画像

Exposición fotográfica "México, Territorio Arqueológico"

                写真展 「考古学の国、メキシコ」
メキシコ・ベニート・フアレス国際空港の第二ターミナルで開催されていた、メキシコ全土の遺跡をカバーした写真展です。 写真は INAH(国立 考古学局)所属の3名のカメラマンが撮ったもので、国際空港でメキシコの観光を促進させる為の謂わば官制の写真展であり、内容の充実したなかなか立派な ものでした。
                        画像

常設展示かと思ってウェブで調べてみるとこの写真展のページ があり、 残念ながら写真展は 14ヶ月にわたる時限でこの5月で終了しています。 でも写真展のページからは展示された写真がまだ全て閲覧できるようになっており、 個人的に未訪問の遺跡も数多く紹介されていたので、写真展は終了していますが、敢えてここで取り上げる事にしました。


(訪問日 2011年11月18日)

画像画像
 (Terminal 2 de Aeropuerto Internacional de Benito Juarez)  (Entrada a la Exposicion)

メキシコ市の国際空港は街中にあり、フォックス大統領の時にテスココへ移転が決まりましたが、地元の反対運動で直ぐに撤回、結局街中に居残る事に なってターミナルビルなど設備の更新が行われました。 写真左は 2007年に新たに建設されたターミナル2の出発フロアで、広々としただけでなく搭乗手続 も簡素化が図られ、以前のごみごみしたターミナルとは見違えるようです。 写真右は出発フロアの一角に設けられた展示スペースで、ここで写真展が 開催されていました。

画像画像
 (El interior de Sala de Exposición)

写真展の会場内部です。 中央にピラミッドが作られ 土器類のレプリカの展示もありますが、飽くまで写真展示が中心で、全国を8地域に分類して 合計42遺跡を写真パネルで紹介してありました。

    画像 画像
        (Explicación de la Exposición y la división de territorio Mexicano)

これは写真展の解説と全土を8つの地域に区分した地図です。 主催は INAH ですから、ただ写真を見せるだけでなく一通り解説があります。

画像

白地図に地域区分を移してみました。 メキシコには北緯23度26分の北回帰線が走り、およそこの南側がメソアメリカ文化圏にあたります。 写真展 の地域区分ではマヤ圏がふたつの地域に別れていたので、緑に塗った南部 / 南東部にまとめました。 以下この区分に沿って展示された写真を 見ていきます。



《 北西部  REGION NOROESTE 》

画像

チワワ州やシナロア州のメキシコ北西部はアメリカ合衆国の南部と共にオアシスアメリカ文化圏と言われ、世界遺産にも登録された 有名なパキメ遺跡があります。

画像
 (Las Labrados, Sinaloa)

この地域には狩猟漁労の時代から人々の定住が認められ、シナロア州の海岸には2000年前頃と思われる石の彫刻が残されます。 動植物や人の姿に 幾何学模様もあるようで、ロス・ラブラードス(彫られたもの)と呼ばれます。

画像
 (Paquimé, Chihuahua)

そして有名なパキメ。 700年頃から定住が始まり、現在のアドべ(干し煉瓦)で作られた住居群が築かれたのは 14世紀頃になるようです。  高度な水利システムを作り上げ、大規模な交易を行っていたようで、メソアメリカとの文化の交流もあり球戯場も確認されるようですが、文化的には ソノーラ、チワワからアメリカ合衆国南西部に広がるオアシスアメリカ圏に属するそうです。

冒頭に書いたように写真展の写真は個別に見る事ができます。 例えばパキメの写真は 写真展のページ を開いて メインページ左側の "Menú de contenido" の中から "Región Noroeste" をクリックし、 "NOROESTE" の地図を更に クリックすると大きなサイズで出てきます。 メキシコ北部の遺跡は未訪問ですが、少しは行った気になります。



《 北東部  REGION NORESTE 》

画像

メキシコ北東部のヌエボ・レオン州、タマウリパス州はメソアメリカの外縁部にあたるアリドアメリカ文化圏となり、アリド=乾燥した、不毛な、の 名前が示すように、元々豊かな土地ではなく、蛮族のチチメカの故郷とも考えられるようです。 

画像
 (Boca de Potrerillos, Nuevo León)

1万年位以前には植生の豊かな環境もあったようで、ヌエボ・レオン州のボカ・デ・ペトレリリョスを中心に数千の石彫りが今日に伝えられ、かまどや鏃、 ナイフ等の生活用具も残されるようです。

画像画像
 (Tammapul, Tamaulipas)

あまり遺跡が多くない地域ですが、タマウリパス州南西部のタンマプル遺跡が紹介されていました。 750-1000年頃に繁栄した街で、その民族や 文化については定説が定まらないようですが、チチメカになるのでしょうか。



《 西部  REGION OCCIDENTE 》

画像

メキシコ西部にあたるハリスコ州、ミチョアカン州はメソアメリカの周縁部にあたり、古くからメソアメリカ文明の流れを汲んだ先住民の文化が花開いたようです。

画像画像
 (Guachimontones, Jalisco)                     (Tzintzuntzan, Michoacán)

左の2枚の写真パネルはハリスコ州にあるテウチトゥラン文化のグアチモントネス遺跡です。 紀元前300年頃から900年頃にかけて栄えた遺跡で、 大型の円形ピラミッドが特徴的で、球戯場も2面あるそうです。 2006年にテキーラの古い産業施設群とリュウゼツランの景観が世界遺産に指定 されますが、テウチトゥラン文化の遺跡も同地の古代文化として包括的に世界遺産登録に含まれます。

右の2枚はミチョアカン州のツィンツンツァン遺跡で、後古典期に当たる1350年頃に築かれたプレペチャ族の首都です。 ツィンツンツァンについては ミチョアカンのページ で解説してありますが、強大なメシーカ(アステカ)の侵略も 跳ね除けた強大な勢力だったようです。


マヤ圏を抱合するメソアメリカ文明は、この西部地区から、次の中北部、東部を北限として、南はマヤ圏を通り越して中米のニカラグアやコスタリカまで 広がります。 共通の文化要素としては、金属を用いない石の文化であり、トウモロコシを中心とした農業経済により社会構造を作り上げ、高度な天文観測で 260日暦と365日暦を発展させ、豊穣を祈念する為に人身御供を伴う宗教観を持っていた事などが挙げられます。 またその宗教観を元に壮麗な都市建設を行い、 巨大なピラミッドや、球戯場、更には天文観測の施設なども築かれました。



《 中北部  REGION CENTRO NORTE 》

画像

サカテカス州からサン・ルイス・ポトシ州、グアナファト州、ケレタロ州をまとめて中北部として、7つの遺跡が紹介されていました。 メソアメリカ文明 北限の遺跡群になります。

画像
 (Altavista, Zacatecas)

一番北のアルタビスタ遺跡(別名チャルチウィテス)は 200年から1250年頃にかけて栄えたチャルチウィテス文化の遺跡とされ、丁度北回帰線上に位置 します。 柱の基部が所狭しと並ぶ、「柱の広間」はどういう役割を持っていたのか? 太陽の神殿と名付けられたピラミッドも有り、天文観測の為に 意図して北回帰線上に街づくりが行われたのか興味深いところです。

画像
 (La Quemada, Zacatecas)

同じくサカテカス州にあるラ・ケマーダ遺跡は 300-900年に栄えた遺跡で最盛期は 650-850年の古典期後期にあたります。 古くから知られた規模の 大きな遺跡で、テオティウアカンの飛び地だったとか、トルテカの都だったとか、いやタラスコだと、昔からいろいろな説が唱えられ、メシーカの 神話上の故郷であるチコモストックの候補にもなっているようです。 写真にある柱の広場の他、球戯場も2面あり、鋭角的なピラミッド神殿も有名です。

  画像画像
    (Tamtoc, San Luis Potosí)

サン・ルイス・ポトシ州のタムトック遺跡は紀元前800年頃からスペイン人到来まで街が維持されたようです。 ベラクルス州との州境に近く、ウアステカの 都だったとの事で、写真の石の彫刻は興味を引きます。 比較的規模の大きな遺跡で円形のピラミッドも有り、遺跡のオープンは2006年と最近の事になります。

画像
 (Cañada de la Virgen, Guanajuato)                    (Arriba derecha; El Cóporo, Guanajuato)

グアナファト州からは3つの遺跡が紹介されていました。 初めにカニャーダ・デ・ラ・ビルヘン遺跡、写真左側2枚と右下です。 350年から1000年頃に かけての遺跡で 最盛期は600-900年との事ですが、どういう民族が居住したのか、詳細はまだ明らかになっていません。 ここも 2006年に公開された 新しい?遺跡です。

画像
 (Arriba; El Cóporo, Guanajuato)                       (Abajo; Peralta, Guanajuato)

同じくグアナファト州のエル・コポロ遺跡は、500-900年頃に繁栄したものと考えられますが、ここも詳細不明です。 写真は一枚上の 写真の右上と、この写真の上の2枚です。

下の写真2枚と、1枚下の右下の日没の写真はグアナファト州ペラルタ遺跡で、他の二つのグアナファト州の遺跡同様かなりの規模の古典期後期の遺跡です。

従来グアナファト州はチチメカ等の遊牧民族の地としてあまり考古学的な解明が行われず、最近そのメスが入れられて大規模で高度な先住民の都市が明らかに なり、今後研究が進んでメソアメリカ北辺の様子が明らかになっていくのかもしれません。

画像
 (Abajo derecha; Peralta, Guanajuato)                     (Arriba y abajo izquierda; Tancama, Querétaro) 

中北部最後はケレタロ州のタンカマ遺跡、上の写真2枚と下左の写真。 東部地域のイダルゴ州との州境に近く、タントック遺跡同様ウアステカの 遺跡で、700-900年に繁栄したもののようです。 ウアステカ特有の円形ピラミッドもあります。



《 東部  REGION ORIENTE 》

画像

メキシコ東部地域はイダルゴ州、トラスカラ州とベラクルス州です。 ベラクルス州南東部はメソアメリカの母なるオルメカ文明が生まれた所ですが、 説明パネルで触れられているだけで写真がないのはどういう理由でしょうか。

画像
 (Tula, Hidalgo)                                      (El Tajín, Veracruz)

イダルゴ州のトゥーラは 900-1150年頃に栄えたトルテカの都として有名です。 首都のメキシコ市からも日帰りできる為、何度か足を運びました。  イダルゴ州のページ に写真が沢山載せてありより詳しい説明もあります。

画像
 (Cempoala, Veracruz)                                      (Pinturas de Cacaxtla, Tlaxcala)

ベラクルス州からは世界遺産のエル・タヒンをはじめとしてセンポアラ、キウイストゥラン、フィロボボスの計4ヵ所の遺跡が紹介されています。 フィロボボス遺跡以外は直接足を運んでいるので、詳しくは ベラクルス州のページ を参照ください。 エル・タヒンは 800-1150年に繁栄したトトナカの都です。

トラスカラ州はカカストゥラとソチテカトゥル遺跡の写真展示がありました。 メキシコ市から近く、何度も行きましたので、トラスカラ州のページ を参照下さい。 カカストゥラはソチテカトゥルと谷を隔てて向かい合った大基壇が中心で、 700-800年頃の極彩色の壁画は必見です。

画像
 (Vista general del sitio. Xochitecatl, Tlaxcala) 

ソチテカトゥル遺跡は航空写真があり、渦巻き型のピラミッドと大基壇上の花のピラミッド位置関係がよく判るので写真に収めました。 写真左の花の ピラミッドの背後にあるカカストゥラ遺跡まで写っていると完璧なんですが。

画像画像
 (Arriba izquierda; Gran Basamento. Cacaxtla, Tlaxcala)    (Arriba derecha; Vega de la Peña. Filobobos, Veracruz )
(Abajo izquierda; Plaza principal y escultura fálica, Filobobos, Veracruz ) (Abajo derecha; Cuajilote. Filobobos, Veracruz )

西部の遺跡として紹介された中で唯一未訪問のフィロボボス遺跡。 フィロボボスは元々川の名前で周辺に遺跡が6か所以上あるようです。 その中で ベガ・デ・ペニャ(写真右上)とクアヒロテ(写真右下)のみ修復の手が及んでいるようです。 後古典期にはナウア族が居住し、メシーカに貢納して いたようです。



《 中南部  REGION CENTRO SUR 》

画像

メキシコ中南部はメキシコ市とメキシコ市を取り巻くメキシコ州とモレロス州で、6ヵ所紹介されている遺跡はチャルカシンゴ以外は全て訪問して いるので、ここではチャルカシンゴと興味深い写真だけ取り上げます。

画像
                       (Templo Mayor, Destrito Federal)

左のパネルは中南部を説明したもので、各地域毎にこうした簡単な解説がありました。
右はアステカ(メシーカ)の都テノチティトゥランが発掘されている テンプロ・マヨールの夜景です。 メキシコ市は他にテオティウアカン以前のクイクイルコと、アステカの交易が行われたトラテロルコが紹介されて いましたが、これは メキシコ市のページ に譲ります。

モレロス州はテオティウアカンが放棄された後に繁栄した世界遺産のソチカルコが紹介されていました。 モレロス州のページ に写真と解説があります。

画像
 (Chalcatzingo, Morelos)

モレロス州のもう一つの遺跡 チャルカシンゴは 州の南東端でメキシコ市からはかなり遠く 未訪問でした。 写真展の写真を見て少し調べてましたが、 オルメカの時代からの重要な遺跡で、行っておくべきでした。 将来機会を見つけて行って見たいと思います。

画像
 (Pintura mural con representación de figura de jaguar, Tlatelolco, Distrito Federal)

メキシコ市北のトラテロルコで2002年に発見された壁画の写真が1枚あったので、しっかり写真に収めました、写真の写真ですが。 多分まだ公開されて いないものと思います。

画像
 (Vista aérea de la Pirámide del Sol. Teotihuacan, Estado de México ) 

メキシコ州は遺跡が沢山ありますが、パネルでの紹介はテオティウアカンだけでした。 テオティウアカンの写真と解説は テオティウアカンのページ にありますが、パネル展示に太陽のピラミッドの航空写真があったので写真を 撮りました。   メキシコ州のページ ではテオティウアカン以外のメキシコ州の 遺跡が9ヵ所紹介してあります。



《 南西部  REGION SUROESTE 》

画像

メキシコ南西部はゲレロ州とオアハカ州から各2ヶ所の遺跡が紹介されていました。 サポテカ文化とミシュテカ文化のオアハカ州は何度か回りましたが、 ゲレロ州は未知の地域です。

画像
 (Tehuacalco, Guerrero)                          (Arriba derecha; La Organera Xochipala, Guerrero)

ゲレロ州からは2ヵ所の遺跡が紹介されており、ひとつは 2008年12月に公開が始まったばかりのテウアカルコ遺跡で、アカプルコから車で30分位だ そうです。 古典期終末期から後古典期にかけての遺跡でヨペと言う文化だそうで、遺跡はヨピシンゴとも呼ばれるようです。 渦巻きの刻まれた石は 球戯場からのものです。

画像画像
 (La Organera Xochipala, Guerrero)                (Monte Albán, Oaxaca)

上の写真右上と左の写真2枚は同じくゲレロ州のラ・オルガネラ・ソチパラと言う遺跡から。 古典期後期から後古典期までのメスカラという文化の遺跡 で、かなり規模の大きな遺跡のようです。

右の写真と下の写真の左上はオアハカ州のモンテ・アルバン遺跡で、世界遺産です。  オアハカのページ でオアハカの遺跡8ヵ所が詳しく紹介してあります。

画像画像
 (Bocana del Río, Copalita, Oaxaca)                       (Arriba izquierda; Monte Albán, Oaxaca)

オアハカ州はかなり回ったつもりでしたが、ボカナ・デル・リオは未訪問でした。 チアパス州に近い海岸の保養地ウアトゥルコから 10Km の 極めて辺鄙な場所にある古典期終末期頃の遺跡で、特に重要な遺跡と言うことではなく 2009年に公開が始まったばかりで写真展に含めたられたものの ようです。



《 南部、南東部  REGION SUR y SURESTE 》

画像

メキシコを北から下って南部、南西部に至りました。 ここが 「マヤ遺跡探訪」 のホームグラウンドであり、マヤ遺跡については全て詳細レポートが あるので、ここではどんな遺跡が紹介されていたかを見てみます

     チアパス州 : パレンケ、トニナ、チアパ・デ・コルソ、イグレシア・ビエハ
     ユカタン州 : ウシュマル、カバー、シビルチャルトゥン、アケ、チチェン・イッツァ、エク・バラム
     キンタナ ロー州 : トゥルム

どういう基準で遺跡を選んでいるのか知りたかったのですが、少々バランス欠いているような感じです。 カンペチェ州のカラクムルやエツナ、或いは キンタナ・ロー州のコフンリッチ、シバンチェ、コバ等はどうしても省略できない所でしょう。

マヤ遺跡の写真と解説はそれぞれのページで見て頂くとして、 展示会に紹介されたINAH の写真は 写真展のページ で閲覧可能です。

画像
 (Iglesia Vieja, Chiapas)          (Abajo izquierda, Toniná, Chiapas)

唯一 「マヤ遺跡探訪」 に収録していないのがイグレシア・ビエハ遺跡(写真上2枚と下右の計3枚)ですが、ここはチアパス州南西端で、マヤ圏を外れて ミヘ・ソケ文化になるようです。 オアハカ州に通じる交易路に位置し、 300BC-1100AD と長期にわたり維持されたようですが、最盛期は 250-450AD と 古典期前期にあたるようです。 古くはオルメカの影響も受け、古い石彫りの祭壇も残されます。

画像
 (Muro con escenas mitológicas. Palacio, Toniná, Chiapas ) 

INAH による写真展ならではの写真が3枚あったので、写真の写真ですが撮っておきました。 これはトニナの宮殿の中の漆喰装飾でまだ公開されていないもの です。 写真を撮った人の著作権があるかと思いますが、INAH 公開の写真で目をつぶらせて貰います。

画像
 (Esculturas de Chac Mool y Jaguar. Interior de El Castillo. Chichén Itzá, Yucatán )

これはチチェン・イッツァのカスティーヨのピラミッド内部神殿にあるチャックモールです。 金網の中の薄暗い所にあるので写真が難しいのですが、 INAH のカメラマンが三脚かフラッシュを使って撮影したものと思います。 現在は公開が中断されているようで、奥にある真っ赤なジャガーの玉座 まで写っていて、この写真は貴重です。

画像
 (Vista desde el mar de los edificios conocidos como el Castillo y la Casa del Cenote, Tulúm, Yucatán ) 

最後にキンタナ・ロー州の後古典期のトゥルーム遺跡を海から見た写真で、船で海に出ないと撮れない写真です。  1518年にグリハルバの艦隊が見た 「セビリアに勝るとも劣らない」 マヤの街とはこんな光景だったのでしょう。





画像
 (Librería de CONACULTA al lado de la Sala de Exposición) 

写真展を横の出口からでると INAH の上部機関 CONACULTA の出版部門があり、隔月刊の "Arqueología" のバックナンバーも置いてありました。

以上昨年のマヤ旅行の際、メキシコ国際空港第二ターミナルで開催されていたメキシコの遺跡の写真展でした。  既に終了したようですが、広い展示スペースがあるのでまた新たにメキシコの文化に関係した催しが開催されているかもしれません。 第二ターミナル から出発の場合は少し早めに行って覗いてみる価値がありそうです。


マヤ以外のメキシコの遺跡43ヶ所を 「メキシコのその他遺跡」 としてまとめてありますが、北部を中心に未訪問の 遺跡が多かったので、この写真展のページで少し補足が出来たかと思います。



    画像