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LOS CÓDICES MAYAS   マヤのコデックス
マヤ文明を知る手掛かりは、遺跡に残された廃墟の他、考古学的資料の中に コデックスと呼ばれる 文字と絵で記された絵文書があります。

このページではどのようなコデックスがあるかを紹介し、ページを改めてドレスデン・コデックスで コデックスを詳しく見てみます。

博物館の展示  Exhibiciones en los Museos
マヤの博物館には、石器、石碑等の石造物や、土器、漆喰彫刻などと共にコデックスが展示されています。 全て原本ではなく、複製版ですが。

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   (メキシコ市国立人類学博物館、マドリー・コデックス)

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   (メリダ市カントン宮殿地方人類学博物館、マドリー・コデックス、パリ・コデックス)

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   (ホンジュラス、コパン村のマヤ考古学博物館、マドリー・コデックス)

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   (グアテマラ、国立考古学民族学博物館、マドリー・コデックス)


メキシコ市、メリダ市、コパン村とグアテマラの博物館ですが、マヤ・コデックスは、ドレスデン、マドリー、パリのコデックスがある中で、どう言う 訳か全てマドリー・コデックスばかり展示され、一様にチャーク(雨の神)と蛇が描かれた暦のページが開かれていました。 マドリー・ コデックスは質の高い復刻版が入手し易いのでしょうか。 本物は勿論ひとつしかなく、その名の通りマドリーのアメリカ博物館 ( Museo de America ) 所蔵です。

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   (マドリー、アメリカ博物館の展示)

在欧の友人がマドリーで偵察してくれました。 全頁が閲覧できるようになっていますが、やはり展示は精巧な複製だそうです。 実物は劣化を 防ぐ為に、厳重な温・湿度管理の下に保管されているものと思います。

ドレスデン・コデックスの方は現在も ドレスデンにある図書館、ドイツ語名は Sächsische Landesbibliothek にあるそうですが、 痛みが激しいので原本は厳重保管でしょう。 どのような展示がされているのか興味の有るところです。

パリ・コデックス  El Códice París
マヤ・コデックスの中で歴史上一番早くその存在を知られたのが、 1739年 のドレスデン・コデックスで、これについては別ページで 詳しく紹介します。 ドレスデンに次いで発見されたのが パリ・コデックスで、1832年には パリ帝国図書館の蔵書でしたが、マヤの絵文書と確認したのはフランス人学者、レオン・ド・ロスニー で、1859年に埃だらけの書類かごの中からパリ・コデックスを発見したとの事です。

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             (パリ・コデックス、FEMSI のホームページより)

パリ・コデックスは写真の通り周辺部が失われた、合計 11枚、22頁のコデックスです。


マドリー・コデックス  El Códice Madrid
最後に発見されたのが ふたつの絵文書に分かれていた マドリー・コデックスで、こちらはパリ・コデックスより完全で 合計 56枚、 112頁あり、その発見も興味深い過程を辿ります。

スペインの碑文学者の所有だった古文書を、ポポル・ブフの仏語訳で有名なブラッスール・ド・ブルブール神父がマヤの絵文書と確認、2年半 の歳月をかけて模写し 1869年に出版に漕ぎ着けます。 コデックスは所有者の名前をとって トロアノ・コデックスとされました。

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             (トロアノ・コデックス、マドリー・アメリカ博物館の展示から)

もうひとつのコデックスが市場に流れていて、第4のマヤ・コデックスとして大英博物館やパリ帝国図書館へ購入が持ちかけられ ましたが、最終的にスペインの収集家が 1872年に購入、1875年にはマドリーの考古学博物館がこれを買い取りました。  このコデックスは コルテスが新大陸から持ち帰ったものとされ、コルテシアーノ・コデックスと呼ばれます。 

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             (コルテシアーノ・コデックス、マドリー・アメリカ博物館の展示から)

パリ・コデックスを発見したロスニーがこのコルテシアーノ・コデックスの存在を知り、1880年にマドリーの博物館で精査を行い、実はこれ がトロアノ・コデックスの続きである事を突き止めます。 1888年にはマドリーの博物館が トロアノ・コデックスを所有者の遺族から 買取った為、ここに二つに分かれていたコデックスが、トロ・コルテシアーノ・コデックスとしてひとつのコデックスに戻りました。  トロアノ 35枚、コルテシアーノ 21枚、合計 112頁、通称 マドリー・コデックスです。

ドレスデン・コデックス  Códice Dresde
ドレスデン・コデックス についてはページを改めて詳しく掘り下げてみます。



グロリア・コデックス  El Códice Grollier
そして第四のコデックスと称される、グロリア・コデックス。   タバスコ州の洞窟で発見されたと言われ、1965年にメキシコ人の収集家が入手、ニューヨークにある蔵書家の集まりのグロリア・クラブで 1971年に発表され、大きな反響を呼びました。

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     (グロリア・コデックス、FEMSI のホームページより)

著名なマヤ学者マイケル・コーは放射性炭素年代測定(C-14)の結果が 1230年±170年であり、図像や文字がこの時代に合致する事から、 グロリア・コデックスが本物であるとの見解を取りましたが、トンプソン版ドレスデン・コデックスをまとめたエリック・トンプソンは 金星暦の不完全さ等から偽造されたものとの見解を表明しています。
隔月刊の arqueología mexicana の 2002年5-6月号では 真贋論争を紹介していますが、偽物説に傾いているようです。 所有者の収集家はその後コデックスを人類学博物館へ寄贈し現在は人類学 博物館所有になっていますが、博物館では展示も紹介もなく、どうも怪しそうです。

マヤ・コデックスの特徴  Detalle de los codices
最後にマヤ・コデックスの特徴を見ておきましょう。

ドレスデン・コデックスは1頁のサイズが、縦 22.4cm、横 9cm で、 全部で 39枚(78頁)が屏風状に横に 繋がっているので全体の長さは 9cm x 39 = 351cm になり、これにジャガーの毛皮等で表紙がつけられていたようです。 因みにパリと マドリーのコデックスと比較してみると:

       ドレスデン 縦 22.4cm、横 9cm、    9cm x 39枚 = 約 351cm
       パリ     縦 22cm、横 13.2cm、  13.2cm x 11枚 = 約 145cm
       マドリー   縦 22.5cm、横 11.6cm、 11.6cm x 56枚 = 約 650cm

およそ縦横比が 2:1 です。 下のミシュテカ(オアハカ地方)、アステカ(中央高原)のコデックスが正方形か横長の長方形であるのと 比べると、コンパクトで持ち運びに便利だったでしょうか。

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     (メキシコ市国立人類学博物館の展示)

コデックスはイチジク科の木の繊維を織り込んだアマテ紙に白い漆喰を塗って表面を綺麗に整えたものに、細いペンで輪郭を描き彩色 されました。 文字は黒と赤で、図像は赤、黒に加えて 青、黄、緑、茶で彩色されています。


コデックスには一体何が描かれているのか。 次のドレスデン・コデックス のページで、コデックスのより詳しい 中身とその果たした役割を見てみます。


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