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Dios de la lluvia CHAAC     雨の神 チャーク
古典期終末期にかけてマヤの中心地ペテン地方で次々にマヤのセンターが放棄されていく中、ユカタン半島では建物の壁面を見事な彫刻で飾る 異なる様式のマヤセンターが勃興してきます。 モザイク彫刻のチャーク像が有名なプーク様式やチェネス様式、リオ・ベック様式の遺跡群です。

個人的には碑文から史実が窺われる古典期マヤが好きですが、チャーク像を中心にした建物装飾もなかなか興味深いものです。 チャークはマヤの雨の 神と言われ、このページではこの「雨の神チャーク」 と 建物を飾った 「チャークの石造彫刻」 について少し掘り下げてみます。

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  (Mascarón del Dios Chaac, Codz Poop, Kabáh)

ユカタン州南西部にある カバー遺跡 には建物前面が全てチャーク像で埋め尽くされた コズ・ポープがあり、チャーク像は全部で 250体位になるそうですが、この写真はその内の1体分で、30位のパーツを集めて作られています。

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第一部 チャークについての考察

雨の神の起源と地域性   Origen del Dios de la Lluvia y su Variaciones
実際にユカタン半島のチャーク像を見る前に、まずチャークの生い立ち、特徴等を探ってみましょう。

メソアメリカで代表的な作物であるトウモロコシの栽培には雨が不可欠であり、多神教のメソアメリカでは雨の神が最も一般的な神になります。  マヤではその雨の神がチャークと呼ばれますが、マヤ文明の紀元を知る上でも雨の神の概念がどこからマヤに伝わったものか興味深い所です。

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(Monumento 10, San Lorenzo, Museo de Antropología Xalapa) (Dios de la lluva exclupido en Plato de Jade. MNA)

メソアメリカで一番古い オルメカ文明 に既に雨の神が現れます。 写真左は ベラクルス州都ハラパにある州立人類学博物館の展示から、オルメカ発祥の地 サン・ロレンソ(1200-900BC)出土のモニュメント10で、手に戦いの儀礼 に用いられる特殊な手袋を付けた雨の神の石像です。 右は首都の国立人類学博物館に展示されているオルメカの翡翠のプレートで、石像同様に 口角が下がり、炎の様に燃え上がった睫毛があり、手には手袋をつけています。

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  (Página 27 de Arqueología #96, Esquema por Covarruvia)

考古学誌 Arqueologia #96 Mar.-Apr. 2009 に雨の神特集が組まれていて、 ミゲル・コバルビアスによる雨の神の変遷図が載っていました。 コバルビアは20世紀の中頃にこの図を発表し、メソアメリカ諸文明の雨の神の 起源をオルメカに求める説を唱えました。 左図 (a) 一番下のオルメカの雨の神から始まって、一番上の横長の長方形がプーク様式の雨の神チャーク になるようです(上述のカバー遺跡のチャーク像)。  右図 (b)は雨の神の仮面を付けたオルメカの球戯プレーヤーの陶器をベースに置いた変遷図です。

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          (Escultura de cerámica de Cociyo, San José Mogote)  (Escultura estucada de Cociyo, Lambityeco)

写真上と左下は サン・ホセ・モゴーテ 出土の陶製の奉納物で、口から突き出た歯は 上図(b)の陶器に現れた球戯プレーヤーの顔つきに似ていますが、オルメカではなくこれはオアハカ州のサポテカ。 でもモンテ・アルバンに先立つ 紀元前の初期サポテカで、オルメカと時代的に大きな隔たりはありません。 遺跡併設の村の博物館に、埋納された姿そのままに展示されています。

上の写真手前のアクリルの箱は実際は石で出来たトウモロコシの収蔵庫を模したもので、中のトウモロコシを供した皿の中にはトウモロコシの穂が擬人化された 像があり、収蔵庫の上に手に雷(いかずち)を持ち雨の神の姿をした祖先の男性が置かれます。 後ろに控える女性4人も雨の神の面を付けた祖先で、世界の 四隅にトウモロコシを撒く役割を負ったと考えられ、トウモロコシの豊穣と雨の神との密接な関連が窺われます。

右下の写真は同じくオアハカ州から ランビトゥイェコ の雨の神の漆喰彫刻で、こちら は古典期後期のものになり、サポテカの雨の神の永い伝統がわかります。

雨の神がメソアメリカ文明で一般的と書きましたが、民族毎にその言葉で雨の神が表わされ、上の写真のサポテカの雨の神ははコシーヨ(コシーホ)と呼ばれます。  トトナカではタヒン、ミシュテカではツァウィとなり、テオティウアカンやアステカでトラロックと呼ばれるのはナワトル語の表現になります。 トルテカ、 プレペチャ、オトミ…、数多くの異なる民族の間に、少なくとも 26通りの雨の神を表わす呼び名があるそうです。

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 (Estela 3 de Izapa)

マヤ文明の起源をオルメカの影響を受けた イサパ に求める説がありますが、イサパの 石碑3には蛇の胴にのり、斧を振り上げた雨の神の全身が彫られています(石碑の右側)。 後の時代のマヤ・コデックスに出てくる雨の神チャークにそっくりですが、 石碑3のあるグループAは古典期に先立つ先古典期後期(300BC-50AD)に位置付けられます。

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(Palacio de Quetzalcóatl, Teothiuacan) (Estela 2, Xochicalco, MNA) (Columna labrada, El Tajín, Museo Xalapa)

他の地域の雨の神を見てみましょう。 写真左はお馴染みの テオティウアカン のトラロックで、 ケツァルコアトル神殿の壁面には羽毛の有る蛇の神、ケツァルコアトル と この雨の神、トラロック が交互に並びます。

中央はテオティウアカンが衰退に向かった頃にモレロス州で独自の文化を開花させた ソチカルコ から 石碑2で、中央に雨の神が刻まれます。 首都の国立人類学博物館に展示されたソチカルコの石碑3本のうちの1本です。

右はソチカルコ同様古典期終末期頃に繁栄を迎えたベラクルス州の エル・タヒン から、 雨の神トラロックが彫刻された柱で、州都ハラパの人類学博物館に展示されます。 エル・タヒンでは雨の神はタヒンと呼ばれるようです。 因みに エル・タヒン と ソチカルコ は共に世界遺産に登録されています。

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              (Urna de Tláloc, Veracruz, MNA)

これは人類学博物館の湾岸室に展示されるベラクルス中部地方のトラロックを模った骨壺で、古典期後期のものになるようです。 ベラクルス中部ですから、トトナカ の文化になるでしょうか。

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 (Jarra y Urna ? de Tláloc, Museo Sitio de Tula)              (Olla de Tláloc, Museo de Templo Mayor)

写真左と中央はイダルゴ州の トゥーラ の水差しと骨壺で、雨の神トラロックが描かれます。 時代は 後古典期の前期でトゥーラ遺跡併設の博物館蔵。

写真右は テンプロ・マヨール 出土のアステカのトラロックの壺で、後古典期後期に なります。 テンプロ・マヨール博物館。

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(Dios de la lluvia mixteca, Dzahui, MNA) (Lápida Tláloc, San José Tuxpan y Monumento de Teayo, Museo Xalapa)

写真左は後古典期ミシュテカの雨の神、ツァウィの彫刻で人類学博物館蔵。

写真中央と右はベラクルス州北部のウアステカ文化のトラロックの石彫りで、中央はサン・ホセ・トゥスパンから、右は カスティーヨ・デ・テアヨ からで、いずれも現在はハラパの人類学博物館蔵です。 丸メガネと歯の突き出た口はメソアメリカの 雨の神の特徴で、テアヨのトラロックには目の前に突き出た渦巻き型の鼻も見えます。


マヤはメソアメリカの主要な文明のひとつであり、雨の神を重視する点でも他のメソアメリカの文明と文化的要素を共有し、マヤの場合は雨の神がチャーク と呼ばれたと言う理解で良いでしょうか。

雨の神の特徴と表現   Características del Dios de la Lluvia
ここで雨の神の信仰について整理しておきましょう。 雨の神の基本は世界を循環する水であり、同時に水の神でもあります。 雨となって大地を潤した水は、 水蒸気になり空に昇って雲となり、そしてまた雨となって地上に降り、田畑を潤し豊かな森を育みます。 しかし雨が降りすぎると洪水になり、降らないと 日照りになったり…。 人の手で制御出来ないこの大自然の水の力を神として恐れ敬ったのがメソアメリカの 「雨の神」 信仰だったと言えるでしょう。

雨の神の姿はここまで見てきたように時代と民族によって一様ではありませんが、共通する特徴をあげると、丸メガネをつけ、口から歯が下に付き出て、鼻は 渦を巻いて前に伸びる、と言ったところでしょうか。 そして手には稲妻を持ったり、稲妻が斧に置き換わったりして、その強大な力を示すようです。

この雨の神の姿に加えて、その分身、化身としての蛇や雷、稲妻、雲、また稲妻を具象化した階段状のギザギザや雷紋などが、雨の神の代用として用いられる 場合があり、これ等も見ておく必要があります。

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 (Pirámide de las Serpientes Emplumadas, Xochicalco)

ソチカルコ の羽毛のある蛇のピラミッドは8世紀頃の建造と考えられますが、テオティウアカン 的な要素に、カレンダー文字やマヤ的な図像等が融合され、極めてユニークで興味深いピラミッドです。 西向きのピラミッドは東西南北四面に蛇が2匹づつ 配され、写真は裏側の東面で、尻尾合わせに2匹の蛇が左右対称に置かれます。 分り易いように左側の蛇を上に拡大しました。 左上に右を向いた頭があり、 胴が波打って右隅の尻尾に繋がります。

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 (Dios de la lluvia, Pirámide de las Serpientes Emplumadas)

8匹の蛇はタルー・タブレロ式ピラミッドのタルー(斜面)に置かれ、その上の垂直のタブレロ(パネル)の彫刻はかなり崩れていますが、丸メガネの雨の神 が一定間隔でずらりと並びます。 9 のトカゲの目の日付が刻まれ、743年の日食に同盟国の司祭が集まってカレンダーの日付の調整を行い、その司祭が丸メガネの 司祭として刻まれていると言う解釈があるようです。 雨の神と羽毛のある蛇の関連については更に別ページにするテーマかもしれません。

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  (Greca escalonada de la Casa B de Palacio, Palenque)

雷や稲妻を具象化した階段状のギザギザや雷紋もあちらこちらで目にします。 写真はパレンケの大宮殿の家B にあるT字型の窓ですが、雑誌 Arqueologia に イラストがあり、雷紋の周りに蛇が描かれていた事が初めてわかりました。 現地で見た時は周りの蛇には気が付かなかったのですが…。

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(Muro con bajorelieve de Serpientes y Grecas, Tula, Hidalgo) (Decoración de Grecas, Tumba de Zaachila, Oaxaca)

パレンケの雷紋はマヤの例になりますが、メソアメリカの他の文化にも雷を示す雷紋が見られます。 写真左はイダルゴ州のトルテカの都、トゥーラ にある壁面彫刻で、ガラガラヘビと雷紋が上下に並びます。 右はオアハカ州のサポテカの遺跡、 サーチラ からで、地下墳墓の入り口上部に雷紋の彫刻が見られます。

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  (Talud con decoración de Greca, Cholula, Puebla)       (El Palacio de las Grecas, Toniná, Chiapas)

雷紋は小さな彫刻だけでなく、大きな壁面装飾にも用いられ、左はプエブラ州、チョルーラ遺跡 に残る壁面を飾る雷紋で、近くにトラロックを彫った丸い石もありました。 右はマヤの トニナ遺跡 から雷紋の神殿の壁面装飾です。

丸メガネに、牙と鼻、そして雷紋と蛇は、およそメソアメリカ全般に共通するようです。

テオティウアカンの雨の神とその影響  Teotihuacan y Tláloc
メソアメリカの母なる文明と言われるオルメカと共に メソアメリカの他の地域に最も影響を与えた テオティウアカン でも 雨の神は中心的な神でした。 オルメカでは見られなかった丸メガネはテオティウアカンでは一般的で、テオティウアカン の文化的特徴がマヤ地域に伝わった時に丸メガネも併せて取り入れられたようです。 ここではテオティウアカンの雨の神、トラロックをまとめて見てみようと 思います。

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 (Templo de la Serpiente Emplumada)

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 (Tláloc, Dios de la Lluvia )                     (Quetzalcóatl、Serpiente Emplumada)

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 (Serpiente esculpida en el talud)

最初にケツァルコアトル(羽毛のある蛇)の神殿。 テオティウアカンでも比較的古い時代(150-250AD) のもので、トラロックとケツァルコアトルが交互に 並びます。 トラロックとケツァルコアトルはタルー・タブレロ様式のタブレロ部分にあり、細長いタルー(傾斜)部分には蛇が這っています。 最近は壁面 保護の為に幕が張られ 立ち入りも制限されて、上のようなスッキリした写真は無理のようです。 トラロックとケッツァルコアトルは、マヤに渡るとチャーク とククルカンと 呼び名が変わります。

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          (Cabeza de Serpiente, Plaza Oeste)

これはシウダデーラに近い 西の広場 で地下神殿を飾った蛇の彫刻で、階段の手摺が床に 接地する部分に取り付けられていました。 蛇の舌先は2つに分かれています。 ケツァルコアトルの神殿と同時代で、後に新しい建造物で覆われた為、当時の彩色 が鮮やかに残されました。

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         (Diosa de Jade o Tláloc Verde, Pintura mural de Tetitla)

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 (Tláloc, Pintura mural de Tetitla)                 (Tláloc negro, Museo de Pintura mural de Teotiuacan)

テオティウアカンに残る壁画にはトラロックが良く描かれます。 上と下左の壁画はテオティウアカンの外周道路の外にある テティトゥラ宮殿 からで、上の方のトラロックは緑の女神とも呼ばれ、両手から宝石をばら撒いており、大地を 潤すものと考えられます。 右下は黒いトラロックと呼ばれる壁画で、 2001年頃に現地に新設された壁画博物館に展示されます。

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 (Varias representaciones de Tláloc, Pintura mural de Tepantitla)

同じく外周道路の外側、太陽のピラミッドの裏の方になる テパンティトゥラ宮殿 にも 壁画が多く残され、写真左は有名なトラロックの天国の壁画の一部です。 これ等の壁画はケツァルコアトルの神殿よりも新しく6世紀頃のものと考えられます。

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               (Cerámicas policromas con la representación de Tláloc, MNA y Museo de sitio)

トラロックは土器にもよく用いられるモチーフで、テオティウアカン式の漆喰彩色土器に丸メガネのトラロックが極彩色で描かれます。 左は人類学博物館、 右はテオティウアカン併設博物館蔵。

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         (Cerámicas con la representación de Tláloc y Jaguar, Museo de la Pintura Mural de Teotihuacan)

テオティウアカン独特のオレンジ土器にもトラロックが現れます(写真左)。 右もトラロックかと思ったらジャガーでした。 舌先がふたつに分かれていて 紛らわしいです。 トラロックもジャガーも遺跡の壁画博物館の展示から。

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  (Jarra tipo Tláloc, Museo Anahuacalli, D.F.)

丸メガネとは様式が少し異なるようですが、この水差しも4世紀頃のテオティウアカンのトラロックです。 首都のアナウアカリ博物館から。

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 (Vaso policroma, procedente de Tikal, MNAE)       (Replica de Estela 31 de Tikal, MNA)

さて、ここからテオティウアカンのトラロックがマヤ地域に伝わった例を見ていきます。 テオティウアカンによるマヤ地域への軍事的侵略があったのか、 交易を中心とした文化的な浸透だったのか、議論のある所ですが、詳しい話はさて置いて写真を見ていきましょう。

左はグアテマラの首都にある国立考古学民俗学博物館に展示されるティカル出土の彩色壺で、トラロックが全面に描かれます。

右はメキシコの人類学博物館のテオティウアカンコーナーに展示されるティカルの石碑 31 の複製で、側面にはテオティウアカン風の衣装を着けたヤシュ・ヌーン・ アイーン1世が刻まれ、手に持った楯にはトラロック(写真中央)が描かれます。 (石碑 31 の実物はティカル遺跡の博物館 Museo Tikal に展示されます。)

ティカルに於けるテオティウアカンの影響はトラロックの他に、建物のタルー・タブレロ様式、球戯場のマーカー、投槍器等に見られます。 詳しくは ティカルのページグアテマラ国立考古学 民俗学博物館、ティカル石碑博物館のページ を参照下さい。

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 (Estela 11, Yaxhá, Guatemala)           (Escultura en estuco, Grupo norte de Palenque, Chiapas)

左はティカル近郊の ヤシャー遺跡 の石碑 11(複製)、右はチアパス州の パレンケ遺跡 の北のグループにあるトラロックの漆喰装飾で、共に丸メガネが確認でき、テオティ ウアカンンの影響を受けたことがわかります。

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             (Altar Q de Copán, Honduras)

そしてホンジュラスのコパン遺跡にも。  コパン の西の中庭の 16号神殿前にある有名な 祭壇Q ですが、16名の歴代コパン王が刻まれ、初代王ヤシュ・クック・モ(左側に座る王)が丸メガネを付けて登場します。


タルー・タブレロ様式等のテオティウアカンの文化的特徴は古典期前期中心に見られますが、古典期マヤの崩壊と共にその影響は消えていく中、雨の神トラロック はユカタン地方でチャークとしてその文化の中心に居続けることになります。

コデックスの中のチャーク  Códices y CHAAC
建物の彫刻、土器、壁画の他、コデックスと呼ばれるマヤの絵文書 に雨の神チャークが頻繁 に登場します。

現在残るコデックスは後古典期に作られたものですが、その内容については古典期に遡るもので、王の偉業や戦勝などの王朝史が石碑に刻まれる一方、暦を元にした予言や 神託がコデックスにまとめられ、当時のマヤの宗教観や信仰が現代に伝えられることになります。  雨の神は豊穣の為の予言・神託に必須であり、コデックスでは 重要な主役になります。
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              (Página 74 de Códice Dresde)              (Página 35 de Códice Dresde)

左はドレスデン・コデックスの 74ページで、洪水により世界が破壊される場面と考えられ、天空の竜の口と胴体から水がほとばしり落ちます。 年老いた女神O (イシュチェル)は手に持った甕から水を撒き、投槍と杖を持って下で跪いている黒いL神は破壊を意味するようです。

右は同じくドレスデン・コデックスの 35ページで、「農民の暦」の部分にあたるので、出てくる神は全て雨の神チャークになります。 (ドレスデン・コデックス 全体で、チャークは 134回現れるそうです。)

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   (Página 35 y 37 de Códice Dresde)

雨の神チャークの図像を拡大してみました。 チャークは蛇の口から現れたり(左)、胴体が蛇になったり(中)、蛇の斧をもったりします(右)。

チャークは蛇の様相をした人間の姿を取りますが、顔が特徴的で : 口の上から上向きに渦巻く長い鼻があり、目は蛇の目をして四角で大きく、 渦巻き型の瞳を持ち、下瞼はこめかみに向け上に伸びて丸まり、口には歯が際立って、口角からは特徴的な丸まった牙が伸びます。 書いて説明しても 判り難いので色を塗りました。 鼻が緑、目と瞳がオレンジ、下瞼が青、口が水色、牙が赤で示してあります。

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  (Características de rosotro de Chaac en los códices)


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  (Página 12 de Códice Madrid)

この少し雰囲気の異なるコデックスはマドリ―・コデックスで、やはり雨の神チャークが沢山登場します。 写真の 12ページは大雨の中、チャークが空から 落ちてくるところだそうです。 チャークの顔の描き方が少し違いますが、特徴はドレスデン・コデックスのチャークと同じようです。

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         (Página 30 y 31 de Códice Madrid)

これはマドリ―・コデックスの 30ページ(左)と 31ページ(右)で、 チャークと水は青く塗られています。 30ページの上には蛇の頭の上に立つチャークと 尻尾の部分に立つ年老いた女神O が描かれ、共に手に持った甕から水を撒いています。 下の図像で両手を広げて立つのは年老いた女神O の被り物を付けた 水の女神で、股間から大量の水をほとばしらせ、両脇からも水が噴き出しています。 右下にそっぽを向いて座り込むチャークが見えますが、何を意味するのでしょうか?

31ページの上ではしゃがんだチャークの肛門から水が噴き出ていて、四方にいる動物は蛙を表わし やはり水を撒いています。 蛙はチャークの盟友で、鳴き声を 上げて雨を呼び、世界の四隅に水を撒きます。 下の図像では雨が降っていません。 蛇の体は空を表わすようで、その胴に結びついたチャークですが…?

コデックスの予言の中でそれぞれのチャークが何を意味しているのか解れば遺跡に残されたチャーク像の理解にも役立つのでしょうが、コデックスの解読は容易では ありません。 でも筆で描かれたチャークは石像より表情豊かで石彫りの理解の一助になるのではと思うのですが。




第二部 プーク様式に見られるチャーク像
ここまで雨の神について、起源や地域性とその特徴などを見てきました。 ここから実際にプーク様式のマヤ遺跡に残るチャーク像を見ていきます。  専門家ではないので異なるチャーク像の比較や分析は出来ず 画像の羅列になりますが、画像を沢山見る事でチャーク像を確認し、視覚的にその違いを 実感できたらと思います。
ウシュマル  UXMAL
占い師のピラミッド  Pirámide del Adivino

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 (Pirámide del Adivino, Uxmal)

世界遺産の ウシュマル遺跡 はモザイク彫刻のチャーク像の宝庫で、遺跡中チャークだらけです。  まず占い師のピラミッドから見てみましょう。 中央階段を登った所にある神殿IV は 10体以上のチャーク像で構成され、正面入り口が開いた口になるよう、 全体が大きなチャーク像になっています。 そして中央階段の両脇には上から下まで滝のようにチャーク像が並びます。

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       (Detalle de escultura de Dios Chaac)

写真上は神殿IV のチャーク像の細部、登頂禁止なので超望遠画像です。 下は階段脇に滝状に並べられたチャーク像で、ここのチャーク像の目は渦巻き状になって いるのがはっきり確認出来ました。


尼僧院  Cuadrángulo de las Monjas

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 (Imagen panoramica de Cuadrángulo de las Monjas)

占い師のピラミッドの隣の尼僧院の矩形は東西南北4つの横長の建造物で構成され、さながらチャーク像の展示場です。 この画像は北の建造物を正面 にパノラマ合成しました。

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 (Edificio Norte)
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 (Edificio Oeste)
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 (Edificio Este)
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 (Edificio Sur)

上から北、西、東、南の建造物で、東の建造物の右後ろに聳えるのが占い師のピラミッド、南の建造物の背景にあるのが総督の館と大ピラミッドです。  以下、それぞれの建造物に施されたチャーク像の彫刻を見ていきます。


(北の建造物  Edificio Norte )

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   (Detalle de escultura de Dios Chaac)

一番上の2枚の写真は向かって右端のチャーク像で、次の写真が建物中央のチャーク像です。 次の2枚の写真は建物の左の方で、上下四連のチャーク像の 間にはマヤの家の彫刻が置かれ、家の屋根は三連の双頭の蛇で、入り口にはジャガーの彫刻が施されています。 チャーク像を細かく見ていくと左の方の チャーク像は瞼や歯のパーツが明らかに異なっており、北の建造物は一度に建造されたのではなく増改築が施されたように見えます。

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 (Posible reconstrucción - retocado digitalmente)

北の建造物は残念ながら壁面上部がかなり崩れています。 およそ左右対称になっていたと想定して、四連のチャーク像を4組とマヤ民家を2軒補ってみま した。(下の画像)

広場に面して左右に設けられた神殿はサイズが異なり、建物全体も多少左右対称が崩れ、継ぎ接ぎされた感が否めません。 他の東西と 南の建造物はそれぞれ統一感を持って一度に建設されたように見えるので、北の建造物が最初に作られ増改築を経た後 東西と南の建造物で広場が閉じられた ような感じがします。

(西の建造物  Edificio Oeste )

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 (Edificio Oeste)

北の建造物から斜めに見た西の建造物です。 西の建造物は優雅な壁面装飾を持ち、洗練された一体感のあるデザインから、計画性を持って一度に建てられた ように見えます。 図像は全体的にほぼ左右対称で、一部同じモチーフの繰り返しになっています。

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  (Detalle de escultura de Dios Chaac)

左の写真は一番右の戸口の上にあるチャークと民家、右は建物右角にあるチャーク像で、建物の左側もほぼ同様の図像が繰り返されています。

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 (Parte central de la fachada)

これは建物の中央にあたる部分で、建物の中心に天蓋付きの玉座があり、その下に羽飾りをつけた貴族の頭部彫刻と円板が置かれます。 ウシュマルの王 でしょうか? 背景はレース状の格子で、蛇の胴や雷紋にいろいろなエンブレムのような嵌め込みもあります。

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  (Detalle de escultura de Dios Chaac)

全部で7つある戸口の左から2番目および右から2番目の戸口の上に三連のチャーク像があります。 上の画像は右側の方で、チャーク像の左右に雷紋が配され、 蛇の胴体が絡み合ってチャーク像の右には蛇の頭と尻尾が確認できます。 下の2枚の画像は右と左の離れた3連のチャークを比べてみたもので、殆ど同じパーツで 構成され同時期の建造が確認出来ます。 目は渦巻きでした。

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 (Escutura de grecas y chaac en el lado norte)

建造物の側面は格子模様の上に雷紋が配されたシンプルなデザインですが、雷紋はチャークを表わす雷を具象化したものでした。

(東の建造物  Edificio Este )

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 (Edificio Este)

反対側の東の建造物です。 中央の三連のチャーク像を中心に完全に左右対称になっていて、単純ですが力強い壁面装飾です。

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  (Detalle de escultura de Dios Chaac)

左の写真は建物に向かって右側角のチャーク像を南側から見たもので、チャークの鼻が上に向かって伸びています。 一般的なチャーク像は一度下がった鼻が 上に向けて巻きますが、ここでは逆に上に上がってから下へ向かい、鼻のパーツが逆向きに取り付けられている感じです。 折れている鼻が多いですが、上向きの 鼻は数が少ないようです。

写真右は東の建造物の中央にある三連のチャーク像です。 鼻は上向きだったのでしょうか? 残念ながら折れてしまっているので判然としません。

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             (Ocho serpientes con cabezas en ambos lados)

これは8匹の双頭の蛇が台形を形作る壁面装飾で、中央の三連のチャーク像の左右に合計6つあります。 台形上部に取り付けられたマスクは、羽飾りを つけたマヤの神という説明と、ミミズクだと言う説明があるようですが、どちらでしょう。 よく見ると丸メガネを付けているようでもありますが…。 (画像下)

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                                     (Máscara sobre las serpientes)

(南の建造物  Edificio Sur )

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 (Edificio Sur)

尼僧院の矩形への入り口がある南の建造物にも壁面上部にモザイク彫刻が施されます。

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 (Edificio Sur)

入り口のアーチ以外に8つの戸口があり、各戸口の上にマヤ民家とチャーク像を組み合わせた装飾があります。 全部写真に撮ってみましたが、完全に元の形を 保っているものはなさそうです。

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 (Esculturas de casa y chaac)

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                                (Restauración digital)

チャークと家の組み合わせは全て同じものだったようなので、欠けている部分を補って復元してみました。


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 (Página 268-269 de una publicación "Culturas Prehispánicas de México, Guatemala y Honduras")

Culturas Prehispánicas de MÉXICO, GUATEMALA y HONDURAS という大判の本に彩色された想像復元図があったので、写真に撮ってしまいました。  268-269ページです。 大きくて重い本ですが、全ページ カラーで、大きな写真や復元図満載で、お薦めです。


大ピラミッド  Gran Pirámide

ウシュマルのチャーク像、まだまだあります。 もう食傷気味でしたら、飛ばしてください、下にまだ他の遺跡のチャーク像が沢山あります。

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 (Gran máscara de Chaac)

ウシュマルのモザイク彫刻は総督の館が有名ですが、その前に大ピラミッドのチャーク像です。  大ピラミッドはかなり崩壊が進んでいましたが、前面を中心に修復が行われたので、中央階段から上部神殿まで登れます。 そして上部神殿の中に 鎮座しているのがこの本尊とも言うべき大チャーク像です。 大きなピラミッドを積み上げて、その天辺に雨の神のチャーク像ですから、それだけ雨が 重要視されたと言う事でしょうか。

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 (Esculturas de Chaac en el templo superior)

上部神殿の周りの建物彫刻が部分的に修復されて、やはりチャーク像が認められます。 左の写真は角を飾る三連のチャーク像で、渦を巻いた目の間に ある鼻は上を向いているようです。 そしてよく見ると鼻の下の口のなかには小さな仮面の彫刻があります。 (上の拡大写真で確認出来ると思います。)

右側のチャーク像は上部神殿の右側の角で、左の写真のチャークとは少しモザイクのパーツが違うかもしれません。 そしてチャーク像の左右の壁面には 雷紋とコンゴウインコ(太陽の神の化身)の彫刻がありました。


総督の館  Palacio del Gobernador

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 (Palacio del Gobernador)

さて、ウシュマルの最後に総督の館を見てみます。 幅100m もある大きな建造物で、壁面上部は全てモザイク彫刻で埋め尽くされています。 中央の長い 建造物に左右の建造物が背の高いマヤアーチで繋がれますが、モザイク彫刻は3つの建造物にわたり統一したテーマが貫かれ、全部で 113 のチャーク像が 左端から右端まで波打つように配されます。 数えて確認はしていませんが。

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               (Detalle de fachada superior de Palacio del Gobernador)

細部を見てみましょう。 一番上の画像は左の建造物全体で、チャーク像を白線で囲ってみました。 左の角から始まって全部で24体分あります。

上の画像4枚でおよそ建物の左端から中央までをカバーしています。 チャーク像が上に行ったり下に行ったりしているのがわかるでしょうか。

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 (Detalle de fachada superior)

そしてこれがモザイク彫刻の中心です。 チャーク像の帯はここでは上を通り、尼僧院の東の建造物と同様の双頭の蛇が8匹 台形状に上下に並べられ、その上に 立派な頭飾りをつけたウシュマルの支配者の彫刻が置かれます、残念ながら顔がありませんが。

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              (Detalle de escultura de dios chaac)

             最後に総督の館のチャーク像のクローズアップです。

カバー  KABÁH
ウシュマルの南東約 20Km の カバー遺跡 です。 ウシュマルとサクベで繋がれていて、ウシュマル とは友好関係にあったようで、冒頭で紹介したように建物前面全てがチャーク像で覆われた有名なコズ・ポープがあります。

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 (Codz Poops)

これがコズ・ポープの全景で、遠くから見るとチャーク像なのか何なのかわかりませんが…。

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  (Los mascarones de Dios Chaac, Codz Poops)

冒頭にチャーク像1体分の写真を載せましたが、この写真にはおよそ 11体のチャーク像が確認出来ます。 コズ・ポープの外壁前面の上部から床面までが およそ 250体分のチャーク像で全て覆われており、チャーク像が巧みに配さたウシュマルの総督の館や尼僧院の西の建造物の方がデザイン的に洗練されて いるかもしれませんが、全てチャーク像だけと言うのもまた力強くて圧倒的な存在感があります。 今では殆どの鼻が欠けていますが、250 もの鼻が突き出た 様子は見るものを威圧したものと思います。

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 (Una máscara entera exhibida en MNA)

これは首都の人類学博物館の写真で、鼻を含めてほぼ完全なチャーク像が展示されますが、モザイク彫刻の各パーツを見ても間違いなくカバーからのもの と確認出来ます。

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 (Una máscara colorida hipotéticamente)

そしてカバーからのチャーク像に着色を施したのがこの画像で、上述の "Culturas Prehispánicas de México, Guatemala y Honduras" にあった ものです。

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 (Una máscara completa con nariz enrollada)

鼻のパーツが壊れずに残っているチャーク像がひとつだけありました。 建物の右角です。 折れた鼻のパーツは前の広場に沢山散らばっているのですが。

サイール  SAYIL
次はカバーの隣の サイール遺跡。 大きな遺跡ですが発掘修復されているのは大宮殿 ほか一部です。
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 (El Palacio)

大宮殿は西側半分の保存状態がよく、なかなか見応えのあるチャーク像があります。

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 (Segundo nivel con gran mascarón de Chaac)

典型的なプーク様式の柱で飾られた二層目の壁面が立派で、壁面上部の柱の間には大きなチャーク像が飾られていました。

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 (Detalle de escultura de Chaac)

上の写真がその大きなチャーク像です。 単独で中央に置かれるだけあって、カバーのチャーク像より大型です。 口の中から下に歯が6本下がっているのが 特徴的です。

下の写真は二層目の左角で、チャークの耳飾りとその横の渦巻き様の飾りは中央のチャークと同じです。

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 (Dios Descendente y los serpientes)

大きなチャーク像の左右に一対の光臨する神の壁面装飾がありますが、四角い耳飾りがあるのでチャーク像の変形のようにも見えます。  光臨する神はキンタナロー州の後古典期遺跡でよく見られ、しゃがんだ神が逆立ちしたような逆M字開脚が確認出来るでしょうか。 両脇に寸詰りの蛇が置かれ ますが、やはり雨の神との関連ではと思います。

シュラパック  XLAPAK
サイール遺跡からプーク街道を更に東へ進むと直ぐに シュラパック遺跡 があります。
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 (Fachada norte de Palacio)

遺跡自体はあまり大きくはなさそうですが、チャーク像で飾られた小さな神殿がひとつ残され、見逃せません。 この写真は神殿の北面で、中央と角のチャーク像 の間には雷や稲妻を象徴する雷紋が配されています。

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 (Detalle de escultura de Chaac ; centro y derecha de fachada norte)

北面の中央と右にある三連のチャーク像です。 基本的には他の遺跡のチャーク像と同じですが、個々のパーツは結構違いが見られます。 

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           (Detalle de escultura de Chaac ; centro de fachada sur)

これは同じ神殿の南面中央にあるチャーク像で、上下二連ですが全体的に北面より大きく、こちらが神殿の正面の様にも見えます。 チャークの口が横長で、 歯がずらりと並ぶのがユニークです。 正面からで判り難いですが、鼻は上向きのものが残ります。

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                       (Detalle de escultura de Chaac ; Esquina derecha de fachada sur)

これは南面右手、つまり南東角の三連のチャーク像で、下から上へ渦巻く鼻が良い状態で残っていました。

ラブナー  LABNÁ
チャーク街道の終点の ラブナー遺跡 です。 いろいろな形をしたチャーク像が良い 状態で沢山残され、チャーク像を見るならここがお薦めです。
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  (El Palacio)

写真はラブナーの宮殿で、ラブナーのページに宮殿の見取り図もありますが、サイールの宮殿が中央階段を中心にシンメトリックに作られているのに対し、 ラブナ―の宮殿は必要に応じてどんどん付け足しが行われたようで、全体として全く統一感がありません。 その分バラエティーに富んで面白いのですが。

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                   (Escultura de Chaac, Cuarto 30-29)

宮殿の 30-29室の壁面上部にあるチャーク像は、どちらかと言うと壁面装飾の中にデザイン的に取り込まれた感じで、比較的シンプルな作りです。

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 (Escultura de Chaac, Cuarto 22-21 ?)

上の壁面装飾のチャーク像の東側に続くチャーク像ですが、雷紋と共にやはり壁面に同化した感じです。

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 (Escultura de Chaac, Cuarto 19)

19室の壁面上部にあるチャーク像はデザインの一部ではなく単独に置かれたもので、造りが凝っているだけでなく、上に持ち上がった短めの鼻の側面には 神聖文字が刻まれ、862年の年号が読み取れるようです。

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 (Escultura de Chaac, Cuarto 18)

18室の角にあるチャーク像は上に上がった鼻の下に口を開けた蛇が置かれ、中から人の顔が覗きます。

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 (Escultura de Chaac, Cuarto 20-21)

19室の前から北側に抜けると宮殿の二層目に上がれ、20-21室辺りに非常に保存状態の良いチャーク像が見つかります。 彩色された塗料はさすがに残って いませんが、モザイク彫刻のパーツはひとつひとつ当時のままのようです。

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 (Parte este de Arco)                        (Parte oeste de Arco)

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 (Greca en la fachada este)                     (Chaac en la esquina de fachada este)

宮殿から南へ向かうとラブナ―のアーチがあります。 均整のとれたアーチ建造物ですが、ここにもチャーク像と雷紋が用いられていました。


チチェン・イッツァ  CHICHÉN ITZÁ
後古典期前期にユカタンの中心だった チチェン・イッツァ にもプーク様式が 見られ、チャーク像の彫刻も沢山あります。 カスティーヨや戦士の神殿のある北側はトルテカ様式が主流で、プーク様式は尼僧院を中心に 南側に多く見られます。

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 (Anexo Este de Conjunto de las Monjas)

最も見事な壁面装飾が残るのが、この尼僧院の東別院で、写真の東正面だけで12体のチャーク像があります。

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 (Escultura de Chaac, Anexo Este)

左の写真が右側の壁面上部で正面と横向きの2体のチャーク像があり、右の写真はその下の壁面で正面2体、側面2体のチャーク像があり、同じものが 左側の壁面にあるので、合計12体になります。

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 (Escultura de Chaac, Anexo Este)

上のチャーク像の拡大です。 下の側面にあるチャーク像だけ、パーツが異なり、鼻も上向きになっていました。

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             (Escultura de Chaac, Conjunto de las Monjas)

東別院が取り付けられた本院の方にもチャーク像が各所に見られ、建物の上の方のチャーク像をクローズアップしたのがこの写真です。 東別院とは別の 部分ですが、下の写真のチャーク像は東別院の下の側面角のチャーク像と全く 同じパーツで構成されます。

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                                  (Esculturas de Chaac, La Iglesia)

東別院のおよそ北隣にある教会と呼ばれる小神殿(写真下左)も壁面上部から屋根飾りまで、チャーク像と雷紋で隙間なく装飾されます。 東別院と比べると 風化が進んでしまっているのが残念ですが。

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                             (Otro Chaac de un edificio al suroeste de Anexo Este)

東別院の南東側にもうひとつプーク様式の小さな神殿(写真左)があり、チャーク像 2つで装飾が施されています。

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 (Escultura de Chaac, Caracol)

教会の北に天文観察に使用されたと言われるカラコルがあり、トルテカ様式も認められますが、しっかりチャーク像も取り入れられています。 円筒形の建物の 壁面上部に東西南北 4体のチャーク像があるようです。 現在はカラコルは登れず、写真は中央切り出しの為に画質が今ひとつですが、チャークの目の間にある仮面が 確認できました。

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             (Escultura de Chaac, Casa Colorada)

更に北に上り、赤い家と呼ばれる建造物がありますが、屋根飾りにチャーク像が3つ並べられます。 写真は一番左のチャーク像で、このチャーク像にも 目の間に仮面があります。

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 (Esculturas de Chaac, El Osario)

更に北のオサリオ(高僧の墓)は、トルテカ様式のピラミッドですが、崩れてしまった上部神殿の角は四連のチャーク像で飾られていたそうで、その柱の1本がオサリオの 南側に立てられています。(写真右)

ここまでがチチェン・イッツァの南の地域です。


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 (Escultura de Chaac, El Castillo)

北の地域はトルテカ様式が顕著ですが、一部プーク様式も顔を覗かせ、北の地域の中心的な建造物、カスティーヨのピラミッドも基本的にはトルテカ 様式ですが、上部神殿の壁面上部の4面全てにチャーク像の彫刻があります。

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 (Escultura de Chaac, Templo de los Guerreros)

そして戦士の神殿にもプーク様式が融合していてチャーク像も組み込まれます。 登れないので詳細がよく判らないのですが。

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              (Escultura de Chaac, Grupo de las mil columnas)

柱廊のグループでもチャーク像が散見され、上の方の写真ではチャーク像の上下にトルテカ様式の蛇の頭と胴体の彫刻が刻まれ、トルテカとプークの融合を示す 例と言えます。

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              (Escultura de Chaac, Mayapán, Yucatán)

これはチチェン・イッツァではなく、チチェン・イッツァ衰退後にチチェン・イッツァに取って代わってユカタン半島でマヤの中心となった マヤパン にあるモザイク彫刻です。 マヤパンの最盛期は後古典期後期になりますが、このモザイク 彫刻は最盛期を迎える前のプーク様式の時代のものになるでしょうか。


ウシュマルから始めてプーク街道、、チチェン・イッツァ、そしてマヤパンにまで、まあ、それにしてもいろいろなチャーク像があるものです。 プーク様式 はウシュマルのあるプーク台地を中心に東はチチェン・イッツァに至り、南は州境を越えてカンペチェ州に入り、チェネス様式、リオ・ベック様式と融合して いきます。 チェネス様式、リオ・ベック様式でも壁面装飾にはチャーク像が多用されるので、チャーク像の比較検討を行い、時代の変遷や伝播のルートが 解明出来れば面白そうですが、殆ど文字を伴わない図像学の世界ですから、なかなか難しそうです。




ここまでユカタン半島で建物を飾ったモザイク彫刻の仮面は 雨の神のチャーク だという前提で 話を進めてきました。 これは従来から唱えられてきた定説なんですが、このモザイク仮面は 実は雨の神チャークではなく カウアックとかウィッツと呼ばれる怪物の顔 だろうとする新しい説があります。  これについては 「大地の怪物」 としてページを改めて取り上げ、チェネス様式、リオ・ベック様式の大地の怪物の壁面装飾を見ていきます。


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