マヤ遺跡探訪
CHICHEN VIEJO
チチェン・ビエホはチチェン・イッツァの一部ですが、チチェン・ビエホからのアクセスはありません。  尼僧院の南からサクベが伸びているようですが、通行止めになっています。  近くのホテルから馬に乗ってこのチチェン・ビエホを訪問するツアーがあり、日本から子供達が遊びに来たのを機会に、2002年 の夏休みに行ってみました。

インディー ジョーンズ張りのちょっとした冒険で、訪問時は正直何が何だかよく判りませんでしたが、帰国後入手した INAH の 隔月刊の雑誌 arqueología 2005年 11-12月号に特集記事があり、謎解きに大いに役立ちました。

チチェン・ビエホ(CHICHÉN VIEJO)は英語にすると OLD CHICHEN つまり古いチチェンですが、この名称は19世紀の探検家が そう名付けただけで、チチェン・イッツァの中で最も古い地区と言う訳ではありません。 廃墟の様子が古いイメージに なったのでしょうか。 でもチチェンの中心部とはチョット趣を異にする地域です。

    (訪問日 2002年8月28日)
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チチェン・ビエホの位置ですが、チチェン・イッツァの大球戯場から南端の尼僧院に行くのと同じ位の距離を更に南に行った所 にあります。 チチェン・イッツァ全体は 15㎢ とも 25㎢ とも言われ、周辺を含めると広大な地域になり、中心部とチチェン・ ビエホとの間にも住居跡は沢山あるようです。

チチェン・ビエホへのツアーがあるので、ホテルは Mayaland に泊まりました、カラコルの裏側です。

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 (Viaje a caballo a Chichén Viejo)

前の日にツアーをホテルに申し込みました。 一人30ドルだったと思います、2時間位との事でした。 写真は私の愛馬 テキーラ号。

馬は頭が良く、馬に馴れていない人の言う事は聞いてくれません。 でも問題ありません、一行5名の 先頭と後尾にガイドが二人つきました。

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 (Ruinas de Chichén Viejo, montículos y piedras)

一列になって出発。 コロニアル時代のチチェンの荘園入口を通り、アスファルトの道に別れを告げて、 ジャングルに分け入ります。 石ころだらけの坂道を登ったり、歩いたら大変なルートです。 崩れた遺跡の上に 角柱があり、それらしい場所に出てきました。

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 (Ruinas de Chichén Viejo, estructura devastada)

途中少し開けた所にマヤの建造物が顔を覗かせます。 ガイドにここかと聞くと、ここは修復中で立ち入り禁止に なっている、と。 何で? チチェン・ビエホのツアーでしょう??? 修復に当たっている考古学者が修復中の 所は見せたくないのだ、と。

取敢えずガイドの案内する所へ行きました。 写真は未修復の土塁です。

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 (Fragmentos de piedras sobre montículo)

崩れた建物の石材の破片がごろごろ転がっています。  壁面の一部と思しき石組みも露出しています。
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 (Piedras recuperadas y numeradas)

ここも調査の手は入っているようで、写真右下の石のように回収した石には番号が振ら れ、彫刻のある面は風化を避ける為に下向きに置かれていました。

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 (Piedra esculpida de hombre-jaguar)

彫刻された柱です。 ジャガーの開けた口から人面が顔を出しています。 ここはジャガ ーの神殿だとのガイドの説明でしたが、雑誌 arqueología の特集では触れられていない ので、修復はまだでしょうか。
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 (Cámara abovedada que sale de montículo)

マヤアーチの天井部分も見えますが、わざわざ Hotel Mayaland に一泊して見に来たのは残骸ではありません、 ましてや お馬さんに乗りに来た訳でもありません。

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 (Columna rectanglar con escultura)

綺麗に彫刻された角柱もありますが…。 ガイド氏にさっき見えた立派な建物は見学出来ないのかと、再度プッシュ しました。 わざわざ日本からきているのに…ぶつぶつ、いや実際はメキシコシティーからでしたが…  (^-^;
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ガイドのオジサンがちょっと待っていてくれ、と修復中のところへ交渉に向かいました。  戻ってきて曰く、今日は考古学者が来ていないから、5分間だけなら見ても良いと。  と言う事で、やっとこの地図のゾーンに足を踏み入れる事が出来ました。

この地図は雑誌 arqueología 76号から書き写しました。  自分の行った所が地図で確認出来ると安心します。
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 (Galeria de los monos)

と言う訳で5分間で走り回って撮った写真、まず南西にある猿の回廊の壁面彫刻。

雑誌に同じ場所の写真が紹介されていましたが、中央の人物(神)の帽子が違います、多分この写真の後に正しいパーツが見つかって 付け直したのでしょう。 こういう粗探しをする輩が居るから、考古学者は第三者の侵入を嫌うのでしょうね。

何故猿の回廊と言うのでしょうか。 壁の右の方を撮った写真に猿があったので切り取ってこの写真に貼り付けてみました。  下部モールディングにある白い枠線の部分です。

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 (Templo de los Bújos)

こちらは隣のフクロウの神殿です。 正面の二本の角柱に彫刻されているのは実をつけたカカオの木だそうですが、 写真では良く見えませんね。

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 (Templo de los Búhos)

フクロウの神殿を東側から撮った写真がありました。 1m位の基壇上に神殿が築かれています。
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 (Templo de los Búhos)

何故フクロウの神殿と呼ばれるのか、やはりフクロウの彫刻があるからです、写真中央 のフクロウがわかるでしょうか? 顔の下に左右に広げた羽、顔の下方に尾羽が見えま す。 右コーナーにはチャーク像があり、モールディング上、横に3つ並んだ彫刻は亀です。
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 (Casa de los Caracoles)

右隅のフクロウの神殿の向こうに、二本の柱で入口が支えられている貝殻の家が見えます。 遠目にも 均整の取れた美しい建造物です。

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 (Casa de los Caracoles)

入口の二本の柱はアトランティスの彫刻になっています。 柱が支える鴨居の木の上に細長い円形の彫刻が横一列に沢山 並んでいますが、全部巻貝で、建物の名の由来になっています。
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 (Casa de los Caracoles)

壁面上部のクローズアップ、上の写真の右上部です。 植物に囲まれて人が沢山彫られ ているそうですが、この写真ではよくわかりません。 横一列に開いた穴にはカニの彫刻 が嵌め込まれていましたが今はありません。 左の方には沢山残っていますが。
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 (Casa de los Caracoles)
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鴨居の木材は油を塗りこめたピッカピカの新品です。 この辺りから豊穣の神殿にかけては古い写真を見ると、鴨居から上が 失われていましたから、発掘調査・研究の上、回収された石材を元に徹底的な復元が試みられたのでしょう。  写真拡大でアトランティスの柱が大きく見れます。

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 (Palacio de los Falos, a la izquierda)

鴨居の家に繋がるような形で 豊穣の宮殿があります。 こちらはまだ再建途上で、二階上部の セメント色をした 台形部分にはその後、漆喰彫刻が貼り付けられたようです。 雑誌の写真では完成していました。
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 (Escalera para subir al segundo nivel de Palacio de los Falos)

豊穣の宮殿は、天井の高い二層の建物で、階段で二階へあがれました。 階段の右側 は、貝殻の家が接続されており複雑な構造です。

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 (El segundo nivel recien restaurado con dintel de madera nueva)

二階へあがると中庭と回廊があります。 鴨居はピッカピカの新しい木材。 その上には 巻貝が見えるので、ここからはもう貝殻の家と言う事ですね。

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 (Falo gigantezco incrustado a la pared)

何処をどう降りたか覚えていませんが、豊穣の宮殿の一階北側に出ました。 ベンチの 横の壁に何か怪しげなものが…。 ずばり言うと男根です。

豊穣の宮殿と訳しましたが、Palacio de los Falos 直訳すると男根の宮殿です。 聞こえが 悪いので意訳して豊穣の宮殿とした次第です。 そう間違っていないと思いますが、実際 この場所がどういう目的で使われたのかは知りません。
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 (Palacio de los Falos)

豊穣の宮殿の西側です。 壁面彫刻の復元が一部まだ済んでいないようです。
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 (Friso superior de la fachada norte)
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復元が完成した部分。 瓦礫の中に埋もれていたパーツを掘り出して、ジグソーパズル をして…、大変な作業です。 大きな写真で見ると少なくとも左右に2人の人物が確認 できます。 大きな写真で何人いるか確認してください。
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 (Templo de la Serie Inicial, y Patio Galeria de la Luna, a la derecha)

豊穣の神殿から北を望むと、月の中庭回廊(右側、円柱のある所)と暦の神殿(奥)があります。 暦の神殿には神聖文字で 年号が記された鴨居があり、この区画全体が暦のグループとか日付のグループとか呼ばれるようになった中核の建造物ですが、 5分間とせかされて遠くから見ただけでした、残念。

暦の神殿の暦は イニシャル シリーズで、これは導入文字から始まる長期計算法の暦に ツォルキンとハアブの 暦が組み合わされた、正確な暦の記し方です。 マヤの暦とイニシャル シリーズについては、 マヤ・トピックスのマヤ暦 で詳しく説明して有ります。

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 (Plaza del Grupo Serie Inicial y Columnata del Yugo, en frente)

右端の暦の神殿の左側に階段が見えてきますが、ユーゴの柱廊で、ここからの写真だけ。   5分、5分しかありません!
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 (Casa de las Columnas-Atlantes)

急ぎ足で貝殻の家の裏側の方へまわります、アトランティスの柱の家です。 貝殻の家 の柱より大分太くアトランティスらしいですが、修復(再建)はされていません。 

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 (Detalle de las Columnas-Atlantes)

アトランティスのアップです。

5分と言われましたが、10分ちょっとになりました。 勿論こちらもハナから 5分を守るつもりは無かったですが、それでも律儀な日本人、10分ちょっと はメキシコ人ガイドにとっては充分時間内だったでしょうか? 後ろ髪を引かれる思いで修復中の地区を後にしました。

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 (Resto de la entrada de un edificio)

まだもう少し見るところがあると言う事で、また乗馬して散策です。 建物の入口の枠組みがありました。  二本の柱に載った石の鴨居の下面には神聖文字がびっしり刻まれています。
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 (Inscripciones jeroglíficas debajo del dintel)

雨が直接あたらないので文字がはっきり残っています。 何が書いてあるのでしょうか?
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 (Templo de los tres Dinteles)

最後に3つの鴨居の神殿に行きました。 3つの入口を持つプーク様式の建造物で、 トルテカの影響は見えません。 この建造物は古い案内書にも出てきますが、ここまで辿り着く旅行者はほんの 一握りだと思います。
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 (Templo de los tres Dinteles)

格子模様、幾何学模様、円柱、そしてコーナーのチャーク像、100%プーク様式です。

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 (Escrituras esculpidas en el dintel)

鴨居に刻まれた神聖文字、おそらく年号も含まれているのでしょうか。 この3つの鴨居 の神殿辺りまで含めてチチェン・ビエホと総称するようです。

チチェン・ビエホから回収された土器の年代は古典期後期から後古典期の初めにわたり、 チチェン・イッツァ中心部と同じ時代に栄えた場所のようです。 貴族の住まいだったと言 う仮説もあり、更なる調査の結果が楽しみです。
このチチェン・ビエホ、訪問したのが2002年、雑誌で紹介されたのが2005年、 その後どうなっているのでしょう、公開されているのでしょうか?  2002年の段階では馬で行かなくてはならなかったのに加え、立ち入り制限で、 およそ公開されているとは言い難い状況でしたが…。


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