マヤ遺跡探訪

MUYIL
トゥルム南の海岸沿いにユネスコの世界自然遺産に登録されているシアン・カーン自然生物保護区が広がり、 その最北部にムイル遺跡があります。

保護区は総面積 5280㎢ に及び、110Km もの海岸線を持つ広大な地域です。 大半が低湿地で大きなマヤ遺跡はありませんが、 20 を 超える小規模な遺跡が点在し、その中で一番大きなものがムイル遺跡という事になるようです。

後古典期まで街は維持されていましたが、その成り立ちは古典期に遡り、ピラミッド建築にはペテン様式が見られ、 当時の漆喰装飾も残される興味深い遺跡です。

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2004年に初めて訪問して以降少しづつ修復が進み、行く度に遺跡の様子が変わっていて、今回全面的に書き換えをしてみました。 修復が進み訪問客が増えると立ち入り禁止区域が増えるのが常ですが、幸い立ち入り禁止がなかった 2004年の写真が手元にあり、 今では立ち入れない所も含めて遺跡の紹介をしていきます。

ムイル遺跡はトゥルムの南西約 30Km に位置し、カンクンからは 150Km 以上、車で2時間位かかりますが、一見の価値があるマヤ遺跡です。

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  (訪問日 2004年8月23日、2014年1月18日、2017年2月2日、2019年4月25日)

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  (Area de Muyil y Tulum por Google Earth)

Google Earth で見たトゥルムからムイル付近です。 海岸線に面したトゥルムから国道 307号を南西へ下るとムイル遺跡の表示があり、 遺跡は国道のすぐ近くです。 細長いチュンヤスチェ湖に隣接して小さな丸いムイル湖があり、遺跡の名前はこの湖からとられています。 この地図ではわかりませんが、ムイル湖からチュンヤスチェ湖を通って海岸に出る細い水路があり、マヤの時代は交易船が行き来していたようです。

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          (Mini-guide de Muyil, versión 1991)

ムイル遺跡の資料は少なく 2004年に初めて来た時はこのミニガイドが唯一の手掛かりでしたが、その後も Arqueologia で特集される事もなく、 辛うじてユカタン、キンタナ ロー特別号 (Arqueologia Edicion Especial #21 )で僅かに触れられる程度で、現地に設置されている説明プレートや wikipedia の情報が貴重な資料になります。 (ミニガイドは 1991年版で内容的には古いですが、写真は修復前の姿を伝える興味深い資料になります。)

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  (Recepción de Muyil, 2019)

それでは遺跡へ。 車を停めて遺跡に向かうと直ぐに受付があり、初めて来た時は暗いマヤ民家でしたが、その後建て替えられて明るく開放的な受付に生まれ変わっています。 遺跡の入り口にはドローン禁止の標識があり、時代を感じされられました。 右がその標識です。

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  (Hacia Plaza de la Entrada)

受付の建物の裏側から緑の芝生と散策路が整備された遺跡エリアが広がり、遺跡の地図があります。 現地に置かれた遺跡の説明板によると MUYIL A と MUYIL B のふたつのグループがあり、公開されているのは祭祀センターを含む MUYIL A で、別に北東 2Km の所に MUYIL B があるそうです。

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北を上向きにして地図を加工しました。 現在地は赤丸の所で、南東側に広がる 「入り口の広場」 (Plaza de la Entrada) から見ていきます。



PLAZA DE LA ENTRADA  入り口の広場

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  (Plaza de la Entrada en 2019)

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  (Estructuras restauradas)

写真上が 「入り口の広場」 の現在の姿で、右側にはまだ未修復の大きな土塁が残されます。 ここがムイルの祭祀センターで、 ピラミッド基壇が 10 あるそうですが、崩れた部分も多いのでどれを指して 10 と言うのかよくわかりません。 下の2枚の写真は修復が済んだ主だった建造物です。

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  (Plaza de la Entrada en 2004)

こちらはムイルに初めて来た 2004年に撮った写真で、中央の低層の建物以外は殆どが瓦礫の山でした。
ムイルでは 1997年に初めて調査修復に着手され、2012年からは毎年少しづつ修復活動が続けられているそうですが、 2004年時点では 「入り口の広場」 は低層の建物に保護の屋根が付けられた以外はまだ殆ど未修復の状態でした。

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           (Bosquejo de Plaza de Entrada)

地図から 「入り口の広場」 の部分を拡大しました。 濃い灰色で塗った建物は崩れた土塁から修復されたもので、 オレンジ色にした建物は保護の屋根を取り外して屋根の部分が修復された建造物 7H-3 です。

修復された大きなピラミッド建築はペテン様式の影響を受けた古典期 (250-800AD) のものになるようですが、 ここでは後古典期 (1000-1500AD) のより新しい建造物ですが修復の度合いの少ない建造物 7H-3 を詳しく見てみます。

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  (Estructura 7H-3 en 2004)

これが 2004年時点での建造物 7H-3 で、中まで自由に入る事が出来ました。 1991年版のミニガイドには保護の屋根のないほぼ同じ状態の遺構の写真があり、 500年以上前の建物が修復無しでこの状態で残されていたものと思います。


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  (Fachada principal antes de restauración, foto en 2004)

建物正面開口部を支えた円柱は上の方が失われ、開口部から奥の神殿までの天井が喪失されていますが、 外壁と天井の多くが風化を免れていた事になります。

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  (El interior, foto en 2004)

そして内部神殿の脇柱にはマヤブルーで彩色されていた跡がはっきりと残ります。

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  (El interior : Las columnas, entrada del templo interior, puertas de iqzuierda y derecha)

写真左上は建物内部から見た入り口の円柱で、前後に2本づつ合計4本の円柱で開口部が支えられていました。 右上は内部神殿の入り口で、 漆喰の下塗りがかなり残り右脇柱にだけ彩色が残ります。 内部神殿は回廊で囲まれ左右の外壁には戸口が設けられていました。 写真下は内部神殿前から見た左右で、それぞれ外壁の戸口が見えます。

内部神殿を後からより大きな建物で包み込む建築様式は東海岸特有のもので、トゥルムのフレスコ画の神殿を始めとして、 シェルハ、カリカ、プラヤカルなど東海岸一帯で見られます。 詳しくはこちらで。  規模、質共にトゥルムのフレスコ画の神殿には及びませんが、ムイルの建造物 7H-3 も同じ流れを汲む建築様式です。

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  (Estructura 7H-3, despues de restauración, foto en 2019)

これは修復後の建造物 7H-3 の現在の姿、入り口の円柱を継ぎ足して天井が閉じられています。 2014年に来た時は建物は未修復でしたが、 既に手前にロープが張られて内部に立ち入る事は出来ませんでした。 2014年以降に現在の形に修復され、 残念ながらもう建物の中には入れませんが、近づいて中を覗き込むと内部神殿のブルーの彩色は確認できます。

後ろに修復されたピラミッド型の建造物は古典期に遡るものですが、後古典期になってその前方に 7H-3 が追加された事になります。 左側にも新たに修復されたピラミッドと小神殿があり、ピラミッドは古典期、小神殿は後古典期の様式です。 右側のふたつの大きな土塁はサイズ的に古典期のペテン様式のピラミッドのように見え、「入り口の広場」 は古典期から大きなピラミッド建築が立ち並ぶムイルの 祭祀センターとして用いられていたようです。 後古典期なっても新たな建造物が追加されて祭祀センターは維持され、 ムイルの街は引き続き繁栄を続けたようです。

ムイルは古典期前期にはグアテマラペテン地方や、キンタナロー南部、ベリーズ北部の影響を受けますが、古典期後期には強大なコバの支配下で 交易の拠点となり、その後チチェン・イッツァ、そしてマヤパンの時代も海洋交易の重要な拠点として機能し続けたようです。



EL CASTILLO 8I-13  カスティーヨ

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  (Camino hacia El Castillo 8I-13)

「入り口の広場」 を後にして東の方へ進むとムイルで一番高い建造物 8I-13 「カスティーヨ 」 が見えてきます。

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  (El Castillo y los basamentos cuadrados en frente, foto en 2004)

これが西を向いたカスティーヨの正面で、手前に4つの矩形の低層基壇を伴います。 カスティーヨは基壇に切り込みの入った ペテン様式で古典期の建造物とされますが、低層の基壇は後古典期に追加されたものでしょうか? 何処にも説明が見つからず不詳ですが、 ピラミッドを前に祭祀が執り行われた跡でしょうか?

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  (El Castillo, foto en 2014)

鋭角的に聳えるカスティーヨは高さ 17m で、トゥルムを含めて東海岸地域では最も高い勇壮な建造物になり、大きな写真を載せました。 写真は 2014年に撮ったもので、中央階段の下にはロープが張られてもう登れなくなっていました。

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  (El Castillo, foto en 2004)

2004年に撮った同じ正面の写真です。 ミニガイドの表紙にあるカスティーヨの写真では中央階段が土砂に埋もれた状態でしたが、 1998年の発掘で多くの発見があり、カスティーヨがまず優先的に修復が行われたようです。 中央階段前にはまだロープが無く、中央階段を三層目の基壇上まで登る事が出来ました。

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  (Templo superior vista desde tercer cuerpo, foto en 2004)

カスティーヨの調査では異なる二度の建築時期が確認され、初めに三層の基壇と上部神殿が築かれ、 後に上部神殿を覆って更に二層の基壇が積み重ねられたそうです。 最上部になる五層目には二重の神殿の間に中空の円筒形の構造物が作られ、 円筒はセイバの幹のように棘を模した突起が張り付けられていたと遺跡の説明板にありました。 写真は三層目に登って五層目を見上げた所で、 円筒は見えますがどれが棘を表す突起物なのか?

このような円筒形の構造物は他では見られない独特なもので セイバを表す土製香炉を模した物のようですが、 灯台の役目を持っていたとか、天文観察が行われたとか、いろいろな推察がなされるようです。

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  (Subida al tercer cuerpo de lado frontal y trasero, foto en 2004)

上の写真を撮った時の様子がビデオに残っていたので切り出してみました、左の画像です。 こうして遺跡の中を自由に動き回れるのが遺跡訪問の醍醐味なのですが…。

右の画像はカスティーヨの裏側(東側)で、三層目に掛けられた梯子を登る様子が確認出来るでしょうか。 同じくピデオから切り出しました。 古典期の漆喰装飾は梯子を登って開口部の中です。


カスティーヨは初めに三層の基壇と上部神殿が築かれ、後に二層の基壇が積み重ねられた事は上述の通りですが、 建築当初の上部神殿を飾った漆喰装飾が 1998年の発掘の際に発見され、ここに一対のサギと思われる鳥の漆喰装飾が残されていました。

カスティーヨはその後全面的に修復されますが、幸いな事に2004年にはまだ三層目まで登り漆喰装飾を間近に見て写真に収め、更に古い内部神殿の中まで入る事が出来ました。 内部神殿表面と漆喰装飾は 2013年頃に保存の為に新しい壁で覆われ、現在遺跡で遠くから目にする漆喰装飾はレプリカなので、 2004年に撮った写真はオリジナルの貴重なものになりました。

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  (Original decoración estucada de las Garzas y fachada principal ya enterrada para preservación)

これがその貴重な写真です。 上が内部神殿上部を飾ったサギの漆喰装飾で、下はこれに続く内部神殿の入り口で奥に更に居室の入り口が見えます。 現在はここまで登れませんし、許可を取って登ってもオリジナルはもう見る事は出来ません。

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  (Puerta de cuarto interior y techo de boveda falsa)

左は内部神殿内の居室の入り口、右は内部神殿に入った所の天井部分で逆Ⅴ字型のマヤアーチです。

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  (Dos Garzas originales, foto en 2004)

二羽のサギの詳細。 1000年を超えてこうしたデリケートな漆喰装飾が今に伝えられたのは大変貴重でしょう。 オリジナルはやはり迫力があります。

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  (Panel que explica re-enterramiento)

1998年に発見された内部神殿と漆喰装飾は屋根が付けられたものの風化は避けられず、2013年に保全措置が取られ 2014年には埋め戻されます。 2017年に訪れた際、この保全措置の詳細がパネルで説明されていました。 ただこのパネル、2019年にはもう掠れて説明が読み取り辛い状態で、 厳しい自然環境を思い知らされます。

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  (Dibujo en el panel que visualiza re-enteramiento)

イラスト付きで説明されていますが、内部神殿は手前に厚さ 40cm の新しい壁で覆われ、漆喰装飾の部分は保存の為の箱が設置されて 内部に適度な湿気を保つように半透過性の繊維シートを敷いて埋葬?されています。 これで漆喰装飾は未来に残される事になりますが、 もう直接目にする事はできません。 代わりに新しい壁面上部には合成樹脂製のサギのレプリカが設置されました。

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  (Réplica de Templo superior y las Garzas, foto en 2019)

これは 2019年に望遠レンズで修復された内部神殿を撮ったもので、内部神殿はオリジナルより手前に 40cm 迫り出し、サギの漆喰装飾は 四方がビス止めされた樹脂プレートのレプリカです。

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  (Lado trasero de El Castillo, foto en 2019)

下から見上げるとピラミッドが寸詰まりになってしまいますが、内部神殿がこんない高い所になり、よくもまあこんな所まで攀じ登ったものだと 今更ながらビックリです。

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  (Lado suroeste de El Castillo, foto en 2014)

最後に南西側から見たカスティーヨの写真。 カスティーヨが最も美しく見えるアングルのひとつです。 カスティーヨの写真は太陽が西から射し込む午後がお薦めです。



SACBE 1  サクベ 1

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  (Inicio de Sacbé 1 en 2019)

カスティーヨの裏側にサクベ1 の説明板があり、東の方に道が伸びています。 サクベ(白い道)はマヤの人工的に作られた道で、 カスティーヨからムイル湖まで 130m のサクベ1 が作られていたそうです。

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  (Caseta para Sian Ka'an)

いつも素通りしていたので、どんな所かと行ってみました。 写真右側の案内板の後ろにある小屋で入場料の徴収があります。

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  (Sendero Canan Ha)

ムイル湖へ抜けるルートの地図で、 道の中ほど とムイル湖に出た所の2カ所に見晴らし台があります。

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  (Observatorio y Laguna Muyil)

こちらが途中にある見晴らし台で、階段を登っていくとムイル湖が見渡せます。

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  (Embarcadero a la orilla de Laguna Muyil)

そしてムイル湖畔です。 マヤの時代の交易船の船着き場は現在はエコツアーの出発地点。 サクベ 1 には考古学的に見るべきものはなく 遺跡目的ならあまり来る必要のないところでした。



PARTE NORTE DEL SITIO  遺跡北側

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  (Hacia parte norte de Muyil en 2019)

さて遺跡に戻りましょう。 カスティーヨの北側に建造物 9K-1 (神殿 8) の標識があり、サクベが北へ伸びていて北のエリアを結んでいます。 サクベ 3 になるでしょうか。

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  (Lado trasero de Estructura 9K-1 en 2019)

サクベの先に北のエリアの中心になる建造物 9K-1 が見えてきて これはその背面です。 北のエリア全体は低い石垣に囲まれていて、 後古典期後期に建設されたエリアになるそうですが、入り口の広場と異なり低木で囲まれていて周囲の石垣がどれなのかよくわかりません。 古典期に遡る土器等も発見されており、建物の基壇は古典期に既に建設が始まっていたのか、 増改築の跡は見られるようですが。

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  (Lado noroeste de Estructura 9K-1 en 2019)

建造物 9K-1 前方に回り込んで、北西側から見た建物とその前の広場です。 中央階段前には矩形の祭壇が設けられています。

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  (Lado principal norte de Estructura 9K-1, en 2019)

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  (Misma estructura en 2004)

北を向いた建造物 9K-1 の正面、上が 2019年、下は 2004年に撮った写真です。 ミニガイドの 1991年以前の写真 と比較してみると余り大きく変わっておらず、小規模な修復で済んだようです。 2004年の写真も 2019年の写真も同じに見えますが、 2004年には階段下にロープが無く、階段を自由の登って上部神殿の中まで入る事が出来ました。

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  (Templo superior de 9K-1, foto en 2004)

という事で階段を登って上部神殿を撮った 2004年の写真です。 入り口を支えた柱は円柱ではなく角柱ですが、入り口の広場の建造物 7H-3 とほぼ同じ造りで、 後古典期の東海岸様式です、基壇の上に建てられている点は異なりますが。

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  (Fachada principal y Templo interior, 2004)

左は上部神殿の開口部、右が内部神殿の入り口です。

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  (Galería interior)

上部神殿に入って左側と右側で、アーチ型天井が残されていました。 9K-1 は別名 Palacio Rosa でピンク色をしていたそうですが、 言われてみればピンク色にも見えますが、既にかなり色褪せていたようです。 元々は赤く塗られていたのでしょうか。

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  (Varios basamentos en frente de 9K-1)

9号神殿前に四方にステップのついた十字型をした基壇があり、左は上から見下ろした所です。 右はその奥にある小建造物です。

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  (Hacia norte a Estructura 9K-23)

更に北方向に道が伸びていて、地図では建造物 9K-23 が記されているので行ってみました。

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  (Parte de 9K-23 ?)

小建造物や階段が残されますが、どれが 9K-23 になるのか見当がつきません。

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  (Piedras planas, estelas erosionadas ?)

周辺に平たい板状の石がありましたが、風化した石碑でしょうか。 入り口の広場に戻る途中にも同様の石板があり、 古典期前期から歴史があるムイルですから、石碑の残骸かもしれませんね。

ムイルで公開されている所はここまでで、入り口の広場へ戻ります。



 


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  (Monticulos grandes que esperan restauración)

ムイルはスペイン人の到来まで繁栄を続けた遺跡でしたが、その最後はどのようものだったでしょうか?  スペイン勢力の侵入を恐れて人々は街を後にしてジャングルに姿を消していったのか、或いは居住を続けて蔓延する疫病で人口を減らしていったのか。

遺跡は後古典期の建造物に古典期の痕跡が顔を覗かせる興味深いものです。 修復が進んで遺跡に直に手を触れられなくなったのは残念ですが、 大きな土塁が修復されたらまた行ってみたいと思います。



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