?)

そして建造物3 の右側にはスロープがあり、スロープの上に四角い柱、ミニガイドによると ”塔” が立っています。 柱は幅 1.5m で、高さは 4m を超え、上部に付けられた突起で、日の出や日の入りの観測が行われていたと考えられているようです。 コロニアル時代なんてとんでもない、 1000年以上前のマヤの建造物でした。

塔は南北の軸からは東へ7度の角度で建てられ、タバスケーニョの建物は全てこの角度で作られており、高度な天文観測に基づく街づくりが行われていた と言われます

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  (Escalinata falsa)

横から見た建造物3 の疑似階段とスロープに塔です。 疑似階段の前には円柱を切ったような祭壇があり、階段の上の神殿前にも同様の祭壇が置かれ ます。(下の写真)

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  (Dos altares arriba y abajo de Estructura 3)



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  (Parte trasera de Estructura 3)

建造物3 の裏に回ってみました。 正面階段は登れませんが、裏からだと上部神殿へあがれます。

2001年には単なる瓦礫の山だったものが、こんなに立派な建造物に生まれ変わって…。 以前の状況を知っていると、どこまで正確な復元なのか 疑いたくなりますが…。

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  (Sillares esculpidos)

これは建造物3 の前に集められた彫刻が施された石材です。 これ、建造物3 を飾っていたものでしょうか? 建物の形は復元してみたものの、 建物装飾の復元はまだまだ、という事でしょうか…。


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  (Palacio-Templo, vista desde esquina suroeste de la plaza)

これでタバスケーニョの見学を終了、宮殿‐神殿 の横を通って駐車場に戻りますが、ミニガイドと同じ角度で写真を1枚。


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  (Plazao, vista desde esquina sureste)

ミニガイドによると、宮殿‐神殿 の前には南北 60m、東西 40m の広場があります。 この写真は 宮殿‐神殿 の左翼の前、広場の南東角辺りから 撮った写真をパノラマ合成したものですが、木々に遮られて見通しが利きません。  広場の北と東に大きな建造物があるようですが、土塁のままで全く修復の手が及んでいません。 もしまた将来戻ってこられたら…?


前回は資料もなく神殿が崩れていて何だかよく判らないままでしたが、今回は神殿を含めてかなり修復作業が進み、ミニガイドの手助けもあって、 大分タバスケーニョの理解が進みました。 前回の訪問記は写真と共に崩れた状態が記録されていて興味深く、別名の シュタバス のタイトルで消さずに残してあります。



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