マヤ遺跡探訪
BILBAO
エル・バウル に引き続き、ビルバオ地区を見て回ります。 エル・バウルから南へ 2~3Kmの距離ですが、当時の道がそのまま残されている訳ではなく、遺跡は一面のサトウキビ畑の中で、車で近くまで移動です。

エル・バウル同様、遺跡は修復されておらず、サトウキビ畑の中に人工の起伏が広がるだけですが、巨石彫刻の一部が現地に残されます。

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ビルバオ地区はコツマルグアパの存在が最初に確認された場所で、当時 発見された重要な石造物は19世紀末に海外に流出してしまいますが、 それ以降のビルバオ地区からの出土物を集めた博物館があります。 まず遺跡へ寄ってから博物館を見ていきます。

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     (訪問日 2015年1月14日)
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ビルバオ - コツマルグアパ   Sitio Arqueologico de Bilbao - Cotzumalguapa

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            (Plano de Bilbao)

コツマルグアパ全体の地図は エル・バウルのページ にあるので、そちらを参照下さい。  エル・バウルから幹線道路を南下し、ビルバオ方向へ太い道を左折すると、道はビルバオのグループ D と C の間を走っていました。

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 (Montículo de Edificio Sur del Grupo D)

正面で左右に広がる木々に覆われた起伏がグループ D 南側の細長い建造物跡で、南に繋がるグループ C から写真を撮っています。  右手前はサトウキビの若木です。

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 (Vista panorámica hacia norte desde Grupo D)

グループ D 南側の細長い建造物跡に登ってみました。 写真は建造物跡上部から北側を見渡した所で、一面 サトウキビ畑が広がり、 実際 建物跡の上部までサトウキビが植えつけられていました。

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 (Manposteria expuesta del montículo)

建造物跡には所々石組みが露出しており、石造建築だった事がわかります。 残念ながら全く修復には手が付けられていませんが、 サトウキビが植わっていると言う事はまだ私有地のままでしょうか?

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 (Vista al sur, desde Grupo D)

グループ D から南方向です。 グループ C, B, A と南に行くに従い低くなっています。 遺跡に残された石造物が見つからず、 幹線道路に戻ってグループ A から遺跡に入り直しました。

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 (Caminando hacia norte al Grupo A)

グループ A の南側で、ガイドのホセ君が地元の人に遺跡に残る石造物の在処を確認、案内を頼みます。 案内の少年の他、子供達 もゾロゾロと。

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 (Monumento 19 de Bilbao)

少年の後について小道を北へ進むと道の左手に最初の石造物、モニュメント19 がありました。 現在も信仰の対象となっているようで、 祭礼を執り行うスペースに香を焚いた跡もあります。

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 (Monumento 19)

モニュメント19 には向かい合った男女が描かれています。 左は凝った頭飾りにウィピルとスカートを付けて ヘビを腰に巻いた女性で 背後に鳥を伴った形で刻まれ、右側の コヨーテを背にして腰巻きを付けただけの痩せた男性と向かい合っています。 コツマルグアパの 歴史上重要な婚姻による同盟を表している、という解釈があるようです。

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 (Monumento 93 de Bilbao)

モニュメント19 の少し北側に比較的最近発見されたモニュメント93 があり、窪みの中にモニュメント19 に刻まれたカップルと考えられる 男女が表され、窪みの下に死の神マニキが彫られ、周囲全体にバラバラにされた体の部分が散りばめられています。

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 (Monumento 93)

モニュメント93 の中央部の拡大です。 カップルと死の神以外、右側に左腕、その下に頭部、死の神の左に右腕と頭のついた胴体が逆さに 彫られていて…、兎に角バラバラ事件です。 コツマルグアパでは生贄と体をバラバラにする事が重要視されたようですが、これが何を 意味するのかは明らかでないようです。

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 (Monumento 93)

同じモニュメント93 の窪みの右側面ですが、頭のついた胴体、右足…、なんともおぞましい彫り物です。
上の地図に示してあるように、 モニュメント19 はグループA の基壇の南側、モニュメント93 はグループA の基壇上で南西角に置かれていました。

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 (Monumento 21 de Bilbao)

更に北へ向かって起伏を登っていくと、巨大な石造物、モニュメント21 がありました。 グループB の基壇の中央に位置し、建造物の一部を 構成していたようですが、単独のモニュメントとしてもコツマルグアパ全体で最も大きなもので、玄武岩を削って彫刻が施された上面は、 4.02m x 3.38m にもなるそうです。

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 (Monumento 21)

彫刻は垂直ではなく斜めに寝かされた感じで、サトウキビが成長すると直ぐ隠れてしまうので、刈取りが済んだ後の乾季が見頃?です。  ついてきた地元の子供たちがモニュメントに登って楽しそうにしていましたが、石灰岩ではないとは言え 摩耗が心配になります。

斜めでは刻まれた図像が見にくいので、画像ソフトを使ってモニュメントを起こしてみました。 以下この画像を元に彫られた図像を 見てみます。

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 (Monumento 21 El Mundo Florido)

モニュメントに刻まれた図像を簡単に説明すると…、鳥が飛び交い、実をつけた蔓が張り巡らされた果樹園の中、左側の人形遣いの楽士 が奏でる音楽に合わせ、中央の人物 が歌い踊りながら収穫を行い、右の玉座に座った老婆に収穫したものを渡している、 という事になるのですが…、コツマルグアパの彫刻ですから 単に長閑な収穫風景を表したものではありません。

問題は収穫されている実の正体で、カカオの形をした果実の殆どに人の顔が描かれています。 という事は収穫しているのは人の頭であり、 カカオの収穫は実は生贄の場面だという事になります。 そして玉座の老婆は受け取った収穫物を玉座の下の袋にしまい、袋の中には顔の 描かれたカカオ、つまり生贄の首がナイフや他の宝物と共に表されます。 生贄は永遠の太陽と繁栄を求めるメソアメリカ共通の伝統でしょうか。

( 人形遣いは右を向いて前に突き出した左手で腰に下げた太鼓を叩き、右手で頭の後ろに人形を掲げています。 中央の収穫する人は一番 大きく表され、体は左、顔は右を向いて、左手で収穫した果実を老婆に差出し、右手にはナイフが握られています。 一番右の老婆は両手に 受け取った果実を持ち、口から渦巻きが出ていて、何か話しているようです。)

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 (Vista al norte, Monumento 21 en frente)

東を向いたモニュメント21 の先には北のグループA の土塁も見えてきます。 グループC もグループB も全てイルシオネス農場 (Finca Ilusiones)  のサトウキビ畑の中で、畑の下には古典期に栄えたコツマルグアパの遺跡が眠っている訳です。


チアパス州からグアテマラ南部、東はエルサルバドルにかけて、マヤの時代、重要な交易品であるカカオの主要な産地でした。 この肥沃な大地 を利用してコツマルグアパでは19世紀にコーヒー栽培が行われ、遺跡の発見に繋がりますが、これは次の段落で。



ベルリン民族学博物館   Museo Etnológico de Berlin

ベルリンというとドイツの首都ですが、何故ここにコツマルグアパの石造物があるのでしょう?

19世紀の中頃 コーヒー栽培を行う為に森を切り拓いていく中で大量の石造物が折り重なるような形で見つかります。 こればコツマルグアパの ビルバオ地区で、グループA 東側のモニュメント広場と呼ばれる一角でした。 この事は早急グアテマラの専門家の調査を経て 世の中に 発表される事になります。

特異な彫刻が施された数多くの石造物は当然内外の関心を集め、最終的にはドイツの博物館に買い取られたようです。 発見された40点の 大半が 1876年から 10年かけて太平洋岸のサン・ホセ港からドイツに船積みされます。 運び出すにあたっては特殊な鋸で基部を切り落とし 表面を剥いでいった為、著しく破損されてしまいますが、現在は修復されて ベルリン民族学博物館に展示されています。

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                      (Sala Mesoamérica de Museo Etnológico de Berlin)

ウェブ検索をして展示室の写真を見つけました。  8回ベルリン・ビエンナーレ と言うページで、他に良い写真が無いのでお借りします。 展示室の写真には、8本の石碑のうちの 6 と 3、 広場中心にあった骸骨が彫刻された石の容器のモニュメント26の他、モニュメント13 と15 と思われる石造物も確認できました。

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 (Estelas 1 - 4 de Bilbao)
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 (Estelas 5 - 8 de Bilbao)

ベルリンに持ち出されたのは40本の内30本位のようですが、最も重要なものの中に上の写真にある2本を含む8本の石碑があります。  ウェブで チンチーリャ氏の論文 が 公開されていて 8本全ての大きな模写があります。 関心のある方はそちらを参照ください。 表面を剥がれて石碑の形になっていますが、 元は厚さ 70cm ある柱だったそうですから、石碑と言うよりモニュメントと言った方が正しいようです。

モニュメント1 (石碑1)は首を切り落としている図柄ですが、他のモニュメント2-8 は球戯者の姿をした人物が祖先や神に捧げものを する場面が描かれていて、全体としては遺跡に残されたモニュメント21 と同様のメッセージが込められたものと思います。

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 (Estela 3 de Bilbao)

Wikipedia のビルバオのページにモニュメント3 の写真があり、模写と対比させてみました。 腰に球戯のヨークを付けた人物が 顔が描かれたカカオの実を天上の太陽の神に捧げている場面と考えられます。 右側に小さく描かれた超自然の姿をした死の神?も 人頭の捧げものをしています。


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 (Gran roca colocado en el parqueo del Museo)

一度ヨーロッパの博物館巡りをして、ベルリンに寄ってみたいところですが、まずは地元の博物館でビルバオからの発掘物の確認です。  博物館に着いて、向かいの駐車場で車を降りると、近くに大きな石の塊が転がっています。 周りにゴミが捨てられていましたが、よく見ると 石は彫刻が施されています。

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            (Réplica del Monumento 17 perdido en el mar ?)

少し見やすく画像処理しましたが、これがその石造物です。 1886年のベルリンへの最後の船積では 最も美しいと言われた ワシの石 と呼ばれるモニュメント17 を誤って水没させてしまい、これは 現在も深さ 20m 近い海の底に眠っているそうです。

残された模写と見比べるとまさしくこれがモニュメント17 なのですが、海中から引き揚げられたと言う話はありません。 これは模写 から作られた複製だったでしょうか? 美しいワシの石という事ですが、模写を見ると 優雅に羽を広げたワシが嘴で銜えているのは生贄の 人の体です。



コツマルグアパ文化博物館   Museo Cultura Cotzumalguapa
                      ( Museo de la Finca Las Ilusiones )

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 (Jardín delantero y exterior del museo)

さてここからコツマルグアパ文化博物館、別名イルシオネス農場博物館です。 前述の通り遺跡発見当時の重要なモニュメントは 国外に流出しましたが、その後 発見されたビルバオ地区からの遺物が ここに集められています。 平日は昼休みは無い筈でしたが、 管理人が昼休み休憩で閉まっています。 止む無く前庭に並べられた石造物を見ながら管理人の戻りを待ちました。

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 (Monumento 18 de Bilbao)                  (Monumento 34 Tlaloques) 

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 (Monumento 11 La Gran Estela)                (Monumento 90 de Bilbao)

屋外に展示されていたので、複製だと思いましたが、どうやら本物のようです。

モニュメント18は人物が3人表された立派な石碑でエル・カスティーヨの石碑1のB面と似た場面が彫られているそうです。  本物ならもう少し真面目に撮影したのですが…。  壁龕に二人の肖像が刻まれた石造物は遺跡で見たモニュメント93の複製かと思いましたが、 後でよく見てみると二人は丸眼鏡を付けており、トラロック人と呼ばれる別のモニュメント34でした。 という事はこれも本物。

大きな石碑と題されたモニュメント11 は石碑の一部で、下の部分は模写は残るものの実物は行方不明だそうです。 モニュメント90は ヘビの口から出現する女性が表されており、あまり古色を帯びていないので複製のように見えますが、これも本物のようです。

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 (Museo Cultura Cotzumalguapa)

間もなく管理人が昼食から戻ってきてめでたく入場と相成りました。 入り口の上には農場の名前ではなく ”コツマルグアパ文化博物館” という看板が掲げられています。 イルシオネス農場の元の所有者が 1996年にオープンさせた私的な博物館でそうです。

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 (Exhibición de Réplica de Monumento 21)

狭い博物館のスペースには石造物を中心にしたコツマルグアパの遺物が所狭しと陳列してありますが、中央奥の左側にはサトウキビ畑で見た モニュメント21 の複製が展示されています。 実物大ですが FRPで出来ており、遺跡で実物を見た方が感動します。

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 (Reconstrucción de parte norte de Plaza Monumental)

博物館の正面突き当りにはモニュメント広場北側の遺構を出土物で再構成してあります。 モニュメント広場は19世紀に 8本の石碑を含めて大量の石造物が発見された場所ですが、その北側で発見された石造物の展示です。

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  (Monumento 84A)                     (Monumento 84B)      (Monumento 84C)

入口を飾った柱には正面に星を示す記号が彫られ、周りは臼歯や犬歯で縁取られていて、入口は地下世界へ繋がる怪物の口として 表現されていたようです。

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 (Monumento 85 Escalón con figura del Dios de la Muerte, y su calco)

柱の奥にあったものでしょうか、死の神が中央に掘られた階段ステップ、モニュメント85 が、拓本と共に展示されています。

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 (Monumentos 82 y 83 Paneles de la vida y muerte)                        (Monumento 83)

同じく広場北側から見つかった2枚のパネルで、両者とも同じ被り物を付けており、左は生きている王、右は死せる王が表現されている と考えられます。

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                            (Monumentos 86 Pequeño Jaguar)

周辺からはこの小さなジャガー像も見つかっていて、正面を向いて両手を前に出したポーズは、エル・バウルのモニュメント14  大ジャガーを思い起こさせます。

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 (Monumento 55A)

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 (Monumentos 55B, 55C)

柱の遺構に繋がる階段ステップを飾った彫刻で、中央に死の神が正面や横を向いて刻まれ、両側は半円の模様で飾られていました。  モニュメント55A、55B、55C です。

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     (Monumentos 59 Trono del Dios de la Muerte)

階段ステップ、モニュメント55の近くで見つかった、小さな腰掛けのようなモニュメント59 です。 上面には全身像の死の神が 彫られていました。
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 (Monumentos de Golón)

中央奥の右側、モニュメント21 の複製の反対側にも 柱が建てられた一角があります。 柱ははビルバオでも中心部から 500m 以上東に離れた ゴロンと言う地区からのもので、ゴロンからは祭壇ひとつを含めて計3点の展示があります。

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  (Monumento 2 de Golón)                     (Monumento 3 de Golón)

ゴロンのモニュメント2 と 3 は戸口を支えた一対の柱と思われ、側面上部にある窪みから、上部には まぐさがのっていたと思われます。  両方ともヘビの頭で表される暦の記号がふたつづつ刻まれ、併せて4のヘビを示すようです。 ヘビの口からはモニュメント2 は 花をつけた植物の蔓が、モニュメント3 は火の炎がそれぞれ現れ、側面を含めた柱のその他の部分を埋め尽くしています。

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   (Monumento 1 de Golón)
ゴロンのモニュメント1 は円形の祭壇で、ジャガーと、9 の死が描かれていました。 右は横に置かれていた拓本を撮ったものです。

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 (Monumento 63 y 63K El Sacrificio por el Desmembramiento)

グループA とモニュメント広場をつなぐ階段から、生贄でバラバラになった体の部分が彫られたパネルが18枚見つかっており、これは その内の2枚です。 左は頭部と腕がバラバラに彫られ、右は上に髪が伸びた頭部が彫られますが、逆さに置かれていたのかもしれません。

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                  (Monumento 78 Perfil de un personaje adusto)

大きな被り物を付けた人物の横顔が彫られたモニュメント78 はグループA と B の境界辺りで見つかったもののようです。

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 (Monumento 91 Las Serpientes Entrelazadas)      (Monumento 80 El Torso Esquelético)

モニュメント91 は二匹のヘビが絡み合った彫刻ですが、左側のヘビは頭がワニになっていて右のヘビに噛みつかれています。  モニュメント80 は 頸椎から胸郭、腹部の骸骨の上半身です。 横に寝かせた形で祭礼に用いられ、腹部の穴に、 生贄の体の部分を収めたのでは、という見方もあります。

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 (Monumento 58 El Barrigón)               (Monumento ?  Espiga Marcador)

モニュメント58 は先古典期のグアテマラ南部で良く見られる”太鼓腹(バリゴン)”と呼ばれる様式ですが、 発掘状況から古典期後期にも信仰の対象として広場に置かれていたと考えられ、考古学的に数少ない例になるようです。 出所は モニュメント55 の階段ステップが見つかった モニュメント広場の北の階段になるようです。

右のモニュメントは博物館に番号プレートが無く、資料にも記載がなく詳しい事がわかりません。  チアパス地方博物館でそっくりのもの が、先古典期中期のイサパ近郊からの石造物として展示されていましたが、もしこのモニュメントがビルバオからだとすると、 先古典期のイサパとの関連で、非常に興味深い所です。

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 (Monumento 42 La Estela Preclásica)          (Monumento 28 El Bulto Mortuorio)

モニュメント42 は先古典期の石碑と呼ばれ、花崗岩製の貴族が刻まれた石碑の下半分です。 モニュメント広場に繋がる 堆積所に打ち捨てられていたようで、エル・バウルの石碑エレラ同様 先古典期後期にあたる 紀元1世紀頃の石碑になり、コツマルグアパが 先古典期にも地域の中心として繁栄していた事を物語る資料になるようです。

エル・バウルにもありましたが、胸の前で腕を重ね合わせる図柄のモニュメント28 です。 円筒型で上部に窪みがあり、埋葬に用いられた もののようです。


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 (Sala principal de la exhibición)

以上でコツマルグアパ文化博物館の主だった石造物のモニュメントを紹介しました。
写真の通り 博物館には まだ中央のスペースに 8つ の展示台と左右に 2つづつ 計4つのショーケースがありますが、大分長くなったので、 後はざっと写真で紹介していきます。

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 (Monumento 79 Altar Circular)               (Monumento 87 Un Diseño Cruciforme)

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 (Cabezas Humanas y Pocha de Cacao)           (Segmentos Cuerpo Humano)

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      (Hongos y Manos)

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      (Objetos de Cerámica)

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      (Objetos Líticos)

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      (Cerámicas)

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  (Cerámicas)



以上 コツマルグアパの エル・バウル地区と ビルバオ地区を 遺跡エリアおよび出土物を集めた博物館の見学を通じて 可能な限り詳細に見てきました。

先古典期の痕跡も残す コツマルグアパですが、古典期 前期には一度衰退しており、繁栄を取り戻した 古典期 後期に他に例を見ない 特異な文化を独自に発展させたようです。 古典期マヤの崩壊後、コツマルグアパも 950年頃には衰退していきますが、コツマルグアパが 残した独特の文化は果たしてマヤと言えるものだったのか、暦の記号や独特な図像を見ると、少々頭を傾げたくなります。

コツマルグアパ衰退後に ピピル人やカクチケル人がこの地域に入ったようですが、コツマルグアパの文化を担った人たちが どういう言語を話す どんな種族だったのか、正確なところは解明されていません。


コツマルグアパのあるエスクィントラ県は全く地理不案内で、グアテマラ・シティーの カクテルツアーズ で車とガイドをお願いしました。  土地勘がなければとても一人で行ける所ではありません。

(参考文献 : COTZUMALGUAPA : LA CIUDAD ARQUEOLOGICA, Oswaldo Chinchilla Mazariegos )



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