マヤ遺跡探訪
GRUTA AKTÚN USIL
アクトゥン・ウシル洞窟はオシュキントック中心部から西へおよそ 2Km で、 オシュキントックの 一部だったと考えられます。 洞窟にはマヤ文字や手形などが 残されますが、2008年に発見されたばかりでまだ一般には殆ど知られていません。

オシュキントックをひと回りして駐車場に戻ると、ガイド氏が待ち構えていて洞窟見学を半ば押し売り。 かなり高額なガイド料を言われましたが、帰り道でも あり時間もあまりかからないと言うので、値切った上で案内をして貰う事に。

洞窟から更に西の国道沿いにはオシュキントックの遺構の一部が修復され昨年から公開されており、洞窟と併せてこのページでご紹介します。

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   (訪問日 2013年 1月11日)

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GRUTA AKTÚN USIL  アクトゥン・ウシル洞窟
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  (Ubicación de Gruta Usil)

オシュキントック近郊では カルセートック洞窟 が規模が大きくケービングで訪れる人も多いようですが、ウシル洞窟はこれとは別物です。  オシュキントック遺跡前の未舗装の道を西へ、 ガイド氏の乗る自転車についていきます。 洞窟は道の南側で小道に乗り入れて駐車します。


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  (Caminata a la Gruta)

車を停めた所で、ガイドのビクトール氏(写真左)。 右の写真のようの岩だらけのなだらかな坂道を 10分弱登っていきます。

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  (Muralla que rodea la Gruta)

洞窟に近づくと防壁があり、防壁の切れ目を奥に進んでいきます(写真左)。 洞窟の手前に更に防壁が築かれていて、その中がウシル洞窟です(写真右)。  二重の防壁に囲まれた神聖な場所だったとの説明です。

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  (Entrada a la Gruta)

洞窟を覗き込むと左程大きなものではありませんが、石筍や石柱も見え、ちょっとした鍾乳洞です。

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  (El interior de la Gruta)

洞窟の中程に入って入り口を見返すとこんな感じです。 天井の高さはおよそ 10m位でしょうか。 洞窟の名前のウシルとはマヤ語で手形を意味するそうで、 手形もありますが、まずは天井に描かれたフレスコ画 ? から。 

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  (Pintura mural con glifos y diseños)

光が当たらない天井は殆ど真っ暗ですが、ビクトールの懐中電灯の光を頼りにフラッシュを焚いて写真を撮りました。 赤い染料で図柄や文字が描かれて います。 右下の四角い枠は冥界の入り口を表わし、その上にある図柄は雨の神チャークと結び付けられる亀だそうで、洞窟画には雨乞いの意味が込められて いるようです。 十字をふたつに切ったような図形が左、中央と右下隅にあり、これは洞窟を象徴するそうです。

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  (Detalle de la pintura)

左側の半十字形の下に描かれているのは、フクロウだと説明されましたが(写真左)、さて右の写真の図柄は? 水に関連したカエルも描かれている ようですが、これは首の長い水鳥のようにも見えます。 懐中電灯の光を目がけて真上の壁画にピントを合わせるのはなかなか骨が折れました。


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  (Altar sagrada con ofrenda de punta de flecha)

洞窟の奥に進みます。 鍾乳石が下がり、中が祭壇の様になっていました。 奉納されていたのは黒曜石の矢じりで、豊かな狩りを願ったものか、 それとも戦勝祈願なのか? 下の写真は上の写真のクローズアップです。 真っ暗な洞窟の中で勿論フラッシュ撮影です。

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  (Otro altar con ofrenda de cuchillos)

これは別の祭壇の写真で、奉納されているのはチャート製の石器類ですが、武器ではないように思います。


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  (Soplido de la pintura por las manos negativas)

これは洞窟の天井が低くなった部分に描かれた、現在の洞窟の名前の由来となっている手形です。 手に顔料を塗って手形を押したのではなく、 岩に手をあてて口に含んだ顔料を吹きつけて手の周りを着色してあり、手の形を見ると親指を内側にした両手のようです。


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  (Rocas esculpidas)

洞窟の底から盛り上がった部分には何ヶ所か彫刻があり、暗い中で必死に写真を撮りました。 でも何か彫られているのは判りますがそれが一体何なのか?  説明も受けましたが風化も進んでおり理解不能でした。

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  (Rocas esculpidas)

人の顔も彫られているようですが…、詳細不明です。


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  (Brechas abiertas en el techo)

洞窟の奥は天井に穴が開いていて、地表面から陽が射し込みます。 洞窟に気づかずに上を歩いたら危険です。 自然に開いた穴なのか、それとも 天文観測用?

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                          (Raíz de árbol extendida)

乾季の為か洞窟には全く水がありませんでしたが、地上面から木の根が洞窟の底まで伸びているので雨期には水が貯まるのかもしれません。


予定外の訪問でしたが、オシュキントック遺跡中央部では見られない 洞窟と洞窟に於ける古代マヤ儀礼の一端を垣間見る事が出来、また洞窟自体殆ど 世に知られていないもので、ちょっとした収穫でした。

オシュキントック遺跡の後に、おまけの洞窟見学を済ませ、カンペチェへ向かいます。 途中オシュキントックの周辺部にあたる、国道脇に修復された 建物跡に寄ってみます。



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NUEVA RESTAURACION - OXKINTOK  オシュキントック周辺部の修復
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  (Escaneado de Arqueologia #116 p.10)

これは Arqueologia #116 Jul-Aug 2012 のニュース欄の記事をスキャンしたもので、修復されたマヤの遺構を見学する為に 国道沿いに駐車場が設けられた 事が紹介されています。

国道とはメリダ・カンペチェを結ぶ 180号線の事で、上下二車線化の為の拡幅工事に伴いオシュキントックの周辺部の遺構が5棟修復され、これを見学できる ように国道に車を停められるようにしたものです。

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  (Edificio restaurado a la orilla de Federal 180)

正確な場所は冒頭の地図にあるように、ウシル洞窟から国道 180号をカンペチェ方向へ南に入った所で、道路の東側になります。 オシュキントック訪問 後の予定はこの遺構だったのですが、予定外の洞窟がはいり、既に5 時近く。 まずは国道に懸けられた橋の上から写真を撮ります。

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  (Edificio de tipo palacio)

望遠で拡大してみると天井部分が失われた宮殿風の建物が修復されていますが、建物がのった基壇は西側がザックリ削り取られてるように見えます。  雑誌の記事によると古典期前期の建物で、1500年位前のものになるようです。

見たところ特に変わった建造物でもないし、夕暮れに馴れない道をカンペチェまで行かなくてはならないし、折角ですが今回はスルーして、遺構に手を 触れるのは次回にしました。


OXKINTOK -FEDERAL 180  国道 180号のオシュキントック周辺部
1年後、今回は朝一番にメリダを出てカンペチェに向かう途中で、時間は充分あります。  去年見過ごした所をしっかり見ていきます。  そんなに執念を燃やす程のものではありませんが、通りすがりに何か見てしまうと気になるものです。

                (訪問日 2014年 1月14日)

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                   (Ubicación de los edificios restaurados)

南北に走る道がメリダとカンペチェを結ぶ国道 180号で、ピラミッドマークがオシュキントック、赤丸はアクトゥン・ウシル洞窟でした。 前の年に 橋の上から見たのが地図の ”A” の所で、更に南へ ”B” と ”C” の所にも建物が修復されています。 修復された建物は殆どが国道の東側にあり、 カンペチェからメリダに行く時は東側の車線で好都合ですが、今回逆の西側車線なので Uターンして ”C”から 北上していきます。


   C   画像

”C” を拡大すると道路の東側に駐車スペースと建物3つ、中央分離帯に更に建物がひとつ確認できます。

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  (Edificio más al sur)

車を停めてまず南の建物から。 小石で建物への道筋がつけられた先に基壇上に設けられた建物がひとつあります。

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  (Lado sureste del mismo edificio)

北側に東西に横長の部屋があり、その南側に南北に横長の部屋が接続され L字型をした建物です。
戸口から上の部分はありませんが、しっかりした基壇上に建てられており、天井まで石材で作られていたようです。

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  (Lado suroeste)

国道に面した西側には建物の入口は無く東側が正面だったでしょうか。 建物の向こうが車を停めた駐車スペースです。

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  (De primer parador hacia norte)

これは駐車スペースに戻り北方向で、国道の東側と中央分離帯に建物がひとつづつ見えます。

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  (Segundo edifico del lado este)

これが東側の建物で、基壇の上に建物の基部だけ残され、西側には幅広の階段がありました。

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  (Otro edificio en el camellón)

こちらは中央分離帯上に残された建物で、Google Earth で見ても結構な長さの建物ですが、壁面の中ほどから上は失われているようで、 高速道路を横切って見に行くほどではないかもしれません。

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  (Chultún restaurado ?)

道路の東側を更に北上すると円形の構造物が修復されていますが、これはチュルトゥン(水溜め) でしょうか。

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  (Chultún restaurado ?)

チュルトゥンであれば 地上部は小さな開口部だけの筈ですが、チュルトゥンの底を保存して、地上部は安全の為に大きく開けてあるのかもしれません。

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  (Tercer edifico del lado este)

チュルトゥンの先に更にもうひとつ建物がありますが、基壇上に建物の基部程度で、あまり変わり映えしません。

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100m 程北へあがって、地図の ”B” の部分です。 ここも駐車スペースが設けられており、車で移動です。

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  (Un edificio de tipo palacio, visto de otro lado de la carreterra)

これは Uターンして北上する前に西側車線の路肩に駐車して撮ったものです。 道路は平坦なので、建物は自然の起伏の上に建てられている ようです。

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  (Mismo edificio sobre la elevación)

これは国道東の駐車スペースから見たところで、目の前の坂を登って建物の東側へ回り込みます。

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  (Lado este y escalón en frente)

東側には基壇に上がる階段があり、建物と階段を1枚の写真に合成しました。

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  (Lado este)

これは建物の東側面で、手前の部屋の壁に空気穴がふたつ開いていて、その向こうにもうひとつの部屋が並んでいます。 入り口は崩れていますが、 奥の壁面は天井が残っていて、アーチ天井は階段状になっているのがわかります。

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  (Lado noreste)

これは北東側から見た基壇の階段と上部の建物で、東西に並ぶ部屋の北と南にもう一部屋づつ繋げられ、居室が全部で4つある宮殿風の建物です。

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  (Lado norte)

これは北側の部屋です。 こちら側にも階段状のアーチ天井の跡が見えますが、時代が新しくなるとプーク地域ではアーチ天井は滑らかな傾斜なるので、 多分この階段状の天井は時代的にはより古いものになると思います。

”C” と ”B” は隣接していて、建物が5つ集中していますが、オシュキントック中心部からは 3Km の距離にあり、周辺部のひとつの 中心だったでしょうか。 石材で屋根が閉じられていますから、一般民衆ではなく貴族階級が居住していたものと思います。


   A   画像

洞窟のすぐ西側になる "A" まで戻ってきました。 オシュキントックからの道が国道の上を東西に跨いていて、その橋の上から前の年に 見た建物がここでした。 南から上がって来ると、修復された建物を通り過ぎて直ぐのところに駐車スペースがあります。

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  (Un edificio de tipo palacio sobre la plataforma)

駐車スペースから見た建物で、ここもやはり基壇の上に建物が設けられています。 この ”C” の建物を含めると修復されたのは全部で6棟になり、 Arqueologia #116 に書かれた5棟より多いですが、その後も修復が進められているのでしょうか? 道路の工事は終了し、遺跡修復も一段落している ようですが。

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  (Mismo edificio visto de noreste)

近づいてみると、基壇がもう一段高くなっていて、その上に建物があります。

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  (Entrada central del lado este)

これは北東側から見た建物の東側面です。 東西に背合わせて2部屋あり、その北と南にもう一部屋づつ追加され、部屋の配置が ”B” と同じ宮殿風の 建物ですが、天井を閉じるマヤアーチは、階段式ではなく、滑らかな傾斜になっていて、こちらの方が時代的には新しくなりそうです。

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  (Lado sureste y sur de mismo edificio)

上が南東側から見た所で、下は南側面になります。

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  (Detalle de la pared del lado sur)

修復された壁の細部を見ると、石材に番号が振られています。 1 から 7、 そして 8 から 16、17 と。
番号が書かれた石材はもともと使われていたオリジナルの石材だと思いますが、石材の加工技術はなかなかの精度だったようです。

Arqueologia #116 には古典期前期 300-600年という年代と宮殿風の建物という事以外、詳しい説明はありません。 中心部には古典期前期の建造物から 古典期後期のプーク様式のものまでありますが、この周辺部の遺構は古典期前期ですから、オシュキントックでも古い時代に属するものと言えるようです。


プーク様式遺跡の中でも一番北になるオシュキントックですが、その歴史は古典期前期以前に遡り、広大なエリアにはまだ大きな土塁が沢山残されて います。 今後またどんな発見があるか、興味深い遺跡です。



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