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PATRIMONIO MUNDIAL - RUINAS MAYAS


                 世界遺産のマヤ遺跡

2014年の世界遺産委員会でカラクムルが自然遺産に登録され、2002年の文化遺産登録と併せ、ティカルと同じ複合遺産になりました。  古典期マヤで覇権を競った両雄が 1500年の時を超えて同じ複合遺産になるのも面白いですが、密林の奥深くに築かれた両遺跡は現在も 豊かな自然に守られていると言う事になります。

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世界遺産に登録されたマヤ遺跡は4か国、8ヶ所になりますが、登録順に簡単に見ていきます。 詳細はそれぞれのページで。

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1979年

グアテマラ ‐ ティカル遺跡   Tikal - Guatemala

1978年に登録が始まった世界遺産ですが、初年度の12カ所に次いで、ティカルは二年目登録の 45カ所のひとつに選ばれています。 マヤ遺跡 と言うとティカルと言う位に代表的なマヤ遺跡なので、これは文句のないところでしょう。

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 (Templo I de Tikal)

グラン・プラサの東側を占める1号神殿。 九層の基壇上に巨大な屋根飾りを持つ神殿が聳え、見る者を圧倒します。 高さ 50m強と 4号神殿等に及びませんが、基壇前面に取付けられた中央階段は世界中のピラミッドの中でも最も急なものになるのではと思います。

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 (Estela 16 y Altar 5, Réplicas)

ティカル王朝の歴史は先古典期まで遡るようですが、中興の祖とも言えるハサウ・チャン・カウィール1世が即位 13年後の 695年にカラクムルに 勝利を収め、ティカルを絶対的な繁栄へと導き、1号神殿もこの時代に作られます。 写真は 711年のカトゥンを祝った石碑 16 と祭壇 5 で、 4号神殿近くに複製が残されます。

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 (Vista panorámica desde Templo IV, de izquierda a derecha; Complejo Q, Templo I, II, III y Mundo Perdido)

ティカル西域に聳える4号神殿は高さが 70m を超え、神殿に登ると東の方向に (画像左から右へ) 複合体 ”Q”、から1号、2号、3号神殿、 緑で覆われた南のアクロポリス、更には失われた世界のピラミッドと、ティカルの代表的な建造物を俯瞰する事が出来ます。

遺跡の詳細は ティカル のページ で 画像 124枚を用いて詳しく説明してあります。

ティカルの石造物と歴史は ティカル石碑博物館と王朝史 で、 カラクムルとの抗争の歴史は マヤの戦争
それぞれ特集してあります。

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1980年

ホンジュラス ‐ コパン遺跡   Copán - Honduras

1980年にホンジュラスのコパン遺跡がティカル遺跡に次いで世界遺産に登録されます。  ウィキペディアの 登録年別の世界遺産 によるとコパンの世界遺産登録は 1982年になっていますが、コパン遺跡のパネル展示では 登録年が 1980年になっており、ユネスコのページ を確認するとやはり 1980年です。 コパンに対して下剋上を起こしたキリグアより後では都合が悪いので、遡って 1980年の登録になったのでしょうか。  歴史的な重要性も建物や石碑の芸術性も全てコパンの方が上なので、先に登録されるのは当然の事ですが。

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 (Juego de Pelota y al fondo Escalera Jeroglífica)

手前はコパンの球戯場で、東西の斜面の上にはコンゴウインコの彫刻で飾られた9号と10号建造物がありました。 奥の緑の覆いの下には 26号建造物の神聖文字の階段があり、2500以上のマヤ文字で初代ヤシュクックモ王から15代煙貝王 (在位749-763) までのコパン王朝の歴史が綴って あったそうです。

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 (Estela D de "18 Conejo")

コパンで有名なのは立体的で石像と呼ぶ方が相応しい素晴らしい石碑群で、グラン・プラザの北側は王の庭と呼ばれ、悲劇の王 18ウサギの石碑が 7本立ち並びます。 写真は石碑D で、前面にジャガーが刻まれた祭壇を従え、石碑の背面は彫りの深いマヤ文字で埋め尽くされます。

遺跡の詳細は コパン のページ で 画像 162枚を用いて詳しく説明してあります。

遺跡に併設された コパン彫刻博物館 と コパン村の マヤ地方考古学博物館 にはコパンからの興味深い遺物が沢山 収められています。

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1981年

グアテマラ ‐ キリグア遺跡   Quriguá - Guatemala

ティカル、コパンに次ぐ マヤ遺跡第3号の世界遺産登録はキリグア遺跡でした。(前述の通りウィキペディアではキリグアの方が 先ですが。) マヤで一番背の高い石碑を持つキリグア遺跡です。

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 (Estela F, Zoomorfo G y Estela E)

南北に長いグラン・プラサには石碑が9本林立し、獣形神と呼ばれる巨大な石彫りが6個、更に細かく彫刻が施された巨大祭壇2個が配され、 キリグアの歴史が詳細に語られます。

キリグアはコパンに従属していましたが、カック・ティリュウ王が 738年にコパンの ウアシャクラフーン・ウバーフ・カウィール王、通称18ウサギ王 を倒し、コパンを模した街づくりを進めます。 7本の石碑は カック・ティリュウ王のもので、左の少し傾いたのが 石碑F、右が最も高い石碑E で、 地中に埋まった部分を含めると 10.7m の高さになるようです

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 (Zoomorfa P)

これは獣形神P で、幅 3 m、高さ 2.2 m あり、重さは 20 トンになるそうです。 北面にはカック・ティリュウ王の肖像が彫られ、小判型の短冊の中には マヤ文字が彫り込まれています。

遺跡の詳細は キリグア のページ で 画像 123枚を用いて詳しく説明してあります。

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1987年

メキシコ ‐ パレンケ遺跡   Mexico - Palenque

1987年になって初めてメキシコのマヤ遺跡が世界遺産に登録されます。 第一号にはパカル王の墳墓と翡翠の仮面で有名になった古典期のパレンケ遺跡が 選ばれました。

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 (Templo de las Inscripciones)

これが パカル王の墳墓が発見された碑文の神殿で、九層の基壇上に神殿が設けられた 高さ 22.8m のピラミッド です。  1952年に手付かずの王墓が見つかり世界の注目を集めました。

パレンケでは豊富な文字資料から、431年即位のクック・バラム1世から 799年即位のパカル3世まで、17名の王の存在が解明されており、 パカル王は、11代 キニチ・ハナーブ・パカル1世として、パレンケ王朝の最盛期を率いた王でした。

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 (Pilastra pintada de Templo 19)

写真の 19号神殿は、14代 アーカル・モ・ナーブ3世の時代に建てられますが、角柱には 後の15代 キニチ・ハナーブ・パカル2世の青年時代の姿が 色鮮やかに描かれていました。

遺跡の詳細は パレンケ のページ で 画像 173枚を用いて詳しく説明してあります。

パレンケ遺跡併設博物館 には石板や香炉立てを始めとした豊富な出土物が集められ、 原寸大に複製されたパカル王の石棺の展示もあり、見逃せません。

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1988年

メキシコ ‐ チチェン・イッツァ遺跡   Mexico - Chichen Itzá

パレンケに続いて、翌 1988年にはユカタン州のチチェン・イッツァが世界遺産に登録されます。 ペテン地域を中心に栄えた古典期マヤが衰退していく中、 ユカタン半島で新たに勃興してきたのがチチェン・イッツァで、古典期終末期から後古典期前期にかけて半島北中部を勢力下に治めるマヤの中心センターになります。

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 (El Castillo o Templo de Kukulcán)

カスティーヨ と呼ばれるピラミッドは、均整の取れたトルテカ様式の方形ピラミッドで、高さは 24m あります。 4面に 91段づつの階段があり、 合計 4 x 91 = 364段、上部神殿への最後の1段を加えて合計 365段で 1年の365日を表していると言われます。 また春分と秋分の日に ピラミッドの北西角に当たる陽光が北の階段の側面に波打つ蛇の影を創りだすよう設計されていて、マヤの進んだ天文知識が窺われます。

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 (Anexo Este del Conjunto de las Monjas)

チチェン・イッツァの南部地域にはユカタン半島で独自の発展を遂げたプーク様式の建物が多く見られ、写真は尼僧院・東別院の東側正面です。 壁面上部 から床面まで雨の神チャーク像で隙間なく飾り立てられ、入口はチェネス様式でもお馴染みの怪物の口になっていて鴨居の上には怪物の歯が 並びます。

マヤで最も大きな球戯場や天文台など見どころは数多く、 遺跡の詳細は チチェン・イッツァ のページ で 画像 99枚を用いて詳しく説明して あるので、そちらを参照ください。 

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1993年

エルサルバドル ‐ ホヤ・デ・セレン遺跡  El Salvador - Joya de Ceren

エルサルバドルはマヤ圏の最南部にあたり、ティカルやチチェン・イッツァのようなマヤの大きなセンターはありませんが、マヤのポンペイと 形容されるホヤ・デ・セレン遺跡が 1993年に世界遺産に登録されます。

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  (Estructura 12 Casa de Chamán)

7世紀の火山噴火で埋もれていた マヤの集落が 1976年に発見され、修復保存の上、公園として整備されたのがホヤ・デ・セレン遺跡です。  当時の生活がそのまま火山灰で密封されて現代に伝えられる事となりました。 3つのエリアに10の建物跡が保存され、これはシャーマン(祈祷師) の家と呼ばれる建造物 12 です。

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 (Moldes en yeso de olote/mazorca y maguey, Museo del Sitio)

遺跡発掘の過程では、ポンペイと同様に空洞に石膏を流し込んで中にあったものを取り出す手法が用いられ、写真にあるようなトウモロコシの穂 や食べかす、マゲイの根っこなどが、石膏の形で取り出されました。

遺跡の詳細は ホヤ・デ・セレン のページ で 画像 61枚を用いて詳しく説明してあります。

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1996年

メキシコ ‐ ウシュマル遺跡   Mexico - Uxmal

少し時間が飛んで、1996年にプーク様式の代表格であるウシュマル遺跡が世界遺産になります。 チチェン・イッツァでもプーク様式は見られますが、 歴史的にも、またその規模からもウシュマルの方が上で、その華麗な建造物群は世界遺産に相応しいと言えます。

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 (Pirámide del Adivino)

占い師のピラミッドは基壇が楕円形で、他に見られない特異な形状をしています。 高さ 35m の五層のピラミッドで、 中央階段上に作られた神殿Ⅳ は蛇が口を開けた図柄の戸口で、全面モザイク彫刻で覆われます。 占い師の老婆と小人の孫が魔法で ウシュマルの王を打ち滅ぼし、一晩で作り上げたピラミッドと言う言い伝えがあるそうです。

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 (Palacio del Gobernador)

総督の館は細長い基壇上に築かれた 長さ約 100m の大きな建造物で、合計 103個もの チャーク像が細長い壁面上部に並べて配置されており、 その華麗な壁面装飾から代表的なプーク様式建築のひとつに数えられます。 古典期終末期頃に最繁栄期を迎えたウシュマルで、文字資料が少ない為に 詳しい歴史はわかっていませんが、チチェン・イッツァと およそ同時代になり、両者の関係が気になります。

遺跡の詳細は ウシュマル のページ で 画像 63枚を用いて詳しく説明してあります。

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2002年

メキシコ ‐ カラクムル遺跡   Mexico - Calakmul

古典期マヤでティカルと覇権を競ったカラクムルは 2002年になって世界遺産に登録されます。 ティカルの世界遺産登録は 1979年ですが、 カラクムルの本格的な調査は 1984年からなので、当時はまだ強大なカラクムルの実像は充分解明されていなかったでしょう。  2014年には文化遺産に加えて自然遺産にも認定され、合わせて複合遺産になりました。

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 (Parte superior de Estructura I, vista desde Estructura XIII)

自然遺産にも登録されただけあって熱帯雨林の生物保護区にあるカラクムルでは、巨大なピラミッドも緑に覆われています。 これは建造物 XIII に登り 南東方向に見える建造物 II の上部で、手前が神殿 II-B、右が建造物 II 最上部になる神殿 II-A です。 建造物 II は基部で正面の幅が 120m になる巨大建造物で、ここから階段と神殿が積み上げられて最上部がこの写真になり、基部からの高さは 45m になります。

神殿 II-B の内部からは王墓を含む埋葬が4つ発見され、翡翠の葬送面を含む数々の副葬品が回収されています。

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 (Plaza Central y las Estelas colocadas en frente de Estructura II)

建造物 II の中腹から目の前に広がる中央広場 (と言っても緑の林ですが) を見下ろすと、前方に建造物 VII が顔を覗かせ、足元にはボロボロに 風化した石碑が並びます。 カラクムル全体では 120本位の石碑が見つかっていますが、多くは傷みが激しく解読を難しくさせています。

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 (Estructura IV-B)

これは中央広場の東側を閉じる建造物 IV で、南北に長い建造物の中央部 IV-B です。 建造物 II 同様、先古典期に遡る建造物で、古典期前期の 王墓も見つかり、副葬品は州都カンペチェの博物館に収められています。

遺跡の詳細は カラクムル のページ で 画像 72枚を用いて詳しく説明してあります。

風化の少ない石碑は博物館へ送られ、首都の国立人類学博物館、カンペチェ市のマヤ考古学博物館とマヤ建築博物館で見る事が出来ます。 また王墓と 翡翠の葬送面はカンペチェ市のマヤ考古学博物館の特別なコーナーにまとめて展示されますが、特別展示会で頻繁に持ち出されて不在の場合が多く、 2014年1月にはメキシコ市の国立宮殿、メリダ市のカントン宮殿、カンクンのマヤ博物館の特別展示会に出品されていました。 葬送面もおちおち 寝ていられないようです。

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2002年のカラクムル文化遺産登録以来、新たなマヤ遺跡の登録はなく、現時点では8遺跡に留まり、暫定リストにも入っていないようです。  全世界の登録数 1007件に対してマヤ遺跡の 8件は多いのか少ないのかわかりませんが、もっと認知されて有名になって欲しいと思う一方、 あまり有名になり過ぎて観光客が増えて遺跡が荒れるのも心配です。



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