マヤ遺跡探訪
DZIBANCHE
シバンチェ遺跡は コバ、コフンリッチと共にキンタナ ロー州に於ける古典期マヤの代表的な遺跡です。 州北部の東海岸様式の後古典期遺跡と異なり、 州の最南部にあって、ペテン様式やリオベック様式の影響を受け、絶対王権の象徴とも言える 緑のモザイク仮面も 5つ 見つかっており、古典期マヤ世界の中でも重要な位置を占める遺跡です。

コフンリッチ遺跡とは国道 186号を挟んで反対側ですが、比較的近いのでセットで訪問可能で、コフンリッチからは 34Km、車で 30分でした。  州都チェトゥマルから行く場合は国道186号を西へ 58Km行き、北へ折れて 14Km先のモロコイ村に向かいます。  標識に従い更に9Km程、最後は未舗装の道を通って遺跡到着です。

   (訪問日 2002年1月3日、2007年12月14日)

発掘修復の進むシバンチェ遺跡を再訪、小アクロポリスとポム広場を中心に、発見された漆喰壁画等をまとめて、 ページの最後 に追加しました。

   (訪問日 2014年1月17日)
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シバンチェ遺跡の地図です。 規模の大きな遺跡で、鴨居の神殿 や ガン と シバルバ両広場を囲む建造物が修復されて見学可能ですが、 周囲にはまだ沢山の土塁が残され、更なる発掘調査が待たれます。

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(Vista aérea por Google earth)

Google earth による空からの画像では入り口に近い鴨居の神殿 (Templo de los Dinteles) や南のシバルバ広場のミミズクの神殿 (Templo del Búho) も確認できます。 画像は 2010年3月のもので、ミミズクの神殿東側の小アクロポリスも発掘が進んでいるように見えます


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(Camino hacia las ruinas de Dzibanché)

遺跡に入り写真のような曲がりくねった道を3分位歩いていくと遺跡が見えてきます。 途中遺跡の地図や案内板 が建ててありますが、特に前回訪問時と変わりはないようです。

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 (Templo de los Dinteles)

曲がりくねった道の先に鴨居の神殿が見えてきます。 四層の基壇の上に神殿が築かれた建造物で、7世紀頃に建造され その後新しい建造物で覆われたそうで、神殿は改築されたものですが、四層の基壇の方は建造当初のものが修復されているようです。

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 (Templo de los Dinteles)
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近づいて斜め左から建物全体を見てみます。 正面の階段両脇にはタルー・タブレロ様式が見られ、中央高原のテオティウアカンの影響を 受けているようです。
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  (El interior del templo superior)

上部神殿は二列に部屋が配された大きなもので、中央の天井は崩れ落ちています。 写真は神殿に登って左側です。

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  (Lado derecha del templo superior)

神殿正面右側も天井が失われていますが、中の部屋に通じる入口が残り、矢印の部分にマヤ文字が彫刻された木製の鴨居があります。  と言うのは実は 2002年の話で残念ながら今回これが取り外されていました。

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  (Dintel de madera grabada con jeroflíficos)

これは 2002年の写真で、鴨居の下面に神聖文字が刻まれています。 シバンチェはマヤ語で「木に刻まれた文字」を意味し、 遺跡の名前はこの鴨居の神聖文字から付けられたものでした。

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  (Reproduccion de mismo Dintel, Museo de la Cultura Maya en Chetumal)

この写真はチェトゥマルの博物館にあった複製で、こちらの方が文字がよく見えます。 ふたつの丸で囲まれた文字列には年号が含まれ、年号の解釈は554年と言う説と 733年の説がありますが、現地の案内板は 733年説 でした。 テオティウアカンの影響を受けているなら 554年でも適当かと思いますが、そうなると建物の起源も更に遡る事になるでしょうか。

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  (Dintel reemplazado, foto en 2007)

現在はこの写真の通り彫刻のない木製の鴨居に取り替えられています。 遺跡の由来となった木製彫刻ですから、せめて 複製を置いたらどうでしょう。  チェトゥマル市内の博物館に実物が移されたのかと思い見に行きましたが、複製も消えていました。
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  (Templo de los Dinteles)

下に降りてもう一度鴨居の神殿の正面です。 彫刻は写真で矢印をつけた鴨居の下でした。


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 (Camino hacia Plaza GANN)

鴨居の神殿を後にして、ガン広場へ行ってみます。 写真は遺跡の見取り図で、後ろにガン広場のトゥカンの宮殿が見えます。

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 (Lado posterior de Palacio de los Tucanes)

トゥカンの宮殿に近寄って、これは宮殿の背面になりますが、古典期特有の仮面の壁面装飾がありました。 表面の漆喰が崩れて仮面の詳細は わかりません。

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 (Entrada a la Plaza GANN)

トゥカンの宮殿の西端からガン広場へ入ります。 写真中央に広場の西側にある覆いの付いた虜囚の神殿が見えてきます。

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 (Parte frontal de Palacio de los Tucanes)

まずトゥカンの宮殿。 広場の北側に位置し、こちらが宮殿の正面になります。 トゥカンは長い大きな嘴を持つ熱帯の鳥 オオハシですが、 トゥカンが描かれた土器があったのでしょか。 古典期前期 (250-600AD) の古い建造物です。

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 (Mascarones del Palacio de los Tucanes)

正面階段右側には上下にふたつ仮面がありました。 背面と同じように漆喰は既に崩れていてどんな仮面だったか知る由もあり ませんが、コフンリッチとおよそ同時代ですから、似たものだったかも知れません。 階段左右にあった筈です。

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 (Templo de los Cautivos)

こちらは広場の西側にある虜囚の神殿で、覆いがついた部分が二箇所あります。 何か重要なものがあるのかと思いましたが…。

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 (Resto de Mascarón debajo del techado)

手前の覆いの下はトゥカンの神殿同様 漆喰彫刻仮面の跡で、漆喰の剥がれた石組みが露出しているだけでした。

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 (Los peldaños con bajorrelieves de los guerreros cautivos)

中央の覆いの方ですが、こちらは宮殿の名前の由来となった虜囚が彫刻された階段があります。 風化が進んで図像があまり良く見えませんが、 手を縛られた16人の捕虜が名前と年号と共に刻まれていたそうです。 500年頃のカラクムルの王の名前も確認され、階段が古典期前期のものと 確認できると同時に、カーン王朝のカラクムルのルーツがシバンチェに求められる事が示唆されます。

2012年に開館されたカンクン・マヤ博物館に捕虜の階段が集められ、歴史解説が加えられており、詳細はそちらを参照下さい。 他の出土物の 解釈からも、カ-ン王朝のルーツは実はシバンチェで、7世紀前半にカラクムルへ移ってカラクムルをティカルと並ぶ一大勢力に押し上げたのだと、 驚くような新説が唱えられています。

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 (Palacio POP al sur de la Plaza)

広場の南側にあるのが古典期後期のポップ宮殿で、スロープのついた基壇の上に宮殿跡が残ります。

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 (Vista desde parte superior de Templo de los Cautivos hacia Plaza GANN)

虜囚の宮殿に登りました、正面がガン広場です。 1927年に英国人軍医でアマチュア考古学者のトマス・ガンがシバンチェを発見し、 その名が広場に冠されています。 正面に鵜の神殿がありますが、こんもりと繁った木々で見通しが利きません。  2002年訪問時の写真です。

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 (Misma Plaza, pero se ve diferente en 2007)

今回 2007年には大分様子が異なっていました。 同じ場所を写した写真ですが、ハリケーンで植生が痛めつけられ、大分見通しが 良くなっています。 自然の猛威を見せつけられた思いです。

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 (Parte superior de Templo de los Cormoran en 2002)

鵜の神殿は広場に面して建てられていますが、前回訪問時は下部が土砂を被ったまま未修復で、写真の通り 鵜の神殿の上部が木々の間から 一部垣間見えるだけでしたが…。

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 (Templo de los Cormoran en 2007)

今回 発掘修復が進んでいて、下部の土砂が取り除かれ神殿全体が姿を現していました。 2002年の写真でマヤアーチが口を開けた部分が写っていますが、 この写真で神殿の上の方で黒く陰になった部分がそのアーチです。 鵜の神殿からは王の埋葬が発見されていますが、このアーチの中だと思います。

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 (Templo de los Cormoran en 2007)

土砂が取り除かれたので、階段の下の方からも同じ形のマヤアーチが顔を覗かせます。 どんな発掘物かあったのでしょうか。 王墓からは緑の 葬送面が見つかり、副葬品に 鵜が描かれた壷 があったので 鵜の神殿 と呼ばれようです。 シバンチェから発見された緑の仮面はマヤ特別展 「聖なる王の素顔」 にまとめてあるのでこちらを参照下さい。

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(Escalinata que conduce a Plaza XIBALBA al lado iazuierda de Templo de los Cormoran)

鵜の神殿の左(北側)に奥のシバルバ広場へ登る階段があり、階段の先にミミズクの神殿が見えてきます。 行ってみましょう。

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 (Templo del Búho al este de Plaza XIBALBA)
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シバルバ広場は ガン広場より高い位置に作られ、広場東のこのミミズクの神殿が広場の主神殿です。 シバンチェの他の多くの建造物同様、 古典期前期に作られ、古典期後期には新しい建造物で覆われましたが、現在目にするのは、最後の改装のひとつ前の姿で、中央階段の左右の 壁にはシンプルな仮面の装飾跡が見られます。
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  (Parte superior de Templo del Búho)

四層の基壇上の神殿は中央部が崩れていますが、左右は写真の通り屋根を含めて残されています。  この神殿の床面から基壇の中を地上面まで降りる地下階段の入り口が見つかり、地下の墳墓が 手つかずの状態で発見されました。 1994年8月と比較的最近の事で、1952年のパレンケのパカル王の墳墓に次ぐ 重要な発見でした。

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  (Un corte vertical de Templo del Búho que muestra tumba en su basamento)

回収された副葬品の大半はメキシコ市の人類学博物館に移され、マヤ室の地下のシバンチェ コーナーに展示されています。  写真はコーナーに展示された地下階段の断面図です。  ( 2012年11月に開館したカンクン・マヤ博物館に展示が移されかもしれません。)

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  (Ofrenda de vasija policromada, Museo Nacional de Antropología, D.F.)

副葬品はペテン様式の彩色土器、アラバスターの器、ヒスイ、真珠、貝、黒曜石のナイフ等があり、写真は図式化された人物 (埋葬された王?)が描かれたペテン様式の土器で、盗掘を免れて地下にひっそり眠っていた為に形も色も完璧です。

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  (Ofrenda de vasija de Búho, Museo Nacional de Antropología)

これも同じ様式の蓋付きの彩色土器ですが、蓋の取っ手がミミズクの頭になった独特のもので、ミミズクの神殿の名前はこの土器 に由来します。 上の彩色土器と共に古典期前期前半 (300-450AC) のもので、1500年以上もの間 地下に眠っていました。

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  (Ofrenda de vasija de Monos)

これも同じ墳墓からの副葬品で、蓋と器に手を広げた猿のモチーフが線刻された彩色土器です。

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  (Ofrenda de vaso de alabastro)

アラバスター製の器も同じ墳墓から発掘され、蓋に具象化された猿の取っ手が付いたシンプルで芸術性の高いものでした。

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 (Vista desde parte superior de Templo del Búho)

副葬品はこの辺にして、遺跡に戻ります。 ミミズクの神殿の上から広場を挟んで鵜の神殿の裏側が見えます。 前回は鬱蒼と 繁った緑に邪魔されて下の方は全然見えませんでしたが、ハリケーンのお蔭ですっきりしました。

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 (Parte posterior de Templo de los Cormoran)

広場から見上げた鵜の神殿の裏側です。 シバルバ広場は主神殿のミミズクの神殿を東側にして、北と南に同型の北の神殿と 南の神殿があり、西側は鵜の神殿の裏側で閉じられています。 ミミズクの神殿より新しく、古典期後期に入った頃にガンとシバルバの広場を 隔てる形で築かれたようです。

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 (Placio Norte de Plaza XIBALBA)

これは北の宮殿の跡、前回と比べて下草が取り払われ綺麗に整備されています。 ガン広場に INAH のトラックが 停まっていましたが、少しづつ整備が進められているようです。

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 (Bosque y los montículos fuera de Plaza XIBALBA)

北の神殿の裏の方を覗いてみました。 まだ発掘すべき遺跡が広範に存在します。 かなり時間がかかるでしょうが、 ミミズクの神殿の発掘を凌ぐ新しい発見もあるかもしれません。


シバンチェ遺跡で見学できるのはおよそこの位ですが、シバンチェ全体は40K㎡ を越す大きなマヤセンターで、 別にキニシナのグループとツゥティルのグループがあります。  少し離れていて車で移動になりますが キニシナは公開されています。

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 (Grupo LAMAY en el camino hacia Kinichná)

キニシナに行く途中に非常に大きな廃墟がありました。 ラマイ グループと表示板があり 縄が張られて 立ち入り出来ませんが、キニシナ、ツゥティルと同様 シバンチェの一部のようです。

シバンチェの入場券はキニシナにも有効で、シバンチェから直ぐなので時間があればお勧めです、再訪時は夕方で時間切れでしたが。   キニシナ は別ページです。




Ultima Exploracion  最新の発掘調査


その後シバンチェ遺跡での発掘・修復活動が進展しており、2014年の再訪ではその進捗を自分の目で確かめるのが楽しみでしたが…。 
遺跡に入り、マチェテで遺跡公園の整備をしている若者を見つけて、小アクロポリスについて聞いてみると、何と現在は立入り禁止になっている との事。 発掘修復後 2012年に公開が始まったものの、壁画にいたずら書きをされる為、直ぐに公開取り止めになったそうです。 残念そうにしていると 「案内しようか?」 と有難い申し出。 喜んで申し出を受けました。
Plaza Pom  ポム広場
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 (Montículo al norte de Plaza Pom)

案内されるまま若者について土塁の起伏を登っていきます。 遺跡を傷つけなければ問題ない訳で、遺跡でお願いすれば案内人同行で見学可能みたいです。

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 (Parte norte de Plaza Pom)

最初に案内されたのはポム広場で、広場の北側から起伏を登っていったと思います。 写真は広場の北側を閉じる建物の跡で、奥の壁の向こうに広場が あります。

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 (Plaza Pom vista de norte a sur)

広場に入りました。 広場は北と東西が建物で閉じられ、写真奥の階段が見える南側も基壇上に建物があり、広場は四方を完全に閉じられた中庭です。  広場を囲む建物は小部屋に分けられ、部屋の内部にはベンチが設けられていて、貴族の居所だったと考えられるようです。

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 (Pintura mural en la Plaza Pom)

上の写真にも見えますが、ポム広場の南基壇上の建物の東端に保護の為の屋根が付けられていて、屋根の下には漆喰成形された壁画が残されます。

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 (Pintura mural en la Plaza Pom)

これが壁画の全体です。 案内してくれた若者によると羽毛の生えた蛇だそうで、右に頭があり左に胴が伸びて、文字も刻まれているようです。

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 (Pintura mural en la Plaza Pom)

これは蛇の頭の部分を拡大したもので、漆喰で形を整えた上に赤や青、緑、黄色などで彩色されていたようです。 胴の上には人がのっていて、手や腕が 残されるそうですが、よく分かりません。 羽毛の生えた蛇と言うとテオティウアカンを連想しますし、蛇はカーンで王朝の名前になり、どんな解釈に なるのでしょう。 壁画の質や文字のある事を考えると古典期のものと考えて間違いなさそうです。  (壁画の場所は下の見取り図で ”ポム広場” の 下の星のマークを付けた所です。)

Pequeña Acrópolis  小アクロポリス
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 (Escalinata central de Pequeña Acrópolis)

ポム広場から更に起伏を南東へ登っていくと、西を向いた小アクロポリスの正面広場に出ます。 小アクロポリスには4つの宮殿があったそうで、 写真の幅広の正面階段の上に南北にふたつの宮殿が並び、その両横から正面広場を囲む形で北と南に更にひとつづつの宮殿がありました。 (上の見取り図には 階段と広場が書かれていませんが、4つの宮殿の並びはおよそこんな感じです。)

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 (Palacio Norte de Pequeña Acrópolis)

これは階段を上がり、北側の宮殿を横から見たところです。 小アクロポリスの発掘では至る所で石組みに塗られた厚い漆喰層が赤い 彩色と共に回復され、小アクロポリスはほぼ全面的に写真にあるような茅葺きの屋根で保護されており、4つの宮殿はひとつの大きな建造物のように みえます。

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 (Estucos descubiertos en la Pequeña Acrópolis)

これは西を向いた宮殿の内部で、屋根の下に彩色漆喰が保護されています。 漆喰は剥がれ易く 赤い彩色も色落ちし易いでしょうから、唯でさえ保存が 難しい所を、公開すると直ぐに心無い見学者から落書きをされてしまい…、公開見合わせも止むを得なかったでしょうが、残念な限りです。

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 (Graffitis encontrados en el mural)

赤い彩色にはよく見ると沢山のグラフィティーが残されていたようで、それらしい部分を切り出してみました。 左側には花模様、右側には人の姿 が描かれていたように見えますが、この上に落書きされると何が何だかわからなくなってしまいます。

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 (Patio en frente de Pequeña Acrópolis)

これは小アクロポリスの中央に立って、西方向を見たところで、森がなければ斜め左側にはミミズクの神殿が見える筈です。 虜囚の神殿から ミミズクの神殿の区域が祭祀センターで、ポム広場はシバンチェの貴族が寝起きした居住区、ここ小アクロポリスは行政が行われた場所と考えられるようです。

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 (Palacio centro-sur)

これは中央から南側 (上の写真から90度南へパンしたところ) で、南側も茅葺き屋根があり、彩色漆喰が沢山残っています。

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 (Graffitis de personaje en el mural)

かなり傷だらけになっていますが、よく見ると横向きになった人のグラフィティーがありました。

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 (Escalinata central de Pequeña Acrópolis)

南側の宮殿前から小アクロポリスの正面を見ると中央階段脇には仮面の跡が確認でき、トゥカンの宮殿や虜囚の神殿と同様、ペテン様式を汲んだ古典期前期に 遡る建造物になるようです。

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 (Palacios centrales)

中央階段を登り 厚みのある角柱の後に西を向いた宮殿がふたつ並びます。 写真右隅に上部が煤けた四角い構造物がありますが、案内の若者によると 香を焚いたものだそうです。 

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 (Brasero para quemar copal ?)

古典期の香炉は一般的に装飾性の高いものが多いですが、これも古典期のものになるのでしょうか? 小アクロポリスからは後古典期の遺物も 多く回収され、シバンチェは古典期マヤの崩壊を乗り越えて、少なくとも13世紀まで維持されたという説明もあるので、もしかするとより新しい 時代のものになるかもしれません。

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 (Pintura mural en el costado poniente de Palacio Sur)

さて小アクロポリス、最後の見どころ。 南側の神殿の西側面にも漆喰装飾が見つかっています。  (上の見取り図で 下の方の星マーク)

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 (Detalle de pintura mural)

この漆喰装飾も発見 間もないようで、何処にも説明が見当たりません。 文字が並べられているようですが、あまり完成度の高いものではなく、個人的には より新しい後古典期のもののように思えますが、専門家の説明を待ちましょう。

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 (Detalle de pintura mural)

文字の上の段には赤い帯が走りますが、蛇を表しているものか? 早く専門的な説明を聞きたいものです。

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 (Pequeña Acrópolis cubierta por el bosque)

小アクロポリスを西側に降りました。 ミミズクの神殿と小アクロポリスの間には広い空間が広がり、今居た小アクロポリスは 写真の小山の中です。  ここで案内してくれた若者とお別れ、勿論お礼を渡しました。

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 (Entrada restringida)

木の後ろの階段を降りてきたのですが、小山の麓には黄色いテープが何重にも貼られ、立ち入り禁止の看板がありました。 マヤの壁画に関心があるなら、 絶対に見逃せない場所で、管理の人とうまく話をつけて案内して貰う事をお勧めします。

Templo de los Cormoranes  鵜の神殿
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 (Esquina noroeste del Templo de los Cormoranes en 2007 y 2014)

さてこちらは公開されているエリアで、鵜の神殿の西寄りの北側面にもうひとつ壁画が発掘修復されています。 上は 2007年の写真で、現在は下の 写真のように様相が一変しています。

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 (Esquina noroeste restaurada)

鵜の神殿の基壇は 鴨居の神殿に似たテオティウアカン様式のタルー・タブレロになっており、北西角には古い時代の建物の壁面も残されていますが、 こちらもタルー・タブレロです。

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 (Pintura mural recuerada en el costado norte de Templo de los Cormoranes)

北西角から屋根のついた北側の階段を上がっていくと、階段に沿って修復された壁画があります。 階段で壁画が隠されているので、壁画は階段より古い 時代のものになりそうです。 枠に当たるタブレロ部分は 漆喰の上に赤や青、緑等で直接描かれ、傾斜パネルのタルー部分は漆喰で成形された上に彩色が 施されています。

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 (Detalle de la pintura mural)

壁画はよく見るとレース状の薄い布地を被せて保護してあり、その分オリジナルの彩色が白っぽく見えますが仕方ありません。 図像は王朝の生まれた 聖なる山が表されていて、王朝の正当性を主張するという説明もありますが、より詳しい研究結果を期待したいと思います。



シバンチェ遺跡にはポム広場の北東にまだ沢山遺構が埋まっていますし、駐車場手前 1Km のラマイ・グループも修復は中断していて未公開です。  今後ともシバンチェから目が離せません。

キニシナ・グループ も 最新の写真に差し替え 全面的に書き直しました。



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