マヤ遺跡探訪
OXKINTOK
オシュキントック遺跡はメリダ市から南西に70Km程で、ウシュマル遺跡に行くより距離は短いですが、 遺跡への最後の4Kmは舗装されておらず、訪れる人は少ないようです。

先古典期からの居住が確認され、考古学的にはウシュマルやカバー等よりも重要かもしれません。 建造物もプーク様式 に先立つ時代からウシュマルと同時代のものまで多様ですが、建造物が結構崩れていて観光価値が低く人気が無いのでしょうか。  でもとても魅力的な遺跡だと思います。

2001年に次いで2006年に再訪しましたが、ガイドは不在、文献も乏しく、森の中に隠れた建造物もあって、全容を把握するのに苦労します。
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   (訪問日 2001年 11月 13日、2006年 11月 21日)
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  (Señal modesto que indica desviación a Oxkintok)

メリダから国道を快適に来ますが、この辺りからすこし怪しくなります。 標識も粗末な手書き、舗装は無くなり 砂利道を4Km行く事になります。

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  (Acercando al sitio arqueológico de Oxkintok)

こんな砂利道ですから大型の観光バスは難しそうです。 乗用車のすれ違いもちょっと…、でも遺跡が 見えてきました。

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  (Entrada al sitio de Oxkintok)

遺跡の入口。 遺跡の看板があり、右の藁葺き屋根は遺跡の受付です。  2001年に来た時は入口に人が居ましたが、 2006年には誰も見当たらず、無人。 止む無く素通りです。

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  (Plano del sitio de Oxkintok)

遺跡に入ると案内板があります。 オシュキントック遺跡は資料が少ないので、
貴重な地図でした。
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上の案内板を加工して見やすい地図を作りました。 明るい緑色の書き込みは上の案内板にはなく、付け足しました。  遺跡はアー・ジブ、アー・マイ、アー・カヌルの3つのグループに別けられ、入口はアー・ジブのグループのすぐ横です。

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  (Vista aérea por Google earth)

空から見るとこんな具合。 乾季の終わりの 2011年4月の画像で、茶色い地面が目立ちます。

以下、アー・ジブ グループから探索を始めます。



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  (Grupo Ah Dzib, en el bosque)

アー・ジブ グループは森の中です。 この写真はアー・マイの Ma-1 ピラミッドの上から撮った写真 を2枚張り合わせたものですが、 Laberinto (ラベリント=迷宮)の北側にある筈のアー・ジブの北西と 南西の中庭が見当たりません。 写真にマウンドと書きましたが、この土塁は北西の中庭の建造物の遺構の ようで、グループの西半分は殆ど失われている?

実は2回訪問したのに、アー・ジブの建造物の位置関係がよく判らなかったのですが、地図と写真、ビデオを照らし合わせて、 やっと謎が解けました、歩き回ったのはグループの東半分で、森に覆われた北東と南東の中庭だけだったようです。


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  (Arco en Patio Noreste)

前置きが長くなりました。 これは北東の中庭の北辺にあるアーチです。 文献が無く INAH のミニ・ガイドと 遺跡にある説明板が頼りですが、このアーチはミニガイドにも説明板にもなく、詳しい事が判りません。  エク・バラム遺跡の入口のアーチと少し形が似ており、比較的最近修復されたように見えます。

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  (Altar redondo en Patio Noreste)

振り返って南辺、手前に円形の祭壇のようなものがあります。 この北東の中庭は盛り土の無い自然の高さで、 正面の階段の向こうにある南東の広場は盛り土され一段高くなっています。

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  (Juego de Pelota en Patio Noreste)

アーチの西側にある球戯場です。 遺跡にあるアー・ジブの説明板には、北西と南西の広場が最も古く古典期前期以前 だそうですが、隣接するこの球戯場もかなり古いものでしょうか。

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                          (Marcador de Juego de Pelota exhibido en Museo Regional)

州都メリダにある地方人類学博物館にオシュキントックからのマーカーが展示されていますが、この球戯場からでしょうか?

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  (Lado oeste de Patio Noreste)

西辺に目を転じてみます。 写真左奥に見える建物はアー・ジブ グループ全体の中央に位置する Dz-8 El Castillo (城)です。  右側の階段の向こうには北西の中庭が広がっていた訳ですが、訪問時は気付きませんでした、と言うか判っていても それらしい痕跡しか目にする事は出来なかったのですね。

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  (Lado sur de Patio Noreste)

1枚上の写真にある階段を登って、北東の広場の南辺を見たところです。 低い所が北東の広場で、高くなっている 所は南東の広場になります。

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  (Lado noreste de Dz-8 El Castillo)

Dz-8 El Castillo (城)の北東角まで登りました。 城の後ろ側に2部屋ありますが、写真の低い平らな部分はその 側壁です。

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  (Patio Noreste desde Dz-8)

北東の中庭を見返して見ました。 球戯場の半分は見えますが、アーチは全く森の中に隠れてしまいます。  何処が何処だか判らなくなるのも道理です。

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  (Patio Noroeste ?)

そして北西の中庭と目される所です。 写真右の土塁は土の下に建造物が埋まっている筈です。  水平線にもうひとつ土塁が見えますが、オシュキントックは3つのグループ以外にもまだ沢山建造物が周りに あるようです。

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  (A la derecha, Patio Sureste)

Dz-8 El Castillo (城)の天辺まで登ってみました。 南東の中庭の北側が見下ろせます。 建造物は基礎を残すだけ。  手前は城の背面にある部屋です。

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  (Lado posterior de Dz-8 El Castillo)

城の上から降りて背面に回ってみます。 訪問時はこちらが城の背面とは知らず、前面がどうなっていたか、写真も記憶もなく 残念。

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  (Patio Sureste, de norte hacia sur)

さて南東の中庭も木々に覆われています。 北側から南の方を見た所です。

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  (Lado sur de Patio Sureste)

南辺の建造物、基礎を残すのみですが、階段左の傾斜した壁はよく磨かれた石で仕上られていました。

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  (Entrada este al Patio Sureste)

南東の広場を出て、写真は南東広場の東辺外側に取り付けられた通路と階段です。  階段下、右側の細い木の手前にアー・ジブ グループの説明板が取り付けられていました。 遺跡の見学ルートとしては ここから入るべきだったのでしょうか???

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  (Laberinto)

アー・ジブを後にしてアー・マイ グループに向かいますが、その途中にある Laberinto(迷宮)です。 地下室があって 懐中電灯を持って中を案内してくれる筈ですが、ガイドが不在で入れませんでした。 この地下室を指して迷宮と 呼ぶようです。




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  (Grupo Ah May)

アー・マイ グループのパノラマ写真、アー・カヌルのピラミッド(CA-1?)から撮ったものです。 ここは木が少なく、 写真に付記した建造物番号と上の地図で位置関係 が容易にわかります。 中心は Ma-1 La Pirámide (ピラミッド)ですが、こんもり茂った木で下の方は隠れています。


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  (Parte norte de Grupo Ah May)

北西側からグループの北側にある正面階段へ向かいます。 広さ15000㎡ の基壇は自然の起伏を利用したもので、周囲を壁で 囲んであります。 基壇の上にピラミッドが見えてきました。

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  (Parte noroeste de Grupo Ah May)

正面に近づきます。 緩やかなスロープの先に階段がありアー・マイ グループの北の広場に出ます。

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  (Ma-1 Pirámide y su reconstrucción hipotética)

階段を登って北の広場に出ると、矩形の祭壇を前にした Ma-1 ピラミッドが姿を現します。  階段左下にピラミッドの案内板がありピラミッドの推定復元図があったので、右上に貼り付けました。

ピラミッドの一番上には2部屋の神殿があり、階段の左右の一階部分と二階部分にも部屋が設けられていたようですが、 現在はその痕跡を残すのみです。 古典期前期から後期にわたり、建て替え、建て増しが繰り返されたようです。

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  (Estructura Ma-3 y Laberinto, vista desde Ma-1)

ピラミッドは上の神殿を含めると高さ15mで、オシュキントックでは一番高い建造物になります。 上まで登ってみました。

ラベリントの手前に写っている列柱の立ち並ぶ細長い建造物が Ma-3、その右が Ma-2 になります。 Ma-2 は古典期後期 のプーク様式、Ma-3 は8本の角柱を持ち葦葺き屋根だったようで古典期前期との説明書きがありました。 中央は Laberinto(迷宮) です。

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  (Plaza Suroeste de Grupo Ah May)

カメラを左に振ると南西の広場が見えます。 中央に大き目の矩形の基壇があり、周囲の建造物は基礎を残すのみ。

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  (Ma-7 Pirámide de esquinas redondeadas)

更に左側、ピラミッドの裏側になります。 基礎だけの建物跡と Ma-7 コーナーの丸いピラミッド が見えます。

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  (Estructura Ma-9)

ピラミッドから東側を見てみました。 手前に Ma-9、その奥左にはアー・カヌル グループが見えてきます。

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  (Ca-1 ? Pirámide de Grupo Ah Canul, vista desde Ma-1)

ついでに更に左側を見てみましょう。 アー・カヌルのピラミッドも見えてきます。  上の方のアー・マイ グループのパノラマ写真はこのピラミッドから撮りました。

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  (Estructura Ma-9)

これは Ma-9 の西側側面です。 北側正面に4部屋、南側に1部屋の建物ですが、。  建物上部の小さな円柱を並べた装飾と建物の角の円柱は典型的な古典期後期のプーク様式です。

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  (Chultun entre Ma-9 y Ma-6)

Ma-9 の裏、Ma-6 の辺りにチュルトゥン(水溜め)がありました。

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  (Estructura Ma-9 y Pirámide Ma-1)

Ma-9 の正面北側を横から見たところです。 手前の円柱がわかるでしょうか。
正面はピラミッドの東側面です。

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  (Lado este de Pirámide Ma-1)
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ピラミッド東側面のアップですが、三層目の右側に部屋がひとつ口を空けているのが見えます。  

ここまで アー・ジブ グループ と アー・マイ グループをまわりました。 次にもう一つのアー・カヌル グループへ向かいます。


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  (Grupo Ah Canul)

アー・カヌル グループの全貌がわかるよう、アー・マイのピラミッドの上から撮った写真を2枚繋ぎました。  北西側に聳えるピラミッド (番号が不明で便宜的に Ca-1 としました) から南東側の Ca-7まで主要な建造物が俯瞰できますが、 Ca-4 の大きなピラミッドは木々に覆われて頭をちょっと覗かせるだけです。


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  (Ca-7 Palacio Chich)

Ca-7 チック宮殿 (Palacio Chich) の望遠写真です。 近くに行くと正面から全景が入らないので、上の合成写真と同じ場所からの 写真を載せました。 説明は下の方で。

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  (Estructura Ca-5 Serie Lunar)

アー・カヌル グループに入って Ca-5 の前です。 ここはしっかり案内板がありました。 下の見取り図はその案内板から 切り取ったもので、Ca-5 Serie Lunar には全部で7部屋ありました。 見取り図の下の写真は緑の円で囲んだ第2室を 西側からみたところです。

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  (Estructura Ca-5, Cuarto 2)

天井のマヤアーチは特徴的で、平らな仕上げではなく、石を積み重ねて弧を描いており、初期のプーク様式でしょうか、 ペテン様式とも異なるようですが。

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  (Estructura Ca-6 Serie Inicial)

こちらは隣の Ca-6 セリエ・イニシアル (Serie Inicial) に一歩入って西側を見た写真です。 Ca-5, 6 共に 500-600 AD と古典期前期の 建造物ですが、鴨居にあった文字から 487年の年号が読み取れ、この年号からはプーク原型の様式と言うより 初期オシュキントック様式の建造物と解されるそうです。

因みに セリエ・イニシアルは イニシャル・シリーズと呼ばれるマヤの年号表記方法で、これについては マヤ・トピックスの中のマヤ暦で 解説してあります。

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  (Estructura Ca-8 Palacio del Diablo)

この小さな建造物は Ca-8 Palacio del Diablo (悪魔の宮殿)で、写真ではよく見えませんが、正面の柱は人物像の 彫刻で悪魔のように見える為にその名前がつきました。 古典期終末期の建造物。

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  (Estructura Ca-7 Palacio Chich)

そして上の方の望遠写真で見た Ca-7 Palacio Chich を横から見たところです。 二本の柱が人の形をしているのが 分かりますね。

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  (Estructura Ca-7 Palacio Chich)
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人物像の柱のクローズアップです。 二本とも同じ彫刻ですが、かなり風化しています。 2001年に来た時は粗末ですが一応 保護の為の屋根が取り付けてありました。 でもハリケーンで吹き飛ばされたようで屋根を支えていた柱も見当たりません。

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  (Columna esclupida de Ca-7 Palacio Chich, Museo Nacional de Antropología, D.F.)

案内板には第二番柱のスケッチがあります。 この現物はメキシコ市の人類学博物館にあり、その写真を案内板の横に 付けました。 柱は全部で3本あったそうで、1本だけ衣装が多少異なり、保存状態もよく博物館行きになったようです。

柱の説明を読みたかったのですが、説明版には建造物の構成と初期プーク建築 (750-1050AD) に属するとの説明のみ。

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  (Estructura Ca-7 Palacio Chich)

これは人物像の柱のある柱廊の奥の部屋ですが、天井のマヤアーチが平らに仕上られていて、Ca-5, 6 とは明らかに 時代が異なり、プーク様式です。

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  (Estructura Ca-7 Palacio Chich)

同じ Ca-7 の正面左に残る崩れた壁面ですが、プーク様式が窺われます。

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  (Estructura oeste del patio de Palacio Chich)

Ca-7 の反対側、広場の西側の建造物です。 Ca-5, 6 に近く、露出した天井のマヤアーチの形から古典期後期のものと思われます。

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  (Estructura norte del patio de Palacio Chich)

これは同じ広場の北側の建造物。 綺麗に修復されていますね。

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  (Estructura norte del patio de Palacio Chich)

上の建造物の内部ですが、綺麗に修復されていて新しい時代かと思いましたが、天井の仕上げから見るに古典期後期の 早い時代でしょうか。

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  (Estructura Ca-4)

一番東側の広場に移動します。 広場の北西角の向こうに Ca-4 のピラミッドが見えます。 このピラミッドは上の パノラマ写真で木々に隠れて殆ど見えなかったピラミッドです。 実は車で遺跡に近づいた時に見えたのがこのピラミッド でした。

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  (Una puerta modificada a ventana)

前の写真の左側に見えている建造物、東側の広場の西側に当たります。 左側の窓は部屋の入口を塞いで 窓に作り変えた様子が窺えます。 面白いですね。

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  (Estructura norte del patio este de Grupo Ah Canul)

東側の広場の北の建造物です。 この広場の建造物はおよそ古典期後期のもののようです。

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  (Estructura con Arco del patio este)

東側の広場の東側の建造物、中央に均整の取れたアーチ天井を持つ入口があります。 アー・ジブ グループの アーチ天井の入口より高く立派です。 オシュキントックの東の入口だったのでしょうか。

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  (Arco bien proporacionada)

アーチのクローズアップですが、鴨居から上の部分は崩れて装飾がありません。 プーク様式ですからこの部分には ラブナー遺跡のように綺麗な装飾があったのでしょうか。

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  (Esquina suroeste de Estructura Ca-4)

Ca-4 の南西角まで来ました。 アー・マイのピラミッドもそうでしたが、この ピラミッド、前面と背面の形が随分異なります。 背面は頑丈な石垣になっていますが、前面は中央階段 とその左右に部屋が設けられ、前に回ると別の建造物と錯覚します。

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  (Esquina suroeste de Estructura Ca-4)

ピラミッド前面に回ってみます。 ピラミッドの直ぐ前に高い木があって、正面からはピラミッドの上が見渡せません。  この角度から辛うじて階段横と天辺の部屋跡がわかります。

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  (Rreconstrucción hipotética de Ca-4 que muestra estilo Talud-Tablero de Teotihuacan)

このピラミッドには案内板が取り付けられていました。 推定復元図があったので切り取って写真に貼りました。

階段の左右、北西と南西の角は、壁面(タルー)に長方形のパネル(タブレロ)を嵌め込んだ、所謂タルー・タブレロ 様式で、中央高原のテオティウアカンの影響を示しており、時代的には 300-500 AD と古典期前期になります。  推定図に丸印で囲んだ所がタルー・タブレロ様式です。

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  (Altar redondo en frente de Estructura Ca-4)

Ca-4 の前面には円形の祭壇のようなものがありますが、高木が邪魔してここからピラミッドを見渡す事が出来ません。

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  (Estructura Ca-1 ? de Grupo Ah Canul)

さて、いよいよオシュキントック遺跡訪問の最後のピラミッドです。 案内板にも現地の地図にも番号が 振ってないので、便宜的にCa-1 です。 2001年訪問時は縄が張られて 登れませんでしたが、2006年には縄はなくなり登る事が出来ました。 でも階段の最後はかなりの急階段で、 結構な恐怖感を覚えます。

正面の階段は末広がりで下の方に開いて、マヤであまり見かけない形です。

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  (El interior de la cámara)

この部屋は上のピラミッドの北側の内部だったと思いますが、天井の様式がまた異なります。 石材がせり出して いって天井を閉じる形はペテン様式かと思いますが、前後に隣り合った Ca-4 と Ca-1 がそれぞれテオティウアカン 様式とグアテマラのペテン様式と異るのは興味深いですね。

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  (Estructura Ca-4, vista desde la cumbre de Ca-1 ?)

急階段を登ってみました。 後ろ(東側)に Ca-4 が望めます。 上に2部屋の神殿があった事がわかります。

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  (Grupo Ah May, vista desde la cumbre de Ca-1 ?)

南西側に目を転じると、正面にアー・マイ グループが広がります。 手前は Ca-1 に隣接した建造物で、これも 修復されています。

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  (Pirámide Ca-1 ?)

アー・カヌル グループを後にします。 最後にもう一度 Ca-1 です。

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                (Clock Bird en Maya TOH que nos despidió a la salida)

出口の手前で、綺麗な鳥を見つけました。 Clock Bird (振り子鳥)、マヤ語で TOH(トー)です。   出口には係の人が戻ってきていて入場料を徴収してくれました。 (^-^;


オシュキントック周辺部の国道寄りの所で洞窟が発見され、見学出来ます。 詳細は アクトゥン・ウシル洞窟 で まとめてあります。

また国道の整備に伴い国道沿いに オシュキントック遺跡の周辺部の建造物 が修復されており、こちらも まとめてあるのでご参考ください。




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