マヤ遺跡探訪
POMONA
古典期マヤの交易で重要な役割を果たしたウシュマシンタ川はメキシコ・グアテマラ国境の丘陵地帯を抜けてタバスコ州東部の低地に 流れ込みますが、ポモナはその低地に至ったウシュマシンタ川近くに発展したマヤ遺跡です。

パレンケはチアパス州、ピエドラス・ネグラスはグアテマラと、ポモナとは州境、国境で隔たりますが、実際はパレンケが西へ約 50Km、 ピエドラス・ネグラスも南東へ約 50Km とポモナに程近く、当然古典期マヤの歴史の中でもポモナと関連を持つことになります。

州都ビリャエルモサからは 200Km 位あるのでポモナ単独では行きにくく、今回パレンケに腰を据えてタバスコ東部を探索する事に しました。 パレンケからだとポモナへは州道 203号を使い 100Km 程で到着です。
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    (訪問日 2011年11月20日)
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 (Camino hacia Pomoná)

エミリアノ・サパタで州道 203号に入り、45Km 南へ行くとポモナ左折の標識があります。 左折して 3Km 位行くと写真の標識があり、 ここを右折するとすぐ先がポモナ遺跡です。

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 (Vista aerea de Museo del Sitio y Zona arqueológica de Pomoná)

右折した先は未舗装で、曲がりくねった先に遺跡の入り口が見えてきます。 Google Earth 画像で中央左に赤い屋根の建物があり、 これが遺跡併設の博物館で、右下には遺跡が確認できます。

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 (Museo del sitio de Pomoná)

ポモナ遺跡の発見は 1959年と新しく、発掘調査は 1986年に始まっています。 遺跡の修復はまだ一部ですが、その過程で発見された石造物を中心に 写真の博物館が整備されています。 入場料を徴収しても良さそうなところですが、今のところ遺跡も博物館も入場無料です。

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 (Paneles esculpidos exhibidos en el Museo)

博物館に入ると正面にこの一対の石板が展示されています。 これは4号建造物上部の階段手摺に取り付けられていた石版で、 遺跡の重要な遺物が 別の博物館ではなく 地元で見れるのは嬉しい限りです。 博物館の展示物についてはまとめて最後に。

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 (Entrada a Pomoná y hacia Conjunto 1 de Pomoná)

それではいよいよ遺跡へ。 左の写真にある遺跡の受付 (ここで記帳だけします) を後にして右の写真にあるセイバの木へ向かって 一直線。 セイバの木のある所に遺跡あり、です。

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 (Zona arqueológica de Pomoná)

遺跡の看板に辿り着き、大きな石組みが見えてきます。 入場無料の割にとても綺麗に整備されています。

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空からの画像に遺跡地図を重ねてみました。 北の建造物1、西側の中層の複合建造物、東側の低層建造物群で広場の三方が 閉じられ、南側が開かれています。 ポモナでは6つの建造物群が確認され、この修復された部分がグループ1で、 その他のグループは未発掘のまま グループ1の南側に続いているようです。

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 (Gran Plaza y al fondo Edificio 1)

それでは広場に足を踏み入れてみましょう。 広場の南側から階段を3段ほど上がって広場に入ります。 正面には七層の建造物1が見えて きます。

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 (Eificio 1 y al oriente plataformas bajas)

建造物1の正面に小型の矩形基壇の建造物2があり、広場東側に低層の基壇が並びます。

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 (Gran Basamento de Edificios 7-4)

広場西側が大型の複合建造物で占められ、これが向かって左から建造物7、6、5、4になります。

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 (De arriba a abajo, Edificio 7, Edificio 6, Edificio 5 y Edificio 4)

上から順に建造物7、建造物6、建造物5、建造物4。 大きな基壇の上に独立した建造物が4つあったので、別の番号を振って区別され ます。

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 (Templo superior de Edificio 4 con paneles esculpidos sobre las alfardas)

建造物4に登ってみました。 大きな基壇の上に神殿が設けられ、神殿の階段左右の手摺部分に石板が嵌め込まれています。  博物館の入り口正面で見た石板ですが、ここにあるのは複製。

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 (Mismo templo superior con lente tele desde plataformas del lado oriente de la Plaza)

広場の東側から望遠で撮ってみました。  建造物4は古典期前期の中頃に建設が始まり、材料にはコマルカルコと同様煉瓦が 用いられていたそうですが、その後増築されてこの上部神殿が設けられたため、遺跡では煉瓦は確認出来ませんでした。

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  (Detalle de los paneles, Réplicas)

石板の複製を近くで撮ってみると複製の方が実物より図像が明瞭で、中央の太陽神とその下に王位を示す神聖なゴザがはっきりと 確認できます。

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 (Templo superior de Edificio 5)

神殿の設けられた基壇上に南方向に建造物5の上部神殿、建造物6の上部神殿、そして建造物7の上部神殿と神殿が4つ同じ平面上 に並び、これは建造物5の上部神殿。

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 (ETemplo superior de Edificio 6)

そして建造物6の上部神殿。 建造物5と同じ様式です。 共に石板はありませんが、発見の遅かったポモナでは調査発掘以前に かなり盗掘が進んだようで、いろいろな装飾があったのかもしれません。

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 (Templo superior de Edificio 7)

そして一番南側の建造物7の上部神殿。 奥の森の中には更に建造物群が眠るようですが、果たして発掘修復の手が入るのは 何時になるのでしょうか。

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 (Gran Plaza, Panorama con dos fotos unidas)

建造物7の上から広場全体を見下ろしてみました。 写真2枚の合成です。 これだけの規模の古典期マヤの遺跡ですから、 当然球戯場もあった筈で、将来発掘が進めば立派な球戯場がみつかるのではと思います。

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 (Edificio 3 y Edificio 1)

基壇上を建造物4まで戻って北東側の写真です。 左下は遺跡地図の建造物3にあたりますが、低層の基壇のみでした。

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 (Edificio 1)

そして同じく建造物4の上から見た建造物1。 7層のピラミッド神殿で、築かれた場所からして重要な建造物だった筈ですが…。  神殿下に置かれた説明板によると建造は恐らく古典期前期で、上部神殿は無かったようです。 コマルカルコの1号神殿との類似性が 指摘されますが、コマルカルコの1号神殿の現状とは随分違うような…、1号神殿の古典期前期の姿? 

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                                   (Altar circular con cuatro soportes debajo de Edificio 1)

4つの礎石で支えられた円形の大きな祭壇がありますが、これはパレンケの有名な碑銘の神殿下にも同様の祭壇があります。  また博物館に収められている石碑もここにあったそうです。

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 (Edificio 2 Altar Central y al fondo Edificio 9)

広場中央に鎮座するのが小型の矩形基壇の建造物2 中央祭壇で、その奥に見えているのが広場東側の建造物9の低層建造物です。
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中央祭壇は東西南北を向いて、基壇の東側から夏至冬至、春分秋分の太陽の出を観測したとの事で、同様の基壇はウアシャクトゥン、ティカル、 カラクムルにあるそうです。 と言う事は広場東側の低層基壇には、これを観測する建造物が3つあって後ろの森はなかった筈ですが…。

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 (De arriba a abajo, Edificio 9 y 10, Edificio 11, Edificio 12 y 13)

広場東側の低層建造物群、上から建造物9と10、建造物11、建造物12と13です。

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 (Gran Plaza desde Edificio 9)

建造物9の上から広場の南側を見たところ。 南の奥には更に沢山の建造物が埋まっている筈ですが、現在の発掘はここまで。  将来の発掘が楽しみですが、なかなか予算が無いようです。

平野部に開けたポモナでは、砂利と粘土からなる土壌で建築材料となる石灰石はありません。 この為建築材料はウシュマシンタ川を 10Km 以上遡って確保してきたようです。 ポモナにはそれだけの労働力とこれを保証する経済力があった事になります。 交易で 得た富でしょうか。



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 (Panel esculpido con Dios Solay y Escultura Masculino)

発掘修復されたポモナ遺跡はここまでで、以下遺跡併設博物館の主な展示物をご紹介しておきます。
左の石版は建造物4の上部神殿にあったもので、人間を模った太陽神が彫られ、肉を削ぎ落とされた顔面からは舌先が二つに割れて 下に伸びています。 右は男性像で、なかなか写実的です。

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 (Fragmentos de tableros esculpidos con Jeroglíficos)

見事な神聖文字が刻まれた石版が、断片ですが幾つも展示されていました。 読み解かれる史実も断片でしょうか。

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 (Los excéntricos de pedernal y Plato Códices)

チャート製のエクセントリック石器と周辺に文字が描かれたコデックス土器。

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 (Escultura y Estela)

左の石造物は説明が無くよくわかりませんが、やはり太陽神でしょうか。 右の石碑は風化し写真も逆光になる為、かなり補正して みました。 これは建造物1の前に置かれていたそうです。 

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 (Fragmentos de tableros con Jeroglíficos)

これも石版の断片。 類似のものが建造物1からとあったので、これも建造物1からかもしれません。  

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                         (Tablero de Escribas)

この石版は書記の石版と呼ばれ、よく雑誌で紹介される博物館の目玉ですが、訪問時は残念ながらお出かけ中でした。 (カナダで マヤの展示会が開催中で多分カナダへ外遊中?) 文字列の右側上から2番目の文字がポモナの紋章文字だそうです。  (画像は 2014年の国立宮殿でのマヤ展から)

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 (Tableros con relieves, Edificio 4)

そしてこの見事な石版2枚も外出中で、丁度グアダラハラで開催中だったマヤの特別展 "Rostros de la Divinidad, los Mosaicos Mayas de Piedra Verde" で展示されていて、ポモナ遺跡博物館所蔵となっていました。 左の貴族が右手に下げる袋に雨の神チャークが 描かれ、右の貴族の右手の袋には太陽神キニチ・アハウが描かれ、2枚とも建造物4出土です。 写真も見たことのない石板ですが、 その状態の良さに驚かされました。



ポモナから見つかった碑文の研究から、ポモナの紋章文字も特定され、他のマヤセンターとの争いの跡も 確認されてきていますが、まだポモナの発掘調査が一部に留まる為に、今後更にポモナの歴史が明らかになるかもしれず、ポモナの 歴史の解明はまだこれからでしょう。  でもこれまでのポモナに関する定説として、ポモナはパレンケとは良好な関係を保ったようで、建築様式でもパレンケやコマルカルコとの 共通点が指摘されます。 


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 (Panel de estuco de Toniná donde aparece glifo emblema de Pomoná)

パレンケから更に南に位置するトニナの漆喰彫刻に、骨だけの死の神?が人の首をさげている様子が描かれています(写真左)。  骸骨の前に刻まれた3つ神聖文字(写真右)の一番下の文字はポモナを表すそうで、ポモナとの戦争と捕虜を示すようです。 こんな ところにポモナが出てきて気の毒ですが。

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 (Estela 12 de Piedras Negras grabado con gobernador de Pomoná atado)

またこれはウシュマシンタ川上流のピエドラス・ネグラスの石碑 12 で、792年と794年のポモナとの争いの後、ポモナの王(写真右)が捕虜 となって刻まれており、この争いの後ポモナは衰退の道を辿ったようです。

ポモナには不名誉な記録ばかりですが、今後ポモナの発掘が進んで、ポモナでも他の大きなマヤセンターの捕虜を刻んだ石碑などが みつかったら面白いのですが。


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 (Puente Boca de Cerro que divide Alto Usumacinta y Bajo Usumacinta)

最後にウシュマシンタ川が丘陵地帯を過ぎて低地に流れ出すところに作られた橋を紹介してポモナのページを終わろうと思います。  橋の名前は "Boca de Cerro"、丘陵が口を開けた、と言うような意味になります。

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 (Puente Boca de Cerro)

巨大な鋼鉄製の橋で、以前は列車も通っていたようです。 橋の右側が丘陵部です。

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 (Rio Usumacinta hacia planicie de Tabasco)

そして橋の左側。 ウシュマシンタ川が平野部にゆっくり流れ出していきます。 この橋からポモナは約 10Km で、交易の 要衝を占めたポモナが戦乱に巻き込まれたのは必然だったと言えるかもしれません。

橋を渡ってテノシケの街を通り、次の目的地 モラル・レフォルマ遺跡 へ向かいます。

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