マヤ遺跡探訪
CHACMULTÚN
チャクムルトゥンはプーク地域の東端にある遺跡で、ウシュマルからプーク街道にかけてのプーク様式遺跡群から少し東へはずれます。  ここだけ単独で行くのもなんだし、かと言って他の遺跡とのセットも難しいし、何となくこれまで未訪問でした。

メリダからは国道 184号でテカッシュまで行き、テカッシュから 6Km 西のカンカブという村を目指し、遺跡はそこから更に南へ 4Km。 メリダ からは 120km 位です。

チャクムルトゥンは19世紀後半にテオベルト・マーラーにより発見されましたが、発掘に着手されたのは1970年代になってからです。 その繁栄期は古典期後期から終末期で、プーク街道のプーク様式遺跡と およそ同時代になるようですが、少し趣を異にします。

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   (訪問日 2013年 1月10日)
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チャクムルトゥンはメリダからテカッシュ経由で行くと道が判り易いのですが、今回カンペチェから同じく未訪問だったチュンフフを訪ね、行きがけの駄賃 でプーク街道3遺跡に寄ってから、裏道を通り西から チャクムルトゥンに向かいました。

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  (Camino hacia Kancab y Chacmultún)

ラブナー遺跡からの裏道は事前に調べてあったものの結構判り難く、道を尋ねながら何とかカンカブに到着、店を探して遺跡への道を尋ねます。  ても言葉が通じません、マヤ語で生活しているようです。 身振り手振りで何とか遺跡に辿り着きました。

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  (Estacionamiento y área de entrada de Chacmultún)

写真は遺跡の入り口で、車を停めて一息、やれやれです。 時計を見ると午後3時で滑り込みセーフ。 少し太陽は傾いてきていますが、遺跡を ひと回りする時間はありそうです。

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  (Vista aérea por Google Earth)

Google Earth で確認します。 左上が遺跡の入り口のチャクムルトゥン・グループで、南へ 200m 位行くとカバルパック・グループ、更にそこから 500m 位東に行くとシェスポール・グループです。 他にも中央グループや シュクベンバ・グループ等ありますが、訪問出来るのはこの 3グループのようです。

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  (Mini Guía de INAH)

これは INAH のミニガイドから。 チャクムルトゥンではそれぞれのグループが自然の段丘を利用して作られ、下層の建物の屋根はそのまま上の建物に 面した広場の一部となっています。 航空写真でないと解り難いのでミニガイドをスキャンしました。

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この地図もミニガイドからで、数字は建造物番号を表わします。


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  (Camino hacia sur a Grupo Cabalpak)

係員にどのグループから回ったらよいかアドバイスを求めると、奥のグループへ先に行くよう勧められました。 まず カバルパック・グループへ向かいます。  写真は入り口のチャクムルトゥン・グループからカバルパック・グループへ向かって南に伸びる道路で、カバルパックまでは車の乗り入れが可能です。



カバルパック・グループ  GRUPO CABALPAK


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  (Edificio 5)

カバルパック・グループの前に車を停めると目の前に低層の基壇にのった横長の建造物があります。 典型的なプーク様式の建造物5 で、 北向きに建てられています。

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  (Edificio 5)

カバルパックとはマヤ語で 「低い」 壁を意味し、北から下ってくるとこの建造物5 が壁の様に横に広がるのでそう名付けられたようです。 しかし もともとこの建造物5 の上には奥の方へ段違いに建造物8 と建造物9 が建てられていたので、決して低い建物ではなく、マヤ語の名前ですが 後から付けられたもののようです。

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  (Friso superior de Edificio 5)

壁面上部には綺麗に彫刻された円柱が並び、上下のコーニスにも丸い小柱が配され、典型的なプーク様式建築になっています。

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  (Edificio 5)

東の角は壁ごと崩れていますが、マヤアーチが顔を覗かせ、部屋が2列設けられていたのがわかります。

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  (Lado oeste de Edificio 5)

建造物5 は写真でわかるよう中央にある大きな階段で上へ登れるようになっていましたが、現在は階段が崩れており、建物西側の小道を 登っていきます。 写真左は建造物5 の西側面になります。

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  (Resto de Edificio 8 ?)

小道の先には崩れた建物が部分的に露出していますが、多分建造物8 の残骸だと思います。

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  (Plaza sobre Edificio 5)

小道を登ると広場がありますが、これは建造物5 の屋上から後ろの建造物8 にかけて設けられた広場です。 屋根の上も有効スペースに してしまうのがチャクムルトゥン流?

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  (Vista hacia este a Grupo Xethpol)

広場から東の丘に目を転じると赤味を帯びた建造物が認められます。 超望遠レンズで覗いてみます。

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35mm 換算で 640mm の超望遠です。 次に行くシェスポール・グループで、ここからだけのアングルです。 少し距離がありそうですが 行ってみます。



シェスポール・グループ  GRUPO XETHPOL


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  (Camino para Grupo Xethpol)

建造物5 の前の道を一路東へ(写真左)。 500m位歩くと曲がり角にシェスポール・グループへ上がる小道が口をあけます(写真右)。  遺跡の入り口で係員が教えてくれた小道ですが、何の表示もありません。

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  (Última subida para Xethpol)

昔は上へあがる正式な階段があったらしいのですが、現在は写真のような岩だらけの道を登っていきます。 500m 歩いた 後で 20m 以上ある丘の上まで登るので少々息が切れます、勿論汗だくで。

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  (Edificio 4)

そして林を抜けると前方に建造物が見えてきます。 カバルパック・グループからの超望遠写真で手前に見えていた建造物で、 シェスポール・グループ建造物4 です。

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  (Edificio 4)

近づいてみます。 磨き上げられた質の高い石材が用いられ、彫刻や円柱など華美な装飾はありませんが、プレーンなフリーズとコーニスを 持つ重厚な作りです。

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  (Edificio 4)

建造物4 は左右対称で両翼が前に突き出た構造で、全部で16室あったようです。 写真奥(北側)の突き出た部屋は崩れていますが、 16室中13室は現在でも天井を含めて残されます。

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  (Portada de un cuarto y el interior)

正面を向いた5つの戸口の中はそれぞれ奥の部屋に繋がっています。 室内には丸や渦巻き模様などが描かれていたようですが、よくわかりま せんでした。

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  (Plaza sobre Edificio 4)

カバルパック・グループの建造物5 同様に この建造物4 の屋根に当たる部分も広場になっていて上の建造物の前まで広がります。  (下の写真は上の写真の右側で、同じシュロの木が映っています。)

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  (Edificio 20)

これが広場の奥に聳える建造物20 で、一層目の建物に中央階段の付いた二層目がのっています。

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  (Edificio 20)

一層目の左(北側)は崩れ去り、残った部分も天井はありますが壁面上部の表面がなくなっています。 二層目は中央階段がありますが、 その上の建造物は殆ど崩れ去っているようです。 シェスポールとはマヤ語で切れた頭を意味するそうで、上部構造の無くなった建造物20 を 意味するのかもしれません。

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  (Bóvedas caídas, Edifico 20)

左の写真は一層目の北西角、右は二層目の南東角だったと思います。 崩れて半ば埋まった状態で、全体がどのような構造だったのか わかりませんが、中心部は粗い石で作られ、その周囲がより質の高い切石で覆われおり、数度にわたり繰り返し建て増しが行われているそうです。

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                    (Lado sur de Edificio 20)

これは建造物20 の南側面です。 外からはわかりませんが、建造物20 には東西に通路が設けられており、天文観察に用いられたとも 考えられるようです。

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  (Edificio 7)

建造物20 の南側には建造物7 があり、部屋を2つ持つ南側を向いた建物です。  シェスポール・グループはここまでで、もと来た道を 戻ります。


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  (Vista panorámica desde plaza sobre Edificio 4)

降りる途中に建造物4 の上から下界を見下ろしてみました。 谷間の向うにカバルパック・グループの広場と入り口のチャクムルトゥン・ グループの建造物群が見渡せます。

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  (Grupo Chacumultún vista desde Xethpol)

こちらがチャクムルトゥン・グループの建造物群です。

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  (Grupo Chacumultún vista desde Xethpol)

超望遠で絞り込んでみるとこれ、壁面装飾の円柱が確認できます。 行ってみましょう。 カバルパック・グループまで戻り、置いてきた車で 入り口のチャクムルトゥン・グループへ戻りです。



チャクムルトゥン・グループ  GRUPO CHACMULTÚN


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  (Entrada al grupo Chacumultún)

チャクムルトゥン・グループは多層の基壇が複雑に階段で組み合わされて大きな多角形の基壇を形作り、そこに異なる形 と大きさの建造物が二層に分かれて配置され、なかなか複雑です。 写真はチャクムルトゥン・グループの入り口で木々の間に壁、階段、建物が 顔を覗かせます。

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  (Edificio 3 o Edificio de las Pinturas)

一段目の基壇を登り、正面に見えるのが建物が設けられている下の方の基壇で、右にある階段を昇ると建物のある上の基壇に出ますが、まずは 下の基壇から。

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  (Edificio 3)

これは右手前からL字型に折れ曲がった建造物3 で、室内に多彩色の壁画があった事から壁画の建物と呼ばれます。

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  (Edificio 3)

建造物3 には部屋が11室ありましたが、そのうち3室だけが天井部分を含めて残されます。

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                         (Pintura mural en Edifico 3)

蓋で閉じられた戸口がふたつありましたが、どうもこの中に残された壁画があり、管理人に頼めば見せてくれたようです。  ユカタン在住のカナダ人の方の ブログ Thepickledonionyucatan's Blog にその旨書いてありました。 予習が足りませんでした。 (^-^;   リンク先のブログには壁画の大きな写真が 2枚掲載されています。 こんなに明瞭な壁画が残るのはユカタン州では多分ここだけでしょう。 返す返すも残念です。

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  (Edificio 3 o Edificio 10 ?)

これは建造物3 の壁画の建物の正面左(南側)で、突き出た部屋の壁が一面修復されているようです。 地図によるとこれは建造物10の辺りですが 建造物3 に繋がっているようで、3 なのか 10 なのかわかりません。

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  (Escultura en la cornisa inferior)

マヤアーチの天井は崩れ落ちていますが、写真の下部コーニスには彫刻が施され、ジャガーの顔のようなものが嵌め込まれています。

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  (Niveles inferior y superior)

下の基壇にある建造物3 の屋根は上の層の広場になっていて、写真は建造物3 の北側ですが、奥に上の層にある建造物が見えています。  写真右側の階段を登って上の層へ出ます。

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  (Edificio 1 o Palacio)

これが下の写真で見えていた上の層の建造物1 宮殿で、チャクムルトゥン全体で一番大きな建物になるようです。 建物の石材がとても赤く 見えますが、チャクムルトゥンとはマヤ語でバラ色の丘の意味で、赤く見える建造物を意味する命名だそうです。 しかしこの赤い石材は もともと赤かったのではなく、微生物が水と空気に触れて石を赤くしているそうで、チャクムルトゥンの名前も後から付けられた名前と言う事に なります。

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  (Lado frontal de Edificio 1 o Palacio)

南向きに建てられた宮殿は大きな中央階段が半ば崩れ、階段の右翼(東側)は殆ど失われています。 写真は上左から階段の右側、上右が階段の左側、 下左が左翼中央の均整のとれた一番美しい部分、下右が左に回って宮殿の西側です。

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  (Detalle de las esculturas)

壁面彫刻を見てみましょう。 これは宮殿正面(南側)の彫刻を拡大したもので、飾りのついた円柱と大きな開口部を持つマヤ民家で飾られ、 上下コーニスには二匹の絡み合った蛇が彫られています。 マヤ民家の窓には人物像などの彫刻が置かれていたものと思いますが、何も残って いません。

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  (Lado oeste de Edificio 1)

これは西側面の壁面上部です。 良く見ると西側には円柱の飾りがありませんでした。 マヤ民家の作りも微妙に異なるようです。

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  (Lado oeste de Edificio 1)

西側面に階段が取り付けられていて、横から(南から)見ると階段の下が中空で通り抜けできるようになっていおり、プーク様式の 特徴を示しています。


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  (Chultún en la plaza)

建造物1 宮殿の西側にはチュルトゥン(水溜)がひとつ修復され、北西隣には建造物6 の廃墟が残されます。

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  (Restos de Edificio 6)

これが正面から見た建造物6 の廃墟。 戸口の枠組みと壁が一面だけでいかにも遺跡といった感じです。


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  (Edificio 2)

更に西側に建造物がひとつあります。  建造物6 と比べるとかなり大きな建造物2 で、基壇の上に居室が設けられ中央階段は地表面から 基壇上の居室の屋根まで伸びています。 外壁が壁面装飾ごと崩れてしまっているので建物全体がどんな作りだったのかよく判りません。


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  (Vista panoramica hacia sur desde plaza de Chacmultún)

以上でチャクムルトゥン・グループは終わりですが、降りる前に広場を見渡してみます。 一番上の写真は広場の中心から東に見える建造物1 宮殿とその南方向で、2枚目は時計回りに南東方向で中央に白く見えるのは下の基壇にある建造物3 の屋根です。 更に時計回りに西方向を見ると 建造物2 になります。


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  (Escalinata para bajar al area de entrada)

写真の急階段を使って下に降ります。 建造物3 の屋根の上から撮った写真です。



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  (Juego de Pelota de Chacmultún)

最後に道路の反対側にある球戯場です。 段丘の上ではなく平地に設けられており、ここから東が中央グループという事になるのでしょうか。  球戯場はマーカーや特別な彫刻は見あたりませんが、そこそこの大きさの球戯場でした。



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  (Caseta de recepción)

滅多に訪問者の無いチャクムルトゥンで、この日は最初で最後の訪問者でした。 既に4時半で 係員も青いビートルを待機させて早く帰りたそうです。  こちらも何とか明るいうちにチャクムルトゥンの見学を終えられましたが、これから知らない道をウシュマルまで 75Km のドライブです。


これで公開されているプーク様式遺跡は全て回る事が出来ました。 北のオシュキントックから南のエツナ、そして東のチャクムルトゥンですが、 やはりウシュマルからラブナーに至る中核地域の華麗な建物彫刻が傑出しています。



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