マヤ遺跡探訪

PALO GORDO  "Santa Terecita"
グアテマラシティーを発ってタカリク・アバフへ向かう途中、ガイドのホセ君がマヤの聖地で石造モニュメントが残される場所があると言うので 寄って貰いました。 場所はタカリク・アバフのあるレタルレウ県の手前のスチテペケス県で、海抜は 260m 位あり 南部海岸地域に区分されます。

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停めた車の右にある緑に塗られた小屋の中に崇拝の対象となる石造モニュメントが3体ありました。 現地では ”サンタ・テレシータ” とか ”ピエドラ・サンタ” と呼ばれ、祈りを捧げる場所になっています。 博物館の展示で名前を見知っていたパロ・ゴルド遺跡の中になるようで、遺跡の全容はわかりませんが一ページ設けて紹介します。

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     (訪問日 2018年3月9日)
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博物館展示のパロ・ゴルドのモニュメント   Exhibición de los Monumentos de Palo Gordo


博物館で見ていたパロ・ゴルドからの展示物を先に見てみましょう。

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  (Monumento 9 y 24 de Palo Gordo, Clásico Tardío, Museo Nacional)

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  (Espiga Antropomorfa, Palo Gordo, 400-600, Museo Nacional)

首都グアテマラ・シティーにある国立考古学民俗学博物館の石碑コーナーの一角にパロ・ゴルドからの石造モニュメントが3点展示されています。 上左はモニュメント 9 で渦巻き模様の中に死の神が現されているようです。 写真上右はモニュメント 24 で玉座に座った王でしょうか。 共に典型的なコツマルグアパ様式の図像が描かれ、古典期後期のものとされます。 写真下は建物に差し込む 'ほぞ' がついた建物飾りで 骸骨が彫られているので死の神だと思います。 時代は 400-600AD となっており少し古いものになるのでしょうか?

コツマルグアパの中心地は エル・バウルビルバオ で、それぞれのページにコツマルグアパ様式の石造物が沢山 紹介してあります。 古典期後期にペテン地域を中心に強力な王権を背景にした古典期マヤ文明が繁栄を極めた頃、グアテマラ南部では一種独特な コツマルグアパの文化が広がっていたようです。

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  (Monumento 26, Dios de la Muerte, Clásico Tardío, Museo Popol Vuh)

コツマルグアパの調査を支援したポポル・ブフ博物館にもコツマルグアパ関連の展示が何点かあり、パロ・ゴルドのモニュメント 26 が含まれます。 国立博物館のものとそっくりですが、こちらはコツマルグアパの特徴的な死の神で古典期後期と説明が付けられていました。



”サンタ・テレシータ”    "Santa Teresita"


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  (Santa Teresita o Piedra Santa)

これが ”サンタ・テレシータ” 或いは ”ピエドラ・サンタ” と呼ばれる緑に塗られた小屋で、 3体のモニュメントが中央の2本の柱の間にあり、捧げものの花で飾りたてられます。 右からパロ・ゴルドのモニュメント 1、モニュメント 4 そして番号のないモニュメントの3つです。

この聖地に関しては現地で聞いた情報以外にウェブで色々調べてもなかなか資料が見つからず、サン・カルロス大学の LA ESCULTURA PREHISPANICA DE LA COSTA SUR と題された PDF 資料でやっと概要がが掴め参考にさせて頂きました。

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  (Monumento 1 de Palo Gordo)

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  (Dibujo basado en foto de 1929 por Matthew W y foto en 1973)

写真上はパロ・ゴルドのモニュメント 1 の現在の姿で、写真下左の 1929年の写真を基にした模写と写真下右の 1973年の写真を比べると 興味深いです。 このモニュメント 1 がピエドラ・サンタ(聖なる石)と呼ばれ、オルメカ様式を汲んだ先古典期後期(400BC-100AD)に 遡る石造物で、他のふたつの古典期後期(600-950AD)のモニュメントと比べると別格です。

1970年代に他のモニュメントと併せてこの場所に集められて現代のマヤの人達の礼拝の場となり、 ロウソクの蝋や煤によって今ではかなり見辛い姿になっていますが、もともとは模写にあるように動物の頭をした人物の座像でした。 現在の信仰では "IK" (イック、風)として崇められ、首飾りには "IK" の標しの "T" の形が認められて 1970年代にはまだその面影が残りますが、現在は溶けた蝋で覆われてしまっています。

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  (Lado trasero de Monumento 1)

モニュメント 1 の裏側にも浅浮き彫りで図像が残され、上の模写で頭の上に紋章のようなものが描かれていますが、 これがモニュメントの頭の裏側にあたります。 羽で飾られた枠の中に "U" の形が記された図柄で、オルメカで特徴的なものになるようです。 "U" は正面のベルトの部分にも記されますが、何を意味するのでしょう?

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  (Monumento 4 de Palo Gordo)

中央の石柱はモニュメント 4 で、3面に柱を登っていくイグアナの姿が浮き彫りされています。 正面のイグアナは煤けて見辛いですが(写真下右)、その左のイグアナははっきりそれとわかる形で残されます(写真下左)。 古典期後期のパロ・ゴルドではコツマルグアパ様式の時代のものですが、モニュメント 1 と共に 1970年代にここに移され、 現在は "KAT" (カッツ、赤)と呼ばれて信仰の対象になっています。

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  (Monumento sin numeración a la izquierda)

左側にある無名のモニュメントは上部が三角に尖っていて正面に大きな窪みがあります。 何を意味するのか説明が見当たりませんが、 古典期後期の石造物で、三角はマヤの聖なる山、窪みは冥界の入り口を意味するような気がしますが、どうでしょう。 現代の信仰では "QANIL" (カニル、収穫若しくは種) と呼ばれて祈りを捧げられます。

現地にはサンタ・テレシータの3体以外に、モニュメント 23 と 1992年に新たに発見されたモニュメント 25 が パロ・ゴルド製糖工場内に残されるそうで、共に典型的なコツマルグアパ様式の石像彫刻です。


パロ・ゴルド遺跡    "Sitio arqueológico de Palo Gordo"


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  (Ubicación de Santa Teresita en Google Earth)

サンタ・テレシータは幹線道路 C-2 の 141Km 地点を右折して 1Km、地図で赤い を つけた所です。 右折地点で扇型に広がる区画がパロ・ゴルド製糖工場で、ここにモニュメントが2つある訳ですが、私有地になり 頼めば見せてくれるのでしょうか?

この一帯がパロ・ゴルド遺跡になるそうですが、サトウキビ畑や住宅などで開発が進み何処が中心だかわかりません。 サンタ・テレシータの周辺には建物跡と思われる土塁が広がり、遺跡の一部になりそうです。


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  (Camino que extiende hacia norte)

これはサンタ・テレシータから更に北へ伸びる道で、道路の右側は建物跡の土塁のようです。

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  (Montículos alrededor de Santa Teresita)

道路の右側と更にその右側で、この辺りにパロ・ゴルド遺跡の建物が立ち並んでいたように見えます。 土塁は更に緑の小屋の後ろ側に広がっていました。 50Km 位離れたコツマルグアパの中心地、エル・バウルやビルバオでも建物跡はあっても修復はされておらず、 どんな街造りがされていたのか知る術がありません。

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パロ・ゴルドはエル・バウルやビルバオと共に古典期後期のコツマルグアパ文化の遺跡として知られますが、 ピエドラ・サンタと呼ばれるパロ・ゴルドのモニュメント 1 西暦 36年の日付が刻まれた有名なエル・バウルのモニュメント 1 、石碑エレラ は先古典期に遡ります。 西のタカリク・アバフと東のカミナルフユの間に位置するパロ・ゴルドや エル・バウル、ビルバオは 両者を繋ぐ先古典期の交易路の一翼を担っていたのでしょうか。

古典期後期になると西のタカリク・アバフは衰退し、片や東のカミナルフユは北のペテン地域との繋がりを維持する中、 パロ・ゴルドではエル・バウルやビルバオと共に独特なコツマルグアパ文化を形成することになりますが、どのような民族が どんな言語を使用していたのか、まだまだ解明されていない事柄が多いようです。



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