マヤ遺跡探訪
IXLU

フローレスからティカルへ向かう途中にイシュルという遺跡があります。 フローレスから 23Km、ティカルからは 28Km の所で、 ベリーズへ向かう国道 13号との分岐点にあります。

遺跡を示す看板は錆びだらけですが、首都の民族学考古学博物館にこのイシュルからの石碑の展示もあり、今回ティカルの帰り道に ドライバーに寄り道して貰いました。

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     (訪問日 2015年1月23日)
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イシュル    Ixlú

これは民俗学考古学博物館に展示されているイシュルの石碑1です。 イシュル遺跡は 1921年にシルバヌス・モーレーに発見されたそうですが、 博物館での説明書きにはこの石碑がモーレーによって発見されたと書いてあるので、もう100年近く前に発見されたものになるようです。

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 (Estela 1 de Ixlú, Museo Nacional de Arqueología y Etnología)

博物館の説明文では、石碑の奉納日が 10.1.0.0.0. 3 katunes で、859年 の 10年の切れ目に祝ったものと説明されています。  だとすると正しくは 10.1.10.0.0. になる筈です。 でも wikipedia によれば、石碑1 は 879年、長期暦にすれば 10.2.10.0.0. です。  風化している為に数字が不鮮明なのかもしれません。

何れにせよ石碑1 は 10バクトゥンに入ってからのもので、石碑文化の消えていく古典期終末期にかけての数少ない例のひとつになるようです。  またもうひとつ興味深いのは、石碑に彫られた王の称号にティカルの紋章文字が使われているそうで、10バクトゥンに入る頃にはティカル は衰退期に入り 石造物は確認されていませんが、代わって ここイシュルにその後のティカルの痕跡が…。


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 (Letrero de Ixlú a la esquina)

写真左は、イシュル村でティカル方向へ左へ分岐した所で、右側に古びた金属の看板 (写真右) があります。 茶色く錆びた部分を注意深く見ると 中央に黒く書かれた IXLU の文字が認められます。

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 (Area de estacionamiento y entrada a Ixlú)

看板に従い、右折して 100m 少し行くと、広い駐車スペースがあり、ここがイシュル遺跡の入口。 管理人も管理小屋もなく、勿論 入場料の徴収もありません。

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 (Croquis del sitio)

手書きの遺跡の略図がありましたが、文字や道筋があちこち錆で欠落しています。 簡単にデジタル補修してみました、単にレタッチした だけですが。

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 (Altar 2)

遺跡に入って直ぐ左手に屋根が付いた所があり、中には風化した石造物が保護されていました(写真下)。 石造物は イシュルの祭壇2 で、 簡単な模写に説明文が添えられていましたが、風化の為に暦以外の文字の解読は難しく、右上の王を含めた4名の名前も、 儀礼の中身も解読できないようです。

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 (Plaza Mayor)

北の方に道が伸びているので行って見ると大きめの土塁がありました。 略図で入口 (Entrada) の北で、広場 (Plaza Mayor) と書かれた所にある ピラミッドマークがこの土塁にあたるようです。

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 (Estela y Altar en Plaza Mayor)

土塁の西側になりますが、石材で方形に囲まれた中に石碑や祭壇の残骸らしきものがあります。 ピラミッドマークの左にある ESTELA でしょうか。

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 (Montículo en Plaza Mayor)

これは同じ土塁の北側です。 イシュル遺跡は90年代になって発掘が行われ、150を超す建造物が確認されているようですが、修復された 建物は無く 土砂で覆われた土塁ばかりで、石組みは殆ど見あたりませんでした。

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 (Letrero para Sitio Zacpetén)

土塁の東側に道が伸びていて、写真の 「サクペテン遺跡 4Km 」 の看板があります。 ペテン・イッツァ―湖の東に小さなサクペテン湖 があり、この湖岸の北側から伸びた岬にこの遺跡があるようです。 4Km の徒歩行、未知の場所でガイドも居らず、これは凡そ想定外。 ここは イシュル遺跡だけで。

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 (Montículo II ?)

これは上の看板の北にある土塁で、土塁 II (Monticulo II) にあたるものかと思いますが、正確にはわかりません。

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 (Estela de las gemelas)

上の土塁から北西方向に進むと、石を積んで枠を作った中に倒れた石碑の残骸がありました。  看板に 「双子の石碑」 と書かれており、 人物が2人刻まれていたようですが、全く図像が確認できない状態でした。 石碑の奥にあるのが土塁 III (Monticulo III) だったでしょうか。

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 (Limite norte actual del sitio)

道が北に延びていたので行って見ましたが、柵があって行き止まり。 柵の向こうは樹木が整理された草原になっていて、私有地のようでした。  この先に土塁 IV と土塁 V があったのかもしれません。

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 (Hacia oeste, montículos)

「双子の石碑」 まで戻って西方向への道を辿ると、左に土塁、そして右にも土塁。 建物跡の土塁が沢山ありますが、遺跡の見取り図には記載されていない 土塁のようです。

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 (Mas montículos hacia suroeste)

道は更に南西に延びていて、低層の横長の土塁が続きます。

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 (Mas monticulo largo hacia suroeste)

道はそのまま南西へ。 合成できませんでしたが、2枚の画像は左右に繋がっていて、やはり低層の横長の土塁です。 この辺りも略図には記載が ないので、正確な場所がわかりません。

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 (Camino amplio hacia oeste)

更に西へ道が伸びていて、周りには誰も居ませんが、広い道なのであまり不安も感じず先へ進みます。

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 (Area ondulado con montículos)

道はだんだん狭くなり、起伏のある場所にでました。 起伏は複数の土塁で、建築複合のようです。

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 (Montículo de Sacrificios ?)

これが一番大きな土塁になり、後で略図と見比べてみると、「いけにえの土塁」 (Monticulo de Sacrificios) になるようですが、現地では 単に大型の土塁でした。 何故そのような名前がつけられたのでしょうね?

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 (Patio ?)

大きな土塁の南側です。 多分建物に囲まれた中庭だったのではないかと思いますが、何が何だかわからず、南へ下っていくと一般道に 出てしまい、遺跡として保護されている区域はここまでのようでした。


看板だけ見て前々から気になる遺跡だったので行って見ましたが、結果はあまり見るべきもののない遺跡でした。 でもそうわかったので 取りあえず納得です。


イシュルには碑文が刻まれた石造物があり、古典期後期から古典期終末期に繁栄していたマヤのセンターでしたが、引き続き後古典期後期 までセンターは維持されて コロニアル時代を迎えます。 しかしタヤサル等のペテン・イッツァー湖周辺は最後までスペイン人に屈服しなかった地域で、 イシュルもこの地にあって最後まで抵抗をつづけ 1697年になって最終的にスペイン人に征服されたようです。




サクペテン   Zacpetén
ティカルの案内所でガイドの人からイシュル村の分岐点にイシュルの石碑が保護されていると聞き、タクシーの運転手にその旨を伝えて連れて行って 貰いました。

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 (Casa que alberga Estela y Altar de Zacpetén al lado del camino hacia Tikal)

分岐点の三角地帯の中に写真の木造の建物がありましたが、管理人はおらず、扉は施錠されていて外から覗くことになり ました。 でも イシュルの石造物ではなく、遺跡で案内の看板があったサクペテン遺跡のものでした。

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 (Panel de Explicación para Estela 4 y Altar 1 de Zacpetén)

これは壁の隙間から覗き込んで撮った石碑と祭壇の説明プレートです。 左は 820年 (9.19.10.0.0) の石碑4、右が 849年 (10.1.0.0.0.) の祭壇1 です。  イシュルの石造物と全く同時代のもので、4Km 離れている訳ですが、果たして独立した二つのセンターだったのか、 それとも同じセンターだったのか? 石碑4 はイシュルの石碑2 と全く同じカトゥンを祝ったものなので、取り敢えずそれぞれ独自性を 持っていたのかもしれません。 下は壁の隙間にコンデジのレンズを差し込んで 無理矢理 撮った現物の写真でした。

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               (Original de Altar 1 y Estela 4)




次は久し振りのホンジュラス・コパン遺跡を紹介していきます。 最後にコパンに行ったのはもう12年近く前の 2003年でした。 その後 新たに公開された地域を含めて、コパンの最新情報をお伝えしていきます。



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