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TLAXCALA    トラスカラ州
メキシコで最も小さい州ですが メキシコ市(連邦区)とメキシコ州に近く、テオティウアカン衰退後に栄えた 極彩色壁画のある カカストゥラ遺跡や、アステカ時代にテノチティトゥランの三国同盟と花の戦争を戦い、スペインの進軍の経路にもなった後古典期 の遺跡など、興味深い遺跡があります。

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CACAXTLA   カカストゥラ

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何はさて置き まず壁画を見てみます。 700-800年頃の壁画、絵の出来栄え、保存状態、驚きです。
建物A入口の左右の壁に1対の壁画があり、この右(南)の壁画はイーグル戦士に扮した人物?像。

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左(北)はジャガー戦士に扮した人物像。 蛇の代わりに猫の頭をしたトカゲの上に立っています。

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入口左右の壁にあるジャガーとイーグルの戦士。  建物Aは大基壇北東の二重の覆いの下です。

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カカストラはトラスカラ州南部で、メキシコ-プエブラの高速から看板にある大きな覆いが見えます。

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650-900年頃繁栄したオルメカ-シカランカ族(多民族の混合)の街で、カンペチェが出自と言われます。

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大基壇南西部 金星の神殿にも彩色壁画。    赤い神殿の階段横にある壁画 動植物の図柄です。

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通路横には骨壷(レプリカ、写真左)が嵌め込まれています。 実物(中、右)は遺跡併設博物館。

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大基壇(南北200m)の北側には東西に戦闘の壁画が広がります。 650-700年頃と建物Aの壁画より古く、階段の両側 22mに 及ぶ壁画にはジャガー軍がイーグル軍を殲滅する場面が生々しく描かれます。 1975年に盗掘からこの戦闘の壁画が発見され カカストゥラが広く世に知られるようになりました。

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階段左側が戦闘シーン。 イーグル軍の指揮官が取り囲まれ槍を突きつけられています。

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階段右は残虐な殺戮シーン(上の大きな画像)。顔に矢が刺さったイーグル戦士(左)とジャガー戦士。

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倒れたイーグル戦士の腹からは内臓が飛び出して。 戦闘の壁画は小屋根と保護のガラスの中です。

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戦闘の壁画の裏手にある鳥小屋、交易品の鳥の為? 建物Aイーグル戦士の右側にはケツァール?

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カカストゥラは大基壇だけではなく、周りには修復されたピラミッドがひとつありますが、他は右の写真のように未発掘です。  カカストゥラの直ぐ西側にはソチテカトゥル遺跡がありますが、同時代の遺跡のようですから当時は繋がっていたのではと思います。  壁画の類似性からマヤとの関係が指摘されるカカストゥラですが、オルメカ-シカランカ族の出自がユカタン半島のカンペチェ州 だからでしょうか。


MUSEO DEL SITIO   カカストゥラ遺跡併設博物館

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遺跡入口近くに博物館があり、出土物が展示されています。

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ヒスイの装飾品と黒曜石のナイフ。

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建物を飾った彩色された漆喰装飾の断片。

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98年に発見された 11人の人物像も展示されています。 そして上の方で紹介した彩色彫刻の骨壷も。



XOCHITÉCATL   ソチテカトゥル

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カカストゥラ遺跡の直ぐ西側にあるソチテカトゥル遺跡、遺跡に入ると まず 渦巻きの建物があります。  ピラミッド上部に延びる階段は無く 渦巻きを螺旋状に登りました、現在は金属製の階段がありますが。

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渦巻きの建物が西で、東端には花のピラミッドと蛇の建物があります。 右の写真は花のピラミッド。

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花のピラミッドの基壇は 100x 140m とテオティウアカンの月のピラミッド並みです。 写真左はピラミッド中段から見た上部で、 階段下の二つの石製の甕は水が張られて天体観測に用いられたようです。

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花のピラミッド上部、神殿跡の柱越しに渦巻きの建造物が見えます。 反対側(東)には谷越しにカカストゥラの大基壇があり、 奥の山は活火山のマリンチェ。 ソチテカトゥル自体 死火山の上にあります。

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南のチョルーラ遺跡に向かって礼拝する夫婦がいました。 南西にはメキシコ最高峰のポポカテペトゥル山(左)とイスタシウァトゥル山 があって、火山に囲まれています。 手前は蛇の建物。

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蛇の建物は基壇だけで、西側には花のピラミッド同様に石の甕があり、中に折れた石碑がありました。

ソチテカトゥルはカカストゥラより古く紀元前から街があったようですが、テオティウアカン衰退後はカカストゥラ同様 オルメカ-シカランカ族の街となり、トルテカ人の隆盛に伴い衰退していったようです。


MUSEO DEL SITIO   ソチテカトゥル遺跡併設博物館

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極彩色壁画のカカストゥラより地味ですが、数々の副葬品が発掘され博物館に展示されています。

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女性の土偶が数多くあり、切り取られた腹部に子供が入れ子になった土偶は多産を祈願したもの。

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遺跡併設博物館の庭には遺跡から出土した石造物が展示されています。



OCOTELULCO   オコテルルコ

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教会を見つけましたが遺跡は閉まっています。 でも警備の人に頼んで見せてもらいました。

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教会の一角が博物館で祭壇のある建造物の模型がありました。 実物は写真左の小屋の中です。

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保護の小屋のドアをくぐると中にこの極彩色の見事な祭壇があります。 1450-1500年頃のもの。

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オコテルルコは12世紀に築かれ15世紀にはトラスカラ州の中心的な存在でスペイン人を迎えます。

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祭壇正面(南面)と拡大写真。 ナイフで縁取りされた四角の中は生贄の戦士のようです。

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祭壇の東側面。  祭壇背面のベンチが 7m x 64cm なので 祭壇は 1m位の高さでしょうか。

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オコテルルコは彩色土器でも有名で、デザイン、色、形に優れた土器が博物館にありました。

コルテス軍はテノチティトゥラン進軍の際 トラスカラに至ります。 当初 オコテルルコはティサトランと共にコルテス軍と 戦いますが、和睦してテノチティトゥラン攻略に参加します。 インディオ社会からすると売国行為ですが、花の戦争で テノチティトゥランには常に痛めつけられてきたので止むを得ない事だったでしょうか。



TIZATLÁN   ティサトラン

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チョルーラに圧迫されたオコテルルコの人々が 14世紀築いた街だそうで、遺跡の一角に最後のシコテンカトゥル王の像があります。

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遺跡は発掘、整備され公園になっています。    彩色された祭壇が この建造物の裏側にあります。

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これがその裏側で、柱で囲まれて一畳分位の祭壇(高さ 50cm位?)がふたつあり、側面に極彩色の壁画が残されています。

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様々な神が髑髏や心臓と共に描かれ、ふたつの祭壇はそれぞれイーグルとジャガーの戦士の叙任に使用されたそうです。

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冒頭のシコテンカトゥル王ですが、コルテス軍に敵対するも 周囲の説得で和睦を受け入れ、1519年にコルテス軍がティサトランに 入場します。 コルテスのテノティトゥラン征服にはシコテンカトゥル王もトラスカラ族を率いて従軍しますが、 1521年テスココ従軍中に 反逆の罪で処刑され、スペイン軍に対する愛国の士、英雄となります。


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