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MUSEO REGIONAL DE ANTROPOLOGÍA, PALACIO CANTÓN

          地方人類学博物館 カントン宮殿
メリダ市内北部に新しい博物館 ( メリダ 市 マヤ大博物館 ) がオープン し、 カントン宮殿のマヤの博物館としての役割は終了して います。 地方歴史博物館に衣替えするという報道もありましたが、現在はどうなっているのでしょうか?

カントン宮殿から新しいマヤ大博物館への移転に関しては、その商業主義からユカタン州や INAH 内部の軋轢が聞かれ、 カントン宮殿で大量に展示されていたマヤの遺物がどうなったか…、 広大な展示スペースを持つ新しい博物館がカントン宮殿 の展示物をすべて収容できたのか… 、案ずるより早く見た方が… 、2014年1月に訪問予定を組みました。

カントン宮殿にはこのページをまとめた後の 2011年にも訪問していたので、閉館前の最後の豊富な展示を写真の追加と差し替え を行い整理してみました。 カントン宮殿で展示されていた豊富な収蔵品が 新しい博物館でどの様に展示されているのか見ものです。
  ( 2013年12月追記 )

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 (El Palacio Cantón)

ユカタンの州都メリダにある 地方人類学博物館カントン宮殿。 首都メキシコ・シティーの人類学博物館にもユカタンからの遺物は多く展示されて いますが、流石に地元だけあって、プーク地方やチチェン・イッツァの展示物が充実しています。

(最終訪問日 2006年11月21日)

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   在りし日のカントン宮殿地方人類学博物館。 入り口を入るとカントン将軍の胸像がありました。



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    (Plano del museo)

カントン宮殿(冒頭の写真)は 20世紀初頭にフランシスコ・カントン将軍が邸宅として建てたボザール様式の建造物で、その後州政府が買い上げ、1960年代 から INAH の管理のもと地方人類学博物館が置かれています。 カントン将軍はマヤ人が蜂起したカスタ戦争を終結に導き州知事も務めた人物で、その邸宅 にマヤの博物館が開かれるのも運命の皮肉と言うか…。

これは博物館のフロアプランです。 1 の”玄関ホール”に受付があり、2 の”導入”から順に進んでいきます。 この1階が常設展示で、特別展示は2階のスペースで行われます。


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 (Pasillo de las esculturas)

玄関ホールから正面に 4 の”彫刻の通路”が広がり、フロアプランの 4 と 9 の間に衝立があって、その前に大きな浮彫り彫刻が置かれます。

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                   (Escultura calada de Tabi, Yucatán)

これがその浮彫で、プーク地方のタビ出土とありますが、タビには現在は遺跡は残っていないようです(遺跡地図にはないので)。 狩りで仕留めた 鹿を二人で担ぎ上げている図柄で、生贄など好戦的な図像が多い中、牧歌的な石彫りです。 時代は古典期終末期との事ですが、マヤ文字が刻まれて います。 

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  (Escultura de Tláloc, Uxmal)

これはウシュマル遺跡の占い師のピラミッド近くの建造物を飾った装飾彫刻で、トラロックが顔を覗かせます。 2枚の写真は同じ彫刻の別アングルです。

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                       (Lápida con representación de Tláloc< Uxmal)

これもウシュマルから。 建物の壁面を飾った彫刻で、やはり丸メガネのトラロックがモチーフです。 マヤなのでチャークと呼ぶ方が正しいでしょうか。  

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   (Esculturas de cautivos, Uxmal)

手を前で縛られた捕虜の彫刻で首がありません。 これもウシュマルからのものです。 ウシュマル は古典期終末期から後古典期前期に栄えた遺跡で出土物もこの時代と考えてよさそうです。

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      (Escultura de cabeza que muestra escarificaciones, Kabah)

これは カバー遺跡から。 コズポープの裏側の壁面を飾った「強い手を持つ男」の彫刻の頭部です。 カバーの王と考えられ、顔の右側は "Escarificacion" ( 「乱切」と訳されるようで、切り刻んで皮膚の盛り上がりで模様をつける)が認められます。 痛かったでしょうね、麻酔は使ったでしょうか。

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   (Esculturas antropomorfas)

チャークのような被り物を被った人物像。 背中に突起があり建物に取り付けられたように見えます。 彫刻の感じからカバー遺跡からかなとも思いますが、 説明が見当たらず何処の遺跡からかわかりません。 次回訪問時チェックです。 

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      (Esculturas antropomorfas)

こういう人物像も。 出所不明、次回訪問時チェックです。

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         (Esculturas antropomorfas)

これは神像でしょうか。 説明が見つからず詳細不明です。 右側はオシュキントック遺跡からのような感じですが、次回にチェックです。

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 (Panel con relieve de guerreros armados, Oxkintok)

武装した兵士を浮彫り彫刻したパネル。 これはオシュキントック遺跡から。

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    (Anillo del juego de pelota, Oxkintok)

オシュキントック遺跡からは球戯場の環状のマーカーも展示されています。 ウシュマルの球戯場のマーカーに引けを取らない立派なものですが、 オシュキントック にはウシュマルほど大きな球戯場は残されておらず、小さな球戯場 がひとつだけ。 より大きな球戯場が別にあったのかもしれません。

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    (Chac Mool de Chichén Itzá)

チチェン・イッツァからはお馴染みのチャック・モールが展示されていますが、上は 2003年に展示されていたもので、2006年に行った時は下の 別のチャック・モールに変わっていました。 写真で平面的に見えますが、腰を手前に捻って膝を前に突き出しています。  2011年はまた上のチャック・モールに戻っていました。

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 (Jaguares en procesión, Chichén Itzá)

この浮き彫りもチチェン・イッツァのもので、ジャガーが行進する図柄です。

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            (Escultura de Jaguar ?)

こんなジャガーの石彫りも。 多分チチェン・イッツァからのものと思いますが、要確認です。

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               (Escultura de Jaguar ?)

そしてこれもジャガーでしょうか。 チチェン・イッツァからの展示物の中に置かれていました。

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   (Portaestandarte, Chichén Itzá)

チチェン・イッツァの旗持ちの石像。 草履の紐や頭に赤い彩色が残ります。 旗持ちは建物の上などに置かれて旗竿を支える役目を持っていました。  どの建造物にあったものか関心ある所ですが。

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   (Serpientes emplumadas, Chichén Itzá)

チチェン・イッツァで随所に見られる羽毛のある蛇の石像。 状態の良いものは博物館保存です。

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   (Atlantes, Chichén Itzá)

建物の支えなどに用いられたアトランティスの柱。 右側はトラロックの容貌。 もちろん チチェン・イッツァ から。

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   (Atlante con rostro de Tláloc)             (Personaje con ateundo, Ek Balam)

左はトラロックの顔をしたアトランティス風の石像。 出所がわかりません。 右はエク・バラム遺跡からの高位の人物の石像。 エク・バラム はウキット カン レック トック王の霊廟を飾る素晴らしい漆喰彫刻が魅力でこれは遺跡へ足を運ばないと 見れませんが、その漆喰彫刻に似た雰囲気を持つ石像でした。

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                (Escultura circular con bajorrelieve)

沢山の人物が物語風に刻まれた円形の石彫り。 上段の左の人物2人は捕虜のポーズを取っているようにみえますが、解説が見当たらず、 出所も不明です。 支えが下に付いているので球戯のマーカーではなく、記念碑的なものでしょうか。

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    (Lápida con bajorrelieve)

上の円形の石彫りと似た雰囲気の彫刻で、槍を持った高位の貴族が向かい合っています。 出所がどこなのか?

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 (Lápida con bajorrelieve)

全面神聖文字で埋められた石彫り。 解読はされているのでしょうか?

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   (Esculturas de piedra)

小型の石彫り。 左はユーモラスな姿勢のジャガー? 骸骨にしてもいろいろ表情が異なります。

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           (Estelas de region PUUC) 

プーク地方の繁栄は古典期後期以降で、マヤ南部低地と比べ石碑の数はかなり限られます。 博物館にはプーク地方からと思われる石碑が 数本展示され、左上の石碑だけ文字が刻まれているようですが、殆どは図像のみの石碑です。 


   追加画像です。

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         これは従来からあった展示物。 左上の球戯場の環状のマーカーはウシュマルから。

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  これらの石造物は 2006年には見かけなったもので、新しい展示品ではと思います。



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  (Piedras con jeroglificos tallados de Xcalumkin)

建物の入り口周りを飾った石材に神聖文字彫られていて、これは シュカルムキン遺跡 から。  シュカルムキンはプーク地域の直ぐ西側になりますが、 州境を跨いでカンペチェ州の最北部になります。

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 (Tapa de bóveda pintada de Ek' Balam)      (Tapa de bóveda pintada de Xnucbec, Campeche)

これはマヤアーチの頂上を上から閉じたキャップ・ストーン(Tapa de Bóveda)にフレスコ画が施されたもので、詳しい説明はこちら。  通常描かれるのはK神ですが、左はエク・バラム遺跡の ウキット カン レック トック王の霊廟からで、トウモロコシの神に 扮した王自身が描かれているようです。 右はカンペチェ州のシュヌクベックから。

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 (Incensarios de Quetzalcóatl y Hun Nal Yeh, Mayapán)

チチェン・イッツァ没落後のユカタンで覇権を打ち立てたのがマヤパンで、マヤパンからは彩色された香炉などが展示されています。 左が ケツァルコアトル神で、右がフン・ナル・イェ=トウモロコシの神です。
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 (Fragmento de brasero de Huehuetéotl, Mayapán)  (Insensario de Escribano, Mayapán)

同じくマヤパンから、左は火の神、ウエウエテオトルで、右は書記の姿をした香炉です。 書記の神様は猿で、ここでは猿顔の書記が右手に筆、左手 にインク壺を持っています。

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 (Máscaras de estuco pintado, Mayapán)

これもマヤパンからのもので、彩色漆喰のマスク2点。 左は若者で青い耳飾りを付けていて、翡翠を身に着けられる高貴な身分のようです。

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 (Figurillas, Mayapán)

土偶も マヤパン のもの。 カエルの器は綺麗なマヤ・ブルー で彩色されています。



   追加画像です。

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            これらも 2011年に初めて見た展示品です。



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 ("Plato Blom" de Río Hondo)

直径 44.5cm もある、この彩色大皿はユカタン州からではありませんが、博物館の大事な収蔵品だと思います。 Plato Blom と呼ばれるこの皿は 出所がキンタナ ロー州とベリーズ国境を流れるオンド川近くで、ポポル・ブフ神話で双子の兄弟が吹き矢でブクブ・カキッシュを退治する様子が 描かれています。 ポポル・ブフのこのくだりはこちらで。

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 (Plato con Heroes Gemelos)             (Plato con Vukub-Cakix)

これもポポル・ブフ関連。 左はフンアフプとイシュバランケの双子の兄弟が鳥を吹き矢で狙っているところ、彩色皿の出所は不明。 右はブクブ・カキッシュ が描かれた彩色皿で、シュカンブ遺跡から出土した交易品です。 上の Plato Blom もこの2枚の皿も全て古典期後期の傑作です。

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  (Cajete con figura antropomorfa, Becán)  (Vaso con altorrelieve de estilo Chocolá)

ユカタン州にもシビルチャルトゥン、アケ、アカンケーなど古典期前期からの遺跡もありますが、博物館には古典期前期のものはあまりありません。  左はカンペチェ州の ベカン遺跡 からですが古典期前期の壺で、中に人型の土偶が 入った独特なもの。 右は出所はわかりませんが、チョコラ様式との事で見事な高浮彫りの壺です、時代はわかりません。

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  (Platos policromados de período clásico)

石造物に比べて土器の数はあまりありませんが、古典期後期の彩色土器も何点か展示されています。 左は生き生きした鳥が描かれ、比較的古そう です。 右は高貴な人物が描かれた彩色皿で、描かれているのは所有者でしょうか?

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       (Ceramicas de período posclásico)

浅浮彫りで絵柄の部分が黒く塗られた壺。 前頭変形された高位の人物の上半身が躍動的に表わされていますが、文字がなく、後古典期のもの でしょうか? 詳細不明です。 右は後古典期プーク地方特有の甕です。
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        (Cuenco policromado, Chichén Itzá)         (Vaso con efigie antropomorfo)

左はチチェン・イッツァからの漆喰彩色壺。 荷物を背負った人達が描かれますが、商人の一団でしょうか? 右は人面が見事に造形された壺で、 なかなか写実的です。 古典期の様式とは明らかに異なるようです。


   追加画像です。

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            従来からの展示品も含まれますが、目新しい土器類をまとめました。

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     頭蓋変形を示す頭蓋骨が説明のディスプレイとともに展示されていました。

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毛皮や骨製品も。 右の指が彫刻されたものはオシュキントック出土ですが、ペン先でしょうか。



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           (Accesorios y utensilios de cobre)

銅製品の展示もありました。 後古典期の交易品で、装身具は別として、斧などは道具として実用に用いられた訳ではないようです。

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 (Placas de jade, Chichén Itzá)

展示の最後の13番には装身具がまとめられています。 これはセノーテから回収された翡翠の装飾品で、チチェン・イッツァーの聖なる セノーテからのようです。

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         (Ofrendas de conchas, tumba real de Ek' Balam)

貝細工の装飾品。 エク・バラムの霊廟からは多数の副葬品が発見され、この貝細工もエク・バラムからのものが多いようです。(説明書きがなかった ので、よくわかりませんが、全てエク・バラムかもしれません。) 

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 (Articulos de concha, Ek' Balam)           (Mascara de concha, Pisté、Yucatán)

左は 2000年11月の写真で、一対のエビとマスクの3点だけ展示されていました。 その後エク・バラムから貝細工が続々回収されて、上のコレクションに?

右はピステ(チチェン・イッツア近郊の街)からの貝製のマスク。 古典期終末期から後古典期前期のものとされ、アイスホッケーで使われるマスクに 似ています、と言うより13日の金曜日のジェーソンと言った方が…。



   追加画像です。 装身具をまとめました。

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2011年には翡翠を中心に装身具の展示がかなり増えていたように思います。 新たな発掘物が追加されているのでしょうか?



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 (Regreso al hotel en carreta por el Paseo de Montejo)

見学を終えて冷房された博物館から一歩外へ出ると、眼鏡もカメラのレンズも曇ります。

メリダの街は年中暑く、ちょっと歩くと直ぐに汗ばみます。 博物館見学の後はこんな乗り物に乗ってホテルに帰ると、見える景色も少し変わって 来るかもしれません。 写真は博物館が面しているモンテホ大通り(Paseo de Montejo)です。 (新しい博物館は巨大な観光施設になり、レストランを始めとした観光客用の設備が沢山あるようで、カントン宮殿とは随分趣の異なる ものになりそうです。)



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2011年の展示です。 倉庫にはもっと沢山の遺物が保管されているのでしょうが、狭いカントン宮殿は床から天井まで展示品で溢れて いました。 新しい博物館での展示はどんなものになるのでしょうか?



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